トヨタ自動車でF1マシンや量販車のエンジニアとして活躍後、ソフトバンクでPepper(ペッパー)の開発に携わるなど、名だたる企業でキャリアを積み上げ、初めて起業した会社で100億円の資金調達を進めながらロボット開発を手掛ける林要さん。常に新しいことを追い求める林要さんが、「KONAKA維新塾」第10回目の講師として登壇。参加者は約100名と盛況の中、前人未到のプロジェクトの立ち上げ方などについて明かしました。(聞き手・文=南野胡茶)
- トヨタからソフトバンク、そしてロボット開発へ。40歳超で見つけた夢。
- 開発資金はコンバーティブル・エクイティの手法で14億円を調達。
- 柔らかくてあたたかい。子どもや高齢者にも愛されるLOVOT。
不安と好奇心のキャリア遍歴、4年おきに素人に
林要氏(はやし・かなめ)
1973年愛知県生まれ。98年トヨタ自動車入社、同社初のスーパーカー「レクサスLFA」開発プロジェクトを経て、2003年よりトヨタF1(Formula 1)の空力エンジニアに抜擢され渡欧。07年トヨタ自動車にて量販車開発マネジメントを担当。11年、孫正義後継者育成プログラム「ソフトバンクアカデミア」外部第一期生に選出。12年ソフトバンク入社、感情認識パーソナルロボット「Pepper(ペッパー)」のプロジェクトメンバーに登用される。15年、GROOVE X設立。
GROOVE Xの林要です。当社は、LOVEをはぐくむ家族型ロボット『LOVOT(らぼっと)』を作っています。今回の講演では、前半はLOVOTについて、後半は新しいことを始める際の考え方について話します。
まず、私のキャリアから紹介します。私は大学院卒業後、トヨタ自動車に入社しました。(自動車開発に不可欠な)空力エンジニアとして従事し、F1マシンの開発チームの一員として開発に明け暮れ、帰国後は量販車の開発に携わりました。その後、孫正義後継者育成プログラム「ソフトバンクアカデミア」の外部生となり、ソフトバンクへ転職後は感情認識パーソナルロボット「Pepper(ペッパー)」の開発プロジェクトに取り組みました。そしていま、GROOVE Xを起業し、LOVOTを作っています。
これだけ聞くとキラキラした順風満帆なキャリアのようですが、私にとっては不安と好奇心が交互に来るようなキャリアでした。4~5年おきに新しいことに取り組むキャリアとは、4~5年おきに素人になるということです。ある仕事に4年ほど没頭し、ようやく周囲に一目置かれる実力を培った頃に、次のステージに移動する。そうすると、年齢の割に仕事について何も知らない人になります。これをずっと繰り返してきました。
トヨタ自動車に入社した当初、自動車の運転をして車の実験をするモノづくりをしたいと思っていました。しかし、実際に配属された部署はコンピューターを使った解析作業が中心で、運転による実験の要素はありません。この時点で拗ねています(笑)。拗ねながらも続けていくうちに、解析業務と並行して、スーパーカー(レクサスLFA)開発の仕事にも携わるようになりました。念願のモノづくりができるようになり、スーパーカーの開発に打ち込みながら、周囲の協力を得て、当時は革新的とされる技術提案を取りまとめました。役員報告にあげたところ、まったく受け入れてもらえず、役員から叱られました。しかし、この出来事がきっかけとなり、F1開発チームへ配属されることになりました。叱責した時のことを覚えていた役員が、私を根性のある若者と判断し、F1開発チームに送り込む人材として選出してくれたのです。
