企業の広告戦略やウェブサイトの制作など、デジタルマーケティングの立案と実行に強みを持つ株式会社デジタルアイデンティティでは、2015年からコミット&チャレンジ(通称コミチャレ)という制度を取り入れています。「チャレンジしたい役職を半年間チャレンジできる」というユニークな人事制度で、その間の仕事が認められれば、チャレンジした役職に正式に任命されるというもの。同社代表取締役社長の鈴木謙司さんに、コミチャレ制度を導入したきっかけとその影響についてお話をうかがいました。
「案件優位」で人手不足のベンチャー企業
デジタルアイデンティティはデジタルマーケティング全般を手がける会社ということですが、デジタルということで、やはり社員さんは若い方が多いのでしょうか。
鈴木さん 私はもともとサイバーエージェントで事業責任者として働いていて、独立して立ち上げたのがデジタルアイデンティティです。事業内容も「サイバーエージェントの小型版」というとわかりやすいかもしれません。ただ、私たちが手がけているのはゲーム事業やAbemaのようなコンテンツ事業ではなく、ウェブ広告などデジタルマーケティングの領域となります。
デジタルアイデンティティは2009年の創業以降、過去最高益を出し続けているベンチャー企業です。社員の平均年齢は28歳くらいで、毎年20名ほど新卒採用を続けてきました。
コロナ禍の影響もあったかと思いますが、それでも成長を続けているのはすごいですね。
鈴木さん コロナの影響で、我々のお客さまでもある旅行や飲食、アミューズメントといった業界が苦しみましたが、一方でEC事業者やスマホアプリなどは伸びました。コロナ以前から、特定の業界に依存したビジネスを行うとリスクが大きいと考え、さまざまな業界の顧客とお付き合いしてきました。その方針が奏功したと思います。
創業以来、おかげさまで慢性的に「案件優位」の、常に人が足りない状態が続いています。若い社員がこれからの会社の成長エンジンになっていくことを期待して、2023年の採用は50名を目標にしています。
マネジメント人材を育てるために作ったコミチャレ制度
今回の主題である、御社の「コミチャレ制度」についてうかがいます。どのような制度なのでしょうか?
鈴木さん コミチャレ制度に触れる前に、まず当社の人事制度について説明したいと思います。当社には、リーダーやマネージャーなど管理職を担う「マネジメント職」と、システム開発などの専門職を極める「プロフェッショナル職種」の2つのラインがあって、職位や給与水準によってそれぞれ6等級に分かれています(下図参照)。
入社すると、全員がプロフェッショナル職の一番下にあたる「P1」からキャリアをスタートさせることになります。入社後、P2、P3と専門職を磨いていく社員もいれば、M2のチームリーダーや、さらにM3のマネージャーへと昇格していく道があります。
このような人事制度を作ったきっかけとして、これは当社に限らずベンチャー企業の多くが常に抱えている課題だと思うのですが、技術職がいてもマネジメント人材が足りないという状況がありました。会社が成長して組織が拡大するほどマネジメントの役割が重要になるのですが、そうした人材の供給が追いつかないことが常態化していました。
このような問題意識から、マネジメント職のラインを明確にして、P1の次はP2だけでなくM2にも進めるような体制にしました。
基本的には、それぞれのラインの中でも、ラインをまたぐ場合でも1等級ずつ順番に上がっていくのですが、中には今すぐにでもマネージャーに挑戦したい、執行役員になって給料をアップさせたいという意欲を持つ人もいます。そうした社員に対して、実際にその職務を一定期間任せるのがコミチャレ制度です。
新卒2年目でチャレンジに成功、マネージャーに就任
私もウェブサイトの運営や広告の制作などに携わっていますが、私に限らず社員は制作担当者も営業職も「プレイヤー」に偏っていて、マネジメント人材の不足は私の会社でも実感しているところです。だからこそ、「自分は管理職に向いているかもしれない」という方の能力や意欲をくみ取って、挑戦する場を設けることで、将来の管理職を育成するのは理にかなっていると思いました。
