700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家、そして彼らと関わる様々な業界人たち・・・と書き手のバトンは次々に連なっていきます。ヒット番組やバズるコンテツを産み出すのは、売れっ子から業界の裏を知り尽くす重鎮、そして目覚ましい活躍をみせる若手まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜くユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第198回は、児童文学作家として活躍し、23年には第5回「西の正倉院 みさと文学賞」第1回「NIIKEI文学賞ライトノベル部門」で受賞した東紀まゆかさん。
受賞したのに、賞金ゼロ!?
皆さんの作家デビューのきっかけは、何ですか?
自分は、新聞社主催の児童小説新人賞に応募し、受賞してデビューしました。
皆さんも経験があるかもしれませんが、賞金の事を、よく周囲から聞かれます。
しかし私は「賞金ゼロ」だったのです。
実質的な、大賞受賞だったにも関わらずです。
何故でしょうか?
それには、当時の私の状況が大きく影響しています。
私は中学3年生の冬休みに長編小説を書き上げ、某新聞社の児童小説新人賞に応募しました。
ちなみに長編小説を書いたのは、その時が初めてです。
今思えば、凄いビギナーズ・ラックですね。
数カ月して、学校の先生に呼び出されました。
僕は中高一貫の学校に通っていたので、中学校と高校が同じです。
この時はもう、高校生になっていました。
「おい、新聞社の人が来ているぞ」
そう先生に言われた時に「あっ、あの小説が入賞したんだ!」と思った時の喜びは、今でも覚えています。
学校の来賓を迎える部屋に、新聞社の方がお1人、いらしていて、受賞を知らされました。
「審査員の先生方の評価が高かったので、大賞とは別に、特別賞という、普段はない賞を設けました」と説明されます。
そして写真を撮られたり、インタビューを受けたりして、その模様は後日、新聞に載りました。
その時は、すっかり舞い上がって気づきませんでしたが、今思えば、不思議な事があるのです。
新聞社の人は、なぜ僕の自宅に連絡せず、学校に来たのでしょうか?
自宅に電話の1本もなく、学校で直接、受賞を聞かされたのには、どういう事情があったのでしょうか?
しかし当時の僕は、何の疑問も感じませんでした。
15歳でデビュー! しかし賞金は!?
僕が受賞した「特別賞」は、賞金なしとの事でしたが、すぐ中学生向けの新聞に連載されました。
いわば、プロデビューです。10代の少年だったら、浮かれてしまいますよね。
さらに新聞連載の際に、挿絵を描いて下さった漫画家さんのつてで、連載終了後、書籍化されます。
その出版社は漫画が中心で、当時は小説を出していなかったので、僕の作品はペーパーバックの様な形で出ました。
表紙に「天才中学生が書いた小説!」という帯がかかっているなぁ、と思ったら、帯ではなく、表紙に直接、印刷されていたのにはビックリしました。
さて、思わぬ形でデビューを飾った私は、「今度こそ、大賞を取るぞ!」と、2作目の執筆に取りかかります。
そして再び、翌年の同じ新人賞に応募したのです。
この2作目は、新聞社の方に「君は1度、受賞しているから」と言われ、1作目と同じ様に、中学生新聞に連載された後、今度は小説を出している出版社から書籍化されました。
この時、連載から書籍化まで、結構、時間がかかったので、僕はその間に、高校を卒業します。
この時に、ひと騒動が起きます。
2作目の小説が書籍化された際に、巻末の解説を、デビューのきっかけとなった新人賞の審査員の先生が書いて下さったのですが……。
そこには、1作目の小説について「審査員一致で大賞に決まりかけたが、彼(僕)の通う学校のお偉いさんから、『学生に大金の賞金を払う事は、まかりならぬ』と物言いがついた」という様な事が書いてあったのです。
当時の僕は、新聞社の人からも、学校からも、そんな事実があったとは聞いていません。
ただ「賞金が出ない特別賞を受賞した」と聞いただけです。
この解説を読んだ時、僕は「ふーん、そんな事があったんだ」と呑気に思っただけでした。
しかし、出版された本を、卒業した母校に献本に行った時に、ちょっとした騒ぎが起きます。
巻末の解説を読んだ職員室の先生方が、「この『賞金を払うな』と言った、お偉いさんは誰だ」と怒り出したのです。
この事実は、現場の先生方も知らなかったのですね。
「君はこの事を知っていたのか?」と先生方に問われ、「知らなかったです……」と、自分が悪い事をしたかの様に小さくなる僕。
先生方は「生徒の創作活動について、こんな形で学校が関与するなど、もってのほかだ」と、我が事の様に怒って下さいました。
しかし前述の通り、2作目の書籍化に時間がかかった事もあり、受賞からは、かなりの時間が経ってしまいました。
学校も、人事異動が何度もあった後で、結局、「『賞金を払うな』と言った、お偉いさんが誰か」は、わからずじまいでした。
僕はその後も、ありがたい事に、2回ほど賞を受賞するのですが。
そのたびに、この若き日の「賞金が出なかった受賞」の事を、思い出すのです。
次回は潮路奈和さんへ、バトンタッチ!
ぜひ読んでください!
発売中の東紀まゆかの小説
第5回「西の正倉院 みさと文学賞」作品集
日本放送作家協会賞を受賞した「ドンタロ様と河童の日」を収録
『NIIKEI文学賞2023 Kindle版』
ライトノベル部門佳作を受賞した「神さまと、夏を探して関川で」を収録
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。