F1開発チームは非常に水が合い、仕事に没頭しました。ここで学んだことは、一人の力では限界があるということです。職人気質を止めて、チームで働く必要がある。それを学ぶため、F1リームへの赴任が終わったあとは、国内の量販車の開発部に戻りました。そうして志を新たにF1開発チームから量販車の開発部に戻ったのですが、ここで自分は量産車開発の基本のイロハすら知らないことを思い知らされることになります。例えば、F1マシンのことをいかに知っていても、量販車のカローラは作れない。1円安く、1g軽く作るために求められる技術は、これまで学んできたことと全く異なりました。いい年なのに、なにも知らない人として、一から出直しです。会議に参加してもリードできるはずもなく、当然、他の人のほうが詳しい。それでも、3年、4年と従事していると、その道の人としてそこそこまでいけます。ようやくそこまできたというときに、私はソフトバンクアカデミアに通い始めました。これの何がいけないのかって、ソフトバンクアカデミアは刺激が多いことです。魅力的な人が多いのです。そうして最終的に、転職を決めてしまうわけです。
初めての起業。資金調達額は4年で100億円
ソフトバンクに入社し、これまでのキャリアとは無縁のロボット事業を担いました。ロボット産業は、当時まだ立ち上がっていない産業。つまり、成功者がいません。だから失敗しても当然だという思いで取り組みました。ロボット事業は一度も触れたことのない分野でしたが、いざ始めたらとても面白く、最終的には今の自分の新しい会社を立ち上げるまでに至りました。自分の思い描くロボットを作るという夢が、40歳を越えてようやく見つかりました。私は、夢は簡単に見つかるものではないと思っています。必ずしも夢を持っていなければならない、というわけではないでしょう。夢がない人が、夢がある人をサポートすることや、馬鹿にしないことも大事なことです。
初めて起業したわりに、私はかなり大胆なことをしました。まず、一人で投資家のところへ行き、「モノができあがるまでに4年かかります。必要な資金は100億円です。4年間で100億円集まらなければ会社は倒産します。投資してください」と頼みました。
(会場笑い)
無謀だと思いきや、意外と資金は集まるもので、いま88億円くらいまで資金が調達できています。まもなく100億円に到達するでしょう。普通だったらこのようなプロジェクトに誰も出資しないと思いますが、自分の夢を語っているうちに共感してくれる人が出てくるのです。だいたい40人に1人くらいは理解を示してくれます。
私たちは、日本の新規事業を元気にしていきたいという想いで取り組んでいます。しかし、想いだけで事業は成り立ちません。共感いただいた方のお金を会社の血液とすることで、事業は回っていきます。当社は、「コンバーティブル・エクイティ」という手法で合計14億円の資金調達を行いました。コンバーティブル・エクイティとは、ベンチャー企業やスタートアップ企業などの創業間もない企業が、時間と手間を節約することで本業に集中しながら資金調達ができる手法です。米国のシリコンバレーで生まれたこの資金調達手法は、当時の日本ではまだほとんど知られていなかったもので、当社と提携する森・濱田松本法律事務所の増島雅和先生が担当してくれました。日本でコンバーティブル・エクイティを実現した増島先生の功績は、2017年6月の英フィナンシャル・タイムズが主催した「FT Asia-Pacific Innovative Lawyers 2017」の「Protecting & Unlocking Value部門」で1位を受賞するなど、高評価を受けています。
なぜこの話をしたのかというと、自分たちの後進となる起業家が新規事業を立ち上げる際の参考にしてほしいと考えたからです。資金調達においてコンバーティブル・エクイティを活用しようとすると、当時はまだ苦労することが多くありました。コンバーティブル・エクイティという手法自体が投資家に十分浸透していないことや、これまで投資家有利に進められてきたシードファイナンスの世界を起業家ファーストとする試みであるため、投資家を説得するには、シードファイナンスのリテラシーを身に着け、それなりにエネルギーを費やす必要があるからです。しかし、コンバーティブル・エクイティはスタートアップ企業にとって、従来からある投資家有利な資金調達手法よりも起業家フレンドリーです。後進の起業家の方には、ご自身の事業の将来性を考える上で、こうした選択肢があることを知っておいてもらい、日本のスタートアップファイナンシングを米国西海岸に少しでも追いつかせたいと思っています。