口コミで火が付き、テレビの力で売上が加速

MISOKAは欧米でもアジアでも評価される製品に育っていますね。どのような製品なのか教えてください。また、起業後の歩みなど教えてください。

 もともとは自動車のコーティング技術として開発した技術なのですが、ナノサイズのミネラルを溶かしこんだ溶液を用いて対象物を覆うという技術でした。MISOKAは、その技術を歯ブラシに応用したものです。歯ブラシの毛先にミネラルをコーティングして歯磨き粉いらずで磨けて、歯がつるつるになる、汚れが付きにくくなる、初期虫歯を補修出来る、そんな製品です。ミネラルなので口に入れても安全です。

画期的な製品なので自信もありましたが、さすがに最初から順風だったわけではありません。仲間のつながりで起業から3か月で製品もできました。会社のロゴなどもデザイナーを紹介してもらい現在まで続く立派なものができました。製品ができたので以前取引のあった東急ハンズに製品を持っていくと、当時の心斎橋店のフロアマネージャーが、売り場まで提供してくれました。

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ただ、そこからが大変でした。全く製品が売れないのです。これは大変だと、お願いして説明販売のためのテーブルももらうことができました。それで土日に一生懸命お客様に製品を説明するのですが、なかなかうまくいきません。預金通帳の残高は減っていくし、焦りを覚えました。他の製品について他の売り子の方が、どんな風に説明し、どんな風に売っているのか、必死で勉強しました。忘れられないのは、そうして勉強して工夫して、あるおばさんに製品が売れた後、そのおばさんが後日またやって来て、あんたの説明は本当や、と6本まとめて歯ブラシを買ってくれたことです。口コミがこうして始まった感じでしたし、私自身、1本1本と、売れていく本数が少なくても、それは製品のテストをしているので、そこで確信を得られれば大きな売上につながるのだ、と前向きの発想に立つことができました。心が明るくなりました。

それを転機にした感じですが、東急ハンズの心斎橋で売上が上がり始め、やがて神戸三宮や東京では渋谷、新宿、池袋と、その頃のハンズは店舗決済でしたから各店舗から声がかかり始めました。ハンズも各店が競争をしていて緊張感がありましたね。安い切符を買って東京に出張していたのも良い思い出です。

さらに売上を加速させてくれたのは、ある有名なテレビ番組が製品を取り上げてくれたことでした。そのテレビ番組を私は家族で観たのですが、直後会社に行くと、これまでに見たことのない桁で注文が入ってきていました。また、注文のFAXが束のようになっていました。歓喜でしたね。テレビの力を思い知った感じでした。
ただ、在庫だけではさばけない注文でしたので、これは非常事態だと、すぐに冷静になりました。嬉しい悲鳴でしたね。それで資金繰りを考えながら注文を調節し、生産を増やしていったのです。

夢職人のコンセプト
「デザイン、資材、生産活動全てにおいて、より高い品質を追求」という夢職人のコンセプト

MISOKAを欲しいと言ってくれる誰かがいるから働く

その後、少し方向性を見失って悩まれていた時期があると聞きました。

 そうです。テレビ番組に取り上げられたことから売上は飛躍的に上がり、高い位置で水平飛行の軌道に入りました。3か月か4か月か、とにかく生産に追われ昼も夜もなくMISOKAを作る日々でした。とてもありがたい話です。ただ、魔が刺すという感じなのか、不意に自分はなぜこんな昼も夜もなく働いているのだろうと考えてしまったのです。自分の時間はなくなって、夜の11時、12時まで働く毎日。それである日、阪急百貨店にお金を持って行きました。昔から成功したら成功の証にROLEXの腕時計を買おうと考えていたので、それを買えばもやもやした気持ちも晴れるだろう、と。
それでお金をポケットに詰めて売り場に行ったのですが、結局時計は買いませんでした。感慨がなくなっていたのです。輝きが失せていた、という感じでした。気持ちは全く晴れませんでした。

もやもやした気持ちが晴れたのは、東京出張が契機でした。たまたま九段下に寄ることがあって、靖国神社にお参りしようかと思い立ちました。お参りしたので隣にある遊就館を見学しました。そこに人間魚雷、特攻で有名な回天が展示されていました。機械の構造に興味がありますので、しげしげと回天を眺めたのですが、回天はそこに人が入ると身動き出来ない様な狭い空間です。私は信じられないと思いました。こんな狭い場所に閉じ込められて特攻に向かうのか、と。
もちろん葛藤はあったと思いますが、最後は清々しい気持ちでなければここには入れないな、と思いました。私利私欲を捨て、みんなのために、誰かのために、と決意しないと、とてもこの狭い場所に入れないなと。その時に、ああなんて自分は自分のことしか考えていないのか、と恥ずかしさを覚えたのです。自分が忙しいのは、MISOKAを欲しいと言ってくれる誰かがいるからだ、と。みんなが欲しいと言ってくれているのだから、作ればいい、そうか、作ればいいんだ、と気持ちが吹っ切れたのです。

気持ちが吹っ切れると、商いの桁も変わりました。何かステージが変わった感じでした。現在になって考えると、私は悩んでしまいましたが、ゴルフなのか、女性なのか、お酒なのか、そうしたことに満たされたり、紛れさせたりする経営者もいるような気がします。たまたま、私はそうではありませんでした。

誰かのために働くというのは貴社の哲学でもありますよね。最後になりますが、今後のビジョンなど教えてください。

 MISOKAはありがたいことに欧州でも台湾やマレーシアなどアジアでも、ある程度認知を受けたブランドになってきています。もちろん、ブランドは長い時間を経て作り出されていくものですから、本当の意味でブランドが確立するまでには、まだ長い時間がかかります。私の代では完結しないですが、これからもしっかり磨いていきたいと思います。

MISOKA BOUTIQUE
夢職人の本社に併設された大阪・箕面の直営店「MISOKA BOUTIQUE MINOH」

ただ、MISOKAはコアのビジネスであり、収益の基盤であっても、それ自体を広げていく感覚ではなく、ルイ・ヴィトンなどもそうですが、廻りを広げることを考えていきたいと思っています。ミネラル塗布のナノテクノロジーである当社の技術を応用できる領域はたくさんあります。それこそ自動車のワックスもそうですが、機体やエンジンに塗布して静電気を減らすことで空気抵抗を減らし飛行効率を上げていくなど航空機関連も応用領域ですし、農業でも当社技術の活躍できる領域があると考えています。農薬の散布を減らすという課題を、逆に本質である農薬をどう効率的に植物に吸収させるか、と捉えればいいのですから。そこではミネラルをナノレベルで塗布する当社の技術は有用です。
答えから発想する、本質を捉えるということが重要だと思いますし、それが私の発想法です。

また、モノ作りをしてきた経営者だからこそ、モノ作りでちょっとだけ難儀している企業に力を貸していきたいと考えています。M&Aが定着してきましたが、金融の論理だけではモノ作りの企業を経営していくことは難しいと思います。作っているモノの性質を考えて、付加価値の付け方を少し変えていけば、局面を打破できる企業はたくさんあります。夢になるかも知れませんが、モノ作りコンツェルンを作りたいですね。
もちろん、それは私の代だけで達成できるものかは分かりません。それぞれの代に役割があります。創業者の役割はこれから50年いけそうな道を描くのが仕事なのかな、と思うことがあります。

負けない事、投げ出さない事、逃げ出さない事、信じぬく事。
自分のしてきたことが正しいんだと信じて、これからも頑張っていきたい
と思います。

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