テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第155回は、放送作家であり関西学院大学 社会学部 名誉教授の奥野卓司さん。

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職業が「放送作家」だったために?

奥野卓司さんの写真奥野卓司
関西学院大学 社会学部 名誉教授
日本放送作家協会会員

学生時代から長く日本放送作家協会にはいらせていただいてきたが、放作協から直接、仕事の依頼をいただけたのは、これが2回目で、73歳にしてようやく放送作家と認められたのか、と本当にうれしい。
が、これは放作協への恨み言でなく、放送作家の仕事に専念できなかった自分のせい、あえて言えばあの時の銀行のせいだ。

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1970年代は、今憧れられるほどの「昭和」でもなかったと思うが、テレビにとっては黄金時代だった。
子供のころからテレビか映画を作る職業になりたいと思いつつ、生き物や未来科学に興味をひかれていたぼくは、当時の「白黒テレビ」で放映されていたアメリカの「自然番組」「動物番組」をみて、いずれ日本でもそうした番組を作る時代が来ると信じて疑わなかった。

このため、大学で「動物学」「文化人類学」を学んでおけば、いずれその種の番組の制作者になれると考えて、その分野の本をむさぼるように読み、アメリカ映画を見て、機会を狙っていた。
その学生時代にある懸賞論文に入賞したのをきっかけに、NHK教育テレビ(今のEテレですね)の「若い広場」の司会、企画などを、当時のフォークシンガーでのちの精神科医の北山修さんとともにさせていただくことになった。
その後、関西の放送局を中心に仕事をしつつ、大学院にも放送台本、エッセイなどの原稿料で進んできた。

最後には、当時のNET(現在のテレビ朝日)で黒柳徹子さんの昼のワイドショーのサイエンス情報、読売テレビの「11PM」の火曜日担当(とくに「ロボット・コーナー」)、NHK教育テレビの「○○年の理科」などの構成も担当し、同分野の先輩だった本田睨先生の推薦をえて放作協の一員にさせていただき、子どものころからの夢に順調に近づいているように感じていた。

が、当時のギャラは、学生の副業としては良かったが、低かった
とくに地方局では、ほとんどドラマ脚本と同じようなものを書いて構成台本として代金が支払われていたが、それでも自分の本当にやりたい職業に近づいているようで楽しく、しかも新しく学ぶことの多い新鮮な毎日だった。

そうこうしているうちに、地元の局で「朝の動物園」という月~金の帯番組の台本を担当し、その取材に行くうち、そのナレーションをしていた年上の局アナと結婚した。
結婚すると、今までのように実家でというわけにはいかない。
最初は公団のアパート暮しでもよいが、家をもたなければと思い、繁華街にある銀行の窓口に行った。家のローンを組むためである。

当時の日本は高度経済成長期でもあったので、銀行は若年者にお金を貸したがっていた。
ところが、ぼくは窓口でけんもほろろに断られた。もっていった確定申告の写しの職業が「放送作家」だったためである。

交渉を断られる男性のイメージ家のローンを組むために銀行の窓口に行ったが、けんもほろろに断られた

夢は日本のメディア・コンテンツ制作者を応援!

担当の紳士は冷たく「作家業は不安定だから、たとえあなたが芥川賞をとっていても、銀行はローンを組めない」と即座に言い放った。

たしかによく考えてみれば、その頃は日本では今のように多チャンネル化もなかったし、「ディスカバリー・チャンネル」や「アニマル・プラネット」のような自然・動物・科学の専門チャンネルがいずれできるというだろうというぼくの見通しも甘かったのだ。

が、ちょうど全国各地で大学の新設のラッシュで、たまたまぼくにも「大学で教えないか」という話が舞い込んだ
教員は自分の夢ではなかったが、「生物学」「文化人類学」の担当でおまけに芸術系の短大の教員の口だった。
はじめて決まった収入がえられるので、ついついそれに飛びついた
すると、こいつはテレビにくわしいというので、「マスコミ論」や「映像論」も担当することになっていった。
こうなると、銀行は手のひらを返したように長期ローンを組ませてくれて、小さな持ち家は得られたが、肝心の放送の仕事に真剣に取り組む時間がなくなってしまった。

その後も、文章は書き続けてきたし、大学でも「メディア産業論」の担当ではあったのだが、ときどき舞い込む動物や歴史の番組の構成・制作協力はしてきたが、夢だった本当の意味での「放送作家」にはなり切れなかったのは、人生の最後に残る思いである。
やはり「お金って怖いよね」と呟いたドラマ『SUPER RICH』の江口のりこのセリフに、この作品を書いた放送作家の思いかなと同感してしまう。

大学の教室のイメージたまたま大学教員の話が舞い込み、それに飛びついた

今日の多チャンネル化、多メディア化は、たしかに放送作家の仕事の枠を広げた。
しかし、そのことによって、若い放送作家の底辺の生活はより厳しくなっているとも言える。
このままで、これから日本を再生させていく期待がかかっているコンテンツ産業はよいのだろうか。
著作権を無視して、盗用、引用が乱立する「ネット配信」にも、プロの放送作家はひるまず戦っていかなければならない。
人生の最後の仕事として、自分の夢だった日本のメディア・コンテンツ制作者を応援していきたい

次回は 鈴木嘉一さんへ、バトンタッチ!

是非お読みください

『ジャパンクールと江戸文化』

奥野卓司著
ジャパンクールと江戸文化」(岩波オンデマンドブックス)

ジャパンクールの原点は「江戸文化」にある.

※2007年に出版しましたが、2015年からオンデマンドでもお届けできるようになりました。

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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