700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家、そして彼らと関わる様々な業界人たち・・・と書き手のバトンは次々に連なっていきます。ヒット番組やバズるコンテツを産み出すのは、売れっ子から業界の裏を知り尽くす重鎮、そして目覚ましい活躍をみせる若手まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜くユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第182回は、学生時代、ラジオ番組のバイトで出会った放送作家の事務所に入り、多々、仕事を経て、現在はローカルWebメディア「逗子葉山経済新聞」編集長であり、自分史活用推進協議会認定アドバイザーとして様々な人生に関わるげんまことさん。

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フリーディレクター・夫の収入はいくらなのか

げんまこと
げんまこと
放送作家

30数年前、名古屋の朝の情報番組で出会った夫。
東京の制作会社から出向で来ていたアシスタントディレクターだった。
東京の大学を卒業と同時に私もとある事情で名古屋に来て、放送作家としてその番組に関わっていた。
若気の至り?だったのか、一緒に都内に戻り、2Kのアパートで結婚生活が始まった。

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当時、夫には大学の奨学金返済が毎月重くのしかかっていた。
早々に子宝に恵まれたこともあり、夫は家賃・光熱費、私は食費・養育費を担当すると決め、お互いの収入には関与せず、お互いが貸し借りすることもしない、という約束をした。

子どもたちと家族のイメージ結婚して子宝に恵まれても、お互いの収入に関与しない約束だった

私は主にラジオの放送作家、雑誌のライターとして働き、2人の子どもの保育園代、私立の小、中、高校の学費、塾や習い事代はすべて私が払った(時々、父が心配してカンパしてくれた)。さすがに長男が浪人を重ね、妹と大学が重なった時は夫にSOSをしたが……。
娘の大学の学費を支払い終えたときは、あぁこれで自由になるなぁとしみじみ感じたものだ。貯金なんて当然、できなかったが、なんとかなるだろうと呑気だった。

ところが、フリーとしてディレクターを続けてきた夫の仕事が減ってきていた。
収入を聞かない、という約束はそのままなのでいったいいくら稼いでいるのかわからないが、出かけない=仕事がない、わけだから収入が減っていることは分かる。
ついに、60歳を過ぎた夫から「家賃のヘルプ」発言があった。

大学卒業後も自宅にいた息子、娘も家賃補助をしていたが、在宅の多くなった夫とぶつかることも多くなり、それぞれ家を出ていった。
ということは、その分の家賃補助が私にのしかかってきた。

もし夫に借金があったらどうなるのか

先日、某大学の「地域メディア論」という授業のゲストスピーカーとして仕事遍歴を話した。大学生の頃、放送作家としてスタートし、時には元陸上選手のマネージャーもどきをさせていただいたり、マラソン大会運営会社に入社し、広報業務などをしたりしていたこともあった。
50歳になった時に、文章を書くことが好きだった初心に戻ろうと出版社に入社。
約4年で退社し、編集の経験をもとに、「自分史活用推進協議会認定アドバイザー」という資格を取得して、今は自分史を書きたい人のサポートをしている。

一方、マラソン大会時代に肌で感じた、地域の魅力を発信し、育てていくことができたら、地域に貢献できる、という思いからローカルWebメディア「逗子葉山経済新聞」を2018年4月に立ち上げた。
全国約140地域をつなぐ「みんなの経済新聞ネットワーク」に所属している。そんな話を大学生にしたら、「好きなことを次々にしていくエネルギーがすごい」と感想をもらった。確かに好きなことが次々に目の前に現れて、縁があって変えてきたが、高収入を求めて転職をしているのではないため、お勧めはできない。

ノートに書き留める様子のイメージ「自分史活用推進協議会認定アドバイザー」として、自分史を書きたい人のサポートをしている

最近、長男が私たち夫婦の行末を心配している。
夫に借金があったらどうするのか、と言う。
確かにそうだ。
本人に聞けばいいのだが、聞いても助け船を出せないので、聞かないことにしている。
長男は「せめて今より安い家賃の家に越したらいいのではないか」と勧めるが、ヘビースモーカーの夫と狭い家には住めない。
よって、長男には「どんなに借金があっても大丈夫なように、貯金を増やすしかないよ」と言っている。
どれだけあるか分からない父親の借金のために働け、というのはなんとも理不尽だ。否、まったく借金なんてないかもしれない。

夫婦でお財布を別々にしてきて約40年。
増えたかもしれないときに喜びを分かち合うこともなく、減ったかもしれないときに危機を分かち合ったこともほぼなく、ただ、縁の切れ目といわれるお金のことでもめることはなかった。
まな板の上に乗せてこなかったのだから当然だが。このままこれからも呑気でいられることを願うしかない。

次回は伊藤麻由子さんへ、バトンタッチ!

ぜひ、見てみてください

編集長を務める逗子葉山経済新聞

自分史活用推進協議会

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