700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家、そして彼らと関わる様々な業界人たち・・・と書き手のバトンは次々に連なっていきます。ヒット番組やバズるコンテツを産み出すのは、売れっ子から業界の裏を知り尽くす重鎮、そして目覚ましい活躍をみせる若手まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜くユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第193回は、数々の2時間サスペンスドラマで活躍の倉沢奈都子さん。

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夢見る少女の茨道

倉沢奈都子さんの写真
倉沢奈都子
脚本家
日本放送作家協会会員

今だから時効で堂々と言える話。
大学4年の時に内定をもらった会社は私にとって全くの滑り止めであった。
結局、第一志望の会社にふられてそこに入社するのだが、そんな相手に愛情を持てるわけもなく2年目の夏のボーナスをせしめた上で退社
直後に職安(今で言うハローワーク)に通うこととなる。
目的は勿論、失業保険の取得。

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当時、退職女子は「寿退社で再就職の意思もないのに花嫁資金を稼ぎに来る」という裏技をしがちだった。
故に職員さんはそれを阻止しようと面談を念入りにしていた。
だが、毎月の私のそれはあっさりしたもの。
何故ならば「退社の理由はシナリオライターになる為であり、なれるまで再就職しません!」ときっぱり言い切っていたからである。
職員さんは半笑いで私の顔を見て来たが、都度くれる物はきっちりくれていた。
そんなわけで会社員時代に貯めた100万と3カ月分の保険金を抱えて私は無職になった。

さあこれで講義(今はなき松竹シナリオ研究所の)と課題に集中出来るわいと目的は明確になったが、それその物が金を生むわけはなく――それどころか講義に行けばアフター、講師交えてもれなく宴会なので出費する一方。
おまけに時期が悪くて友達が次から次へと結婚式しまくる、私を呼びまくる。
当然、熨斗袋持参は義務。
出なきゃいいのに2次会、3次会と飲みまくる。
よって帰りはタクシー。
そんなことをワンシーズンに3回も4回もやっていたら、あっと言う間に無一文になってしまった。
で、どうしたかと言うと、秘技!親に借金!である。

幸か不幸かずっと実家住まいなので部屋と食事には苦労しなかった。
が、そこに引きこもっていたらシナリオライターにはなれないのである。
どうしてなれないのかは謎だが。
ともかく「返しますから! 3万、いや2万でいいです!」と母に頭を下げること数回。
そして何回目かに遂に言われた。
あげたつもりはないんだけど。返してくれない? 16万」と。
私は闇金漫画の脇役のごとく謝ったり屁理屈こねたり泣いたり喚いたりしたのだが、彼女に取り付く島もない。
一括で返せの一点張りである。
一括――?
いやいや今ないものを一括でってお前算数出来ないの?と混乱していたら、次に来たのは出ました伝家の宝刀「無理なら出て行きなさい」。
そこで若い娘は宝刀を打ち抜くべく鉄砲を向けるのである。
わかった!返すわよ! 売春して!」。
女の子の親はなんだかんだ言ってもこの凶器を恐れているはずなのだ。
ところが彼女は平然と「あ、そう。返してくれればいいんだからこっちは」と言ってのけたのである。

私が完全なる敗北を認めたのはココではない。
母との冷戦中に友達から電話があった。
実家の電話機は当時、家のど真ん中に位置していた。
つまりこちらの声が家族に筒抜けだった。
それを意識した上で呑気に洗濯物を畳んでいる母の耳に聞こえるように「ああ、来月ねえ。どこだっけ?オークラか。あたしさあ、実は行けないかもなんだよね。××子とは親友なのに……。お金ないから……。私だって行きたいよ !親友の結婚式だよ…。情けないよ」と迫真の演技。
そして切った後、肩を落として部屋に戻ろうとしたらいつの間にか洗濯物を抱えた母が後ろに来ていて面白そうに言ったのだった。
売春すればあ?」。

日本の古い電話のイメージ当時は実家暮らしで、電話機が家のど真ん中に位置していて家族に筒抜けだった

う――ん、敗戦は近い。
だがもう一矢くらい報わないとこちらの気が済まない。
なので当時「実はどこより取り立てがえぐい」と噂されていた某月賦推奨の百貨店で生まれて初めて現金を借りた。
返すあてもないのに。
ただ「あの女」にまとめて現金渡したらさすがにビビるだろうという目論見だけの暴挙だった。
しかしながら大したリアクションも得られず肩透かしを食らったように記憶している。
とにかくそれから私は毎晩「取り立て」の悪夢にうなされ汗だくで飛び起きるという日々を送ることとなった。

人の夢をも左右する「時代ガチャ」

そこでやっとこさ敗北宣言をした私は女性向け求人誌の定期購読者になった。
その頃、モノというのは夜書くものだと思い込んでいたので夜の仕事はパス。
もっと言うとそこに行ったら一生居ついてしまうだろうとわかっていたからだった。
かくして私は、当時ノリにノッていた六本木の不動産会社のバイトOLになった。
なってみてわかったのだが、世の中は後に「バブル」と言われる期間に突入するところだった。
だから同期バイト女子8人の雇用は税金対策だったらしい。
仕事と言える仕事などなかったのに時給は破格的に良かった。

そんな怒涛の時期を経て、私はシナリオライターになった。
予定通り、夜に学内コンクール用の映画向けシナリオを書いたらその処女作が入選したのだった。
それが実際のきっかけになったわけではないが、この道を目指して行く意味はあるようだと自認することが出来たのである。
そこからは若干の自信を持って鉛筆を繰り出せるようになった。

あとは結構早かった。
夜中に習作を書くという大変な作業が出来たのは、昼のバイトが「行けば良い」仕事だったからとしか言いようがない。
私の夢を叶えてくれたのは、他でもない豊かな国であった。

執筆する女性のイメージ夜中に習作を書く作業が出来たのは、昼のバイトが「行けば良い」破格の時給だったからだ

さて、今、国はどうだろう。
その時に比べたら多分、圧倒的に弱体化している。
現況、なんの経験も能力もないのに夢だけ見ている女の子を救う力などないだろう。
なので今こそ命懸け……ならぬ身体懸けで夢に向き合わなきゃダメだわ女子。
身体、と言っても使い方いろいろ。
肉体労働でも手内職でも何でもいい。
「時代」が助けてくれないのなら自助するしか道はない。
夢を叶えるにはまず生活費がないことにはどうしようもない。
ここだけの話、私が親にブラフで使った売春でも成人ならいいと思う。
ただし! それによって夢が叶ったらその後、その経験が悪夢となって襲って来ることを覚悟しよう。

ちなみに「売春」が単なるブラフだった理由は、私が貧困女子の前に貧乳女子だったからである。
その人生最大のコンプレックスが悪夢から私を遠ざけてくれた。
セオリー通りコンプレックスをバネにすると、意外に苦境は乗り越えられるのである。
ああ、あと「冷徹」な母親の存在か?
とにもかくにも今「若い子」じゃなくて本当に助かった……。

次回は水越洋子さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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