鈴木さん 実際にコミチャレ制度を使って、P1からM3に上がった若手社員もいます。いずれも新卒2年目で制度を使ってマネージャーとなり、今はM4のシニアマネージャーを務めています。当社の将来を担うメンバーとして、おおいに期待しています。
コミチャレ制度はプロフェッショナル職からマネジメント職の登用だけでなく、たとえばP1からP3というように、同じラインの中でもできます。より高度な技術を学びたいという理由でチャレンジして、成功した社員もいます。2021年度までに14人の社員がこの制度に挑戦しました。
チャレンジ失敗も会社にとって貴重な経験
挑戦した方の中には、残念ながらチャレンジに失敗してしまった方もいるかと思います。
鈴木さん もちろん誰でもコミチャレ制度を使えるわけではなく、現在の仕事で十分なパフォーマンスを発揮していることが前提で、そもそもなぜ上の役職にチャレンジしたいのか、その覚悟は本気なのか、私を含む役員との面談で確認したうえで、それが認められれば6カ月間、実際にチャレンジする職位の実務を経験してもらいます。
半年後、結果が伴えばその役職に正式に就任し、給与も役職に応じた水準になります。でも中には実力が職務に追いつかず、落ちてしまうメンバーもいます。コミチャレ制度のような試みは形骸化すると意味がないので、基準を満たさないと判断したら落とさざるをえません。過去にはチャレンジに失敗したのをきっかけに、退職を考え始めた人もいました。チャレンジをきっかけに有望な人材を失うかもしれない、そういう難しさもあります。
チャレンジする方はそれなりの自信と覚悟を持っていると思うので、その実力を毅然と評価しなければいけない立場の方はたいへんだと思います……。そんな苦労の一方で、コミチャレ制度を取り入れてよかったと思えたのはどんな点でしょうか?
鈴木さん 6カ月のチャレンジ期間で、成功する人も落ちる人も含めて、通常の6カ月とは比較にならないほど成長することですね。マネジメント職にチャレンジした人は、たとえ一度落ちたとしても、若いうちにマネージャーのエッセンスを学んだことが良い経験となって、先々のことを意識しながらプロフェッショナル職で数年過ごしたあと、晴れてマネージャーになったという例もあります。
プロフェッショナル職のメンバーから、「マネージャーがどんな仕事をしているかわからない」という声もかつてはよく聞かれました。コミチャレを経てプレイヤーとして戻ってきた人が、マネージャーで苦労した経験を現場のメンバーに伝えることで、マネジメント職への理解が深まることも、この制度を取り入れてよかった点のひとつです。
目に見えて大きな効果があったのは新卒採用ですね。デジタルアイデンティティに入社した人の9割くらいが、「私もコミチャレをしたい」と言っていました。
経営陣が責任を持ち、批判を受け止める
他社でもコミチャレのような制度をやってみたいと考えている経営者の方もいるかもしれません。実際にこの制度を取り入れる際に、気をつけるべきことはありますか?
鈴木さん 「運用こそ命」だと思います。先ほどもお話ししたように、制度を形骸化させないことです。成功の基準を下げないこと、本人の「覚悟感」をしっかりと醸成させたうえでチャレンジしてもらうことが必要だと思います。
そのために大切なのは、チャレンジの結果に対して、経営陣がしっかり責任を持つことです。当社では私を含めた3人の役員が成否を判断しています。落としたことに対する反発や批判も経営陣がすべて受け止めるというスタンスがなければ、社内のあつれきを増やすだけの結果になりかねません。
デジタルアイデンティティにも毎年一定数の退職者がいますが、「これ以上学ぶことがない」とか、「上が詰まっているから」とか、そういう理由で辞めていく人はいません。これもコミチャレ制度の存在があるからこそだと思います。