700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家、そして彼らと関わる様々な業界人たち・・・と書き手のバトンは次々に連なっていきます。ヒット番組やバズるコンテツを産み出すのは、売れっ子から業界の裏を知り尽くす重鎮、そして目覚ましい活躍をみせる若手まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜くユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第176回は、若い頃はTVディレクター、放送作家、BS局プロデューサー、雑誌編集長から映画会社経営まで幅広く業界にどっぷりだったが、近年さまざまな芸事にチャレンジし、還暦過ぎて“木こりさん”に転身した中村五十六(isoRock)さん。
五十六として芸人修行
金儲けが下手である。
そんな私が2度も制作会社を経営した。
徹夜で企画書作りを手伝ってくれた放送作家、評判の良い作品を創りスタッフをまとめてくれた演出家、ひとえに応援してくれた皆さんのおかげで会社を潰さずにすんだ。もう会社経営はごめんだ!
そして56歳になった時に会社を譲り、名前を五十六(isoRock)にして今までと違う人生を行こうと決めた。
まず尺八を習い始めた、しかもレアな虚無僧尺八。
洋楽を聴いて育ったので和ものに興味を持たなかったが、全国各地を行脚する虚無僧の心境に憧れた。
少しばかり上手くなると演奏に誘われ、尺八を吹いてギャラを貰えるようになった。
続いて勢いで幇間芸体験に浅草へ、舞踏体験に横浜へ訪問したが、この2つは事情があり習うことはなかった。
尺八が吹けると言って十三代目の江戸太神楽に入れてもらう。
「おめでとうございま~す」と傘を回し、獅子舞や曲芸を外国人の多いホテルや下町で演じた。
にわか芸人である。
江戸弁を喋る親方は毎回とっぱらいでギャラをくれた。
徐々に金儲けが上手くなったかも。
ところが楽しかった日々は続かなかった、2年後に親方とのサヨナラがやってきた(死別ではない、親方は今も元気)。
コロナがやってきたヤ? ヤ? ヤ?
映像業界をやめた後に、生業としていた音楽サロンの収入がゼロに!
(父の遺した小さなホールをクラシック音楽系のコンサートに貸していたのだが、新型コロナのあおりをもろにくらったのだ)。
もちろんライブ芸人としての江戸太神楽の仕事もなくなった。
ある日、住まいのある鎌倉市内をプラプラと自転車で走っていたら、埋蔵文化財の発掘現場に出合う。
「次はこれだ!」とその日のうちにアルバイト契約を結んでしまった。
もともとかぶり物が好きだった私は貸与されたヘルメットが嬉しくて毎日掘った。
遺構からは鎌倉時代の井戸、器、下駄、箸などを発掘し、新鮮な日々が送れた。
仲良くなった先輩のWさん(3年前に亡くなった)が「縄文を掘ると面白いよ」と言った。
宇宙人としか思えない遮光土偶の縄文!
心が躍り、縄文発掘の募集をネット検索し、山梨県北杜市のNPOの面接に向かった。
そこで約5000年前の住居の発掘をすることになる。
掘ると、ここに人が住んでいた事実がわかる。
それだけで感動。
その時代に何を思い、何を考え、生きていたのだろうと想像する。
答えは「形のあるものはなくなる」現代の私たちと同じ真実だ。
発掘した住居には石で作った祭壇があり、その前に炉、さらに埋甕が!
(亡くなった1歳未満の我が子の再生を願って甕に入れて埋めた)。
そしてすべての直線上に噴火している富士山がある。
縄文人の死生観に心打たれた。
次回も中村五十六(isoRock)さんの後編「木こりへの道」に続きます!
木こり生活が縁で「一般社団法人 富里アニメイトフォレストリー」の役員やってます。
舞茸などのおいしいキノコや木材の販売をしています。
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。