テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第107回は、得意分野の特撮やアニメ、ゲームの知識を活かして脚本アーカイブの資料づくりやWEB記事ライターとして活動している神田裕也さん。
文章はコミュニケーション、僕にとっては
僕は特に決まった種類の書く仕事をしているわけではないが、小さい仕事を途切れなくしている。
書くことを始めたきっかけとなったのは小学校の頃からやっていた学校新聞作りからかと。
学校新聞と言っても自分の趣味のカテゴリーの内容をバリバリに詰め込んだゲーム(特にRPG)や映画(特にアメコミヒーロー)などのポップカルチャーを中心に記事を書いていた。
書く事が楽しくなったためか、高校卒業後、ライターを目指して専門学校に通い始めた。
ただ最初は、ジャンルを絞らずに文章で何かを表現したいと思いシナリオや記事、小説まで文章関連の勉強を始めた。
専門学校に入ってからも右も左も分からなくて、何をしたらいいのかと思い悩むこともあったが、友人にも恵まれ、周りに馴染んでいくことで自分の書きたい事をみつけていった。
ただし、そのころはまだ特撮やヒーローが大好きなオタクという感じを持たれていたのかもしれない。
授業で小説、紀行文、記事、シナリオの勉強をしていくうちに昔から大好きだった特撮作品(仮面ライダー、戦隊シリーズ)についての記事を書いた時、授業を担当してくれた先生からとても良くできていると評価してもらって嬉しかったのを覚えている。
それと同時に大好きなジャンルだとここまで自分は何かを書けるものなんだと少々自信がついたのか、心の中でガッツポーズ!
自分が大好きなものを伝えるということは自分にもパワーになるということを実感したのだ。
それから徐々に書くことにやりがいを見出していけたのは、とても充実した日々だった。
やがて他学科との共同制作の話も出始め、自分が書いた小説にイラストがついたり、シナリオの授業が中心となる時期には、文化祭の時には音響制作科との合同制作で初めてオーディオドラマのシナリオにもチャレンジした。
中でも「狐の嫁入り」をモチーフにした自分のシナリオがオーディオドラマになった時は、とにかく、ドキドキワクワクものだった。
自分の書いたセリフに声優科の学生の声が付き、BGMの音楽が付き、作品に仕上がった時はまさに大感激。
いまだに当時イラストや音響など、自分が書いた作品に関わってくれたスタッフにはとても感謝している。
宴会の会費は、実家の農場の野菜と果物で!
卒業後は大手の出版社のライトノベルを紹介するコラム記事の仕事を1年間やらせてもらったり、WEB記事を書いたり、少しずつ様々な世界を見ることができた。
当時の専門学校時代の友人達とは今でも交流が続いており、カラオケに行ったり、映画を見に行ったり、宴会は専門学校時代の担任の先生の家が会場になっている。
先生は若い頃にテレビのアニメ番組や実写の戦隊ものの脚本をたくさん書いて、いまもネットで添削授業もしている。
専門学校を卒業して12年経つが、当時の仲間、男女とりまぜて10人近くになるが、相変わらず先生の自宅に押しかけては、みな終電を気にせず飲んで、酔い潰れ、リビングに雑魚寝で朝を迎えるのがいつものパターン。
朝起きるとリビングのテーブルの軽く片付けをして朝食まで食べて帰ることも、しばしばあったりする。
この宴会は皆それぞれにお酒やお菓子など持ち寄りで集まり、僕は自分の実家の農園から季節ごとの野菜を宴会前にどーんと送ることにしている。
農園はひいおじいさんの代からの続く畑で、ぶっとい葱、大きな玉ねぎ、ほくほくのカボチャ、歯ごたえのあるカリフラワー、甘い人参などが採れる。
夏には採れたてのトウモロコシも送る。それは生でも食べられるくらい甘くてジューシーだ。
そうそう、フルーツも豊富で、りんご、なし、グレープルーツ、キウイなど。
先生もすごくよろこんでくれる。
僕の送る野菜は仲間にも好評で、皆で鍋を囲んだり、BBQもどきをしたり、たわいのない話で盛り上がっている。
最近はゲーム制作の仕事についている同窓生たちが冗談混じりに「いずれ神田の農場で野菜作りできないかなぁ?」というような話をされることもある。
でも、それはまだ少し先のことか、と。
今はその繋がりでアニメ、特撮、ドラマなどのデータ資料作成や日常的なネット記事などの仕事に声をかけてもらったり、専門学校時代の友人や先生にたくさん手助けをしてもらいながら書く仕事を続けている。
この先、自分がこの仕事をどれだけやっていけるのか不安はあるけれど、自分の中で今やれることを出来る範囲で続けていきたいと思っている。
今後もし、運があれば、特撮作品の戦隊シリーズや仮面ライダーシリーズに係わる仕事を夢見ている。
次回は土橋章宏さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。