自分のライフスタイルを言語化する
きっぱりと自分の意見を言うってなかなか難しいと思うんです。
自分の生き方を否定されるようなことを言われたとき、まずは傷ついたという感情が押し寄せて、とっさに上手く言い返せないなんてこともあります。
なかけん そうなんです。
私が主催する交流会でも鉄板で出てくるようなネタで、みんな毎度毎度同じ経験をしています。“こうすべき”というベストな対処法なんてないんですよ。
自分と正反対な、恋愛至上主義のブームに違和感なく溶け込めている人たちだって、その人自身の生きてきた歴史があるんです。
このような人たちだって、皆さん恋愛や性愛に関して自身のルールを持っていたり、それが実は強い刷り込みによって確立されたものであったりする場合もあるかもしれません。
では、最低限こちらが少しでも悲しい思いをせずに生きていくためにはどうしたらよいのでしょうか?
なかけん 不安や悲しみ、生き辛さに対処するためには、自分のライフスタイルを普段からちゃんと考えておくことだと思います。
「自分は恋愛や結婚するよりも、〇〇をしていることがすごく幸せだ。将来的には〇〇したいと思っている」
と、ここまで言語化して考えておけば、誰かから非難されたとしても、ちゃんと言い返せます。
それに、自分自身も「もし恋愛や結婚が普通だとしても、私には必要ない」と割り切ることができます。他者の言葉より自分の生き方を大切にできる人になります。
「なぜ人が押し付ける“普通”に負けそうになるのか?」と考えてみましょう。
もちろん負ける人が悪いわけではありませんよ。
ただ、誰しもが負けそうになってしまう理由は、相手が発する“こう生きたほうが楽だよ”とか“こうしたほうが無難だから”というメッセージが嫌でも伝わってくるからです。
これは私の場合なのですが、それに自信を持って反抗できる、自分らしい生き方を見つけられるように、日々心掛けています。
もちろん、それは直接主張しなくても、自分の心の中に少しだけ持っているだけでも十分だと思います。
「自分VS普通」と考えずに、全部“普通”と受け入れられる境地まで行きつければ、楽なのかもしれないですね。
なかけん ええ。恋愛至上主義的な考えを変えることは難しい。
だから、まずは自分がどう考えるかという感覚を変えることにフォーカスしたほうが生きやすいと思います。
アセクシュアルの交流会に来てくださる人の中で、わりとたくさんの方が「自分は欠落品だと思っていた」「これまで“普通”と言われてきたことが出来なかったから、できない自分がおかしいと思い込んでいた」とおっしゃるんですよ。
これも一種の周りからの圧力や刷り込みのせいだと思うんです……。
そういう方たちを含めて、私が生きづらい想いを抱える人に思うことは、自分自身がどんな生き方をしていてもおかしくないと言い続けてほしいということです。
もちろん人を傷つけたり、法を犯すようなことはいけませんが。
でも、それ以外で“間違った生き方”とか“正しい生き方”なんて、本来ないと思うんです。
ちょっと倫理的な話になってしまいましたが、少なくとも自分に対してだけは、“普通”とか“普通じゃない”という意識を外してほしい。私はそう願っています。
なかけんさん、この度は、かなり答えづらいような質問にも快く応じていただき、本当にありがとうございました。