テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第106回は、ジャンルを問わず様々なメディアで活動する脚本家・放送作家・ライターの田中宏明さん。

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バンド時代の悲しい思い出

田中宏明さんの写真田中宏明
放送作家
日本放送作家協会会員

子供の頃にお金の苦労をしたことがない。もちろん父と母のおかげだ。
父は国鉄職員、母はパートで働いていた。とても余裕などなかったはずだが、私立大学の学費も滞りなく払ってくれた。おそらく、裏では相当な苦労をしたのだろう。ここ数年で2人とも相次いで亡くなり、今では感謝を言うこともできなくなってしまったのだが。

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とはいえ、社会に出てからはお金の苦労が絶えなかった。最も生活が苦しかったのは20~30代の頃だ。私は会社勤めをしていたものの薄給で、しかもシナリオ学校に通い、さらにはロックバンドを結成しバンド活動をしていた。
このバンド活動というものが恐ろしく金を食うのだ。楽器代(ベース)や練習スタジオを借りる費用に加え、ライブに出演するのにとてつもない金がかかる。

「え? 何でライブに出演するのにお金がかかるの?」と思うかもしれない。実は、出演にあたって会場のライブハウスからはチケットノルマを課されるのである。1バンド20~30枚だったろうか。1枚のチケット代は2000円程度。それ以上チケットが売れた場合には、1枚につきチケット額の50%程度がチャージバックとなり、バンド側の報酬になる。つまり、一定数以上の集客があればバンドは儲かる。

ドラムやギターなどバンドのイメージバンド活動は恐ろしくお金を食う。ライブのチケットもノルマ制だ

ところが、残念なことにウチのバンドはまったく人気がなかった。チャージバックどころか、ノルマの枚数も売れない。一度、知人にタダでもらってくれと頼んだら、「嫌だ」と断られたこともある。タダでも聴きたくないって、どんなバンドやねん!
なので不足分は自分たちで負担しなければならない。その額は毎回相当なものだった。当時ステージ上で怖い顔をしていたのは、硬派のバンドイメージを体現するためだけでなく、背負ったチケット代の大きさに恐れおののいていたせいかもしれない。

高額な脚本料が目の前に

そんな苦しい経済状況が続いた私に、大金が舞い込むチャンスが訪れた。あるお役所関連の団体が、職員教育用のVP(ビデオパッケージ)を制作するにあたって、それをドラマ仕立てで展開することになったという。ついては、シナリオを書いて欲しいと言うのである。

その時、提示された脚本料は仰天するほど高額だった。当時のテレビドラマの脚本料をはるかに上回っていた。私は一瞬目を疑った。担当者は申し訳なさそうに言った。

「すいません。予算が少なくてこれしか出せないんですよ。なんとかこれで……」
「いやいやいや! 本当にこんな大金をもらってもいいんですか? なんかの間違いではないですか?」と言いそうになるのを必死でこらえて、「まあ仕方ないですね。今回はこれで……」と苦渋の決断をしたように装ったものの、その顔に自然に笑みが浮かんだのは否定できない事実である。

何せ大金がもらえるのだから手を抜くわけにはいかない。取材に取材を重ねてシナリオを完成させた。新人職員が一人前になるまでを描いた30分程度のドラマである。演じるのはテレビ等でもそれなりに名の知れた役者たち。撮影も本格的なものだった。
こうして完成したVPは、なかなかの出来栄えで関係者にも好評だった。もちろん私は所定の脚本料を受け取った。そして早くも次作の構想を練り始めた……。

そうなのだ。このVPはシリーズものでとりあえず3作制作し、その後の続編も構想されていたのだ。その脚本料の総額たるや、想像しただけでニヤけてくる。私は完全に浮かれていた。ウハハハハ。

だが、世の中そんなに甘くはない。その先に暗雲が待ち受けていた。2作目の作品が滞りなく完成し、所定の脚本料を受け取った後のこと。突如として、クライアント筋から横槍が入った。
「ドラマは飽きたから次はドキュメンタリーにして」
3作目の制作を前にして、著名なドキュメンタリー監督が起用された。彼はこう宣言した。
「ドキュメンタリーなので台本は私が書きますので!」
その瞬間、私の破格のギャラ体験は終わった……。

多額の日本円のイメージ目を疑うほど高額な脚本料に、思わず笑みが浮かんだ

あれ以来、驚くようなギャラを提示されたことは一度もない。
私は、どんな仕事でもコツコツとこなしてきた。シナリオも書けば本やウェブの原稿も書く。お堅いビジネスものから、作家やスポーツ選手のインタビューものまで何でも来いだ。カッコよく言えばユーティリティプレイヤー。要するに何でも屋である。

もちろん、生活のためにどんな仕事でも引き受けざるを得なかったためだが、それだけではない気がする。振り返ってみれば、そこにはいつも何か「面白いこと」があった。それこそが何でも屋を続けてきた理由かもしれない。昨日も、今日も、明日も、私は面白いことを探して街をさまようのだ。

次回は神田裕也さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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