700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家、そして彼らと関わる様々な業界人たち・・・と書き手のバトンは次々に連なっていきます。ヒット番組やバズるコンテツを産み出すのは、売れっ子から業界の裏を知り尽くす重鎮、そして目覚ましい活躍をみせる若手まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜くユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第205回は、ラジオや雑誌など幅広いフィールドで活躍する菅野聖さん。収集した2000枚超のレコードが引き寄せたものとは……?

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収集のきっかけはジャズ喫茶のバイト

菅野聖さんの写真菅野聖
放送作家
フリーライター

「お金の匂いがしない」と言われたことがある。
その時は、自分がクリーンなイメージに思われているようで内心喜んでいたが、今思えば“リッチには見えない”というニュアンスだったのかも、と当時の解釈を顧みる。

とはいえ、真意を確かめるのは野暮というもの。
だったら、ポジティヴに受け止めておけばいい。
振り返ればこれまでの人生で懐が重くなったことはないし、財産と呼べる貴金属やお宝もない
けれども、衣食住に困ることなくフリーで35年以上、構成作家&ライターとして仕事を続けて来られたのだから傍からどう見えても構わないじゃないか。

財産といえば、母が家に遊びに来た日を思い出す。
仕事部屋とリヴィングにある棚のレコードやCDを見て「あなたの財産ね」と独り言のように呟き、「そうかな」としたり顔で答えた私。
確かにこの音源は自分のヒストリーと言えなくもない
小学校4年生の時にお小遣いを握りしめて初めて買ったシングル盤。
以来、私はレコード(ある時からCDにチェンジ)を買い続け、その為に高校1年生からアルバイトに精を出した。

収集に拍車がかったのはラジオ番組の制作及びライター稼業をスタートさせた20代前半である。
流されるままにフリーで仕事をすることになり、同じタイミングで行きつけのジャズ喫茶でも働くことになった。
週に4日、1日約7時間半、接客は勿論、カウンター内でのドリンク作り、レジ、更にはレコード係も担当していたが、それは勤務時間内のほとんどをひとりで切り盛りしていたからである。

レコードの棚のイメージリヴィングにある棚のレコードやCDを見て、母は「あなたの財産ね」と呟いた

考えてみれば責任重大だ。
しかし、臆することなく、楽しんで店に通えたのは本格的にハマり出したジャズを大音量で浴びられたからであり、常連客(要はジャズ・ファン)とも親しくなったから。
今は亡き、マスターのお人柄に惚れ込んでいたことも大きい。

バイト中の私はターン・テーブルに乗せたレコードを聴いてはミュージシャン名とアルバム・タイトルをノートにメモし、いずれ入手したい作品名の脇に印を付けていた。
それを元に中古レコード店を巡り、値段が折り合うと購入する。
古いブルースやソウル、ロックンロールやラテンも愛聴していたため、ジャンルは関係なくチェック。
中古だからといって安価とは限らないのはヴィンテージ家具や洋服と同様で、条件が揃った貴重盤は高額で手が出ない。
それでも欲しかったレコードを見つけた時の充足感は中毒性があり、1枚、また1枚とその数は増えていった。
それに比例するが如く本業が忙しくなり、ジャズ喫茶のアルバイトはジ・エンド

収集したレコードが仕事を引き寄せる

程なくして、知人から中古のジャズ・レコードを2000枚、一気買いすることとなった。
選ばずにまとめて引き取るなら1枚100円で手放すと声を掛けられ、月々1万円の分割でもOKと言われたので即決したのだ。
当時、住んでいたボロアパートに届いたレコード入り段ボール箱は狭い部屋を占領し、足の踏み場はなくなったが、それすらも嬉しかった。

その日から隙間時間は聞き三昧
アルバム・ジャケットのクレジットをチェックし、ライナーノーツを読みながらスピーカーと向き合う時間は至福だった。
その後、レコードは嫁入り道具となり、音楽好きのパートナーが保有する音源も加わった新居で暮らし始める。

その辺りからジャズを中心とした音楽番組の構成も手掛けるようになり、手持ちのレコードが仕事でも生かせるようになった。
ジャズ専門誌や音楽関係の執筆も増え、趣味と仕事の境目がどんどん曖昧になっていくが、それを目指していたわけではなく、あくまで偶然の出逢いによる副産物である。

レコードをかけるイメージ隙間時間はレコード三昧の日々を送った

但し、音楽シーンはとっくにCD全盛であり、アナログ盤を歓迎しない現場が増えていったのは想定外だった。
私自身も収納スペースの問題や扱いやすさを優先して、次第にCDへ移行せざるを得なくなり、21世紀に入った年に厳選した350枚のレコード以外は全て中古レコード店に引き取ってもらった
そして、手放したアルバムの多くをCDで買い直したのだ。

あれから早20年以上が経ち、仕事部屋とリヴィングにある棚には、仕事柄、貸与されたサンプル盤と購入したアルバムがズラリと並んでいる。
更に年を重ね、身辺整理をしたくなったら若いミュージシャンにプレゼントするのもいいかな、なんて思い描いていたこともあったが、今や配信が主流であり、この先、古いCDやレコードを受け取って喜ぶ人はいるだろうか
まあいいや、私は自分が心地良くなるために音楽を聴き続け、その手段として音源を求めてきた。それで充分ハッピー。

しかも、紹介した音楽が誰かの心を支えていたり、楽しんでいると知った時の喜びも味わっている。
何より、音楽を通じて出逢った人々が現在進行形で人生を豊かにしてくれているではないか。
部屋に並んだレコードやCDを見て「あなたの財産ね」と呟いた母の言葉は正しかったのだ。

次回は三遊亭竜楽さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。