ベンチャー企業といってもその中身は千差万別。本連載では、さまざまな業界で活躍するベンチャー起業家たちの仕事や生き方に迫ります。第3回は、企業向けに求人・採用のウェブ関連サービスを提供する株式会社ネットオン代表取締役の木嶋諭さんに、起業までのキャリアや「採用係長」のサービスを立ち上げた経緯、今後のビジョンについて聞きました。

木嶋諭さん

木嶋 諭さん
株式会社ネットオン 代表取締役

1980年兵庫県神戸市に生まれる。扱う商材は別ながら祖父君もご尊父も貿易商。神戸高校から同志社大学工学部電子工学科に入学。卒業時には教授に推薦されたメーカーではなくビジネスモデルの特許事務所に入所、その後大手通信会社系のコンサルティング会社を経て2004年株式会社ネットオンを起業。高校ではビジュアル系のロックバンドでギターを弾き、大学ではテニスサークルで会長を務め、現在でも休日には経営者仲間とテニスを楽しむことも。仕事への情熱、高い志とプライベートと、公私のバランスの取れた人柄が魅力の若き起業家。

株式会社ネットオンホームページ
2017年6月にリリースしたクラウド型採用マーケティングツール「採用係長」が急成長し、注目を集める関西発のベンチャー企業。「採用係長」は零細企業や地方の企業など人材確保に悩む多くの企業や地方銀行などから熱い支持を受けている。また求人広告に頼らず企業自身のホームページで応募が来るような仕組みを作るコンサルティングも行い「採用マーケティング支援No1企業」を目指している。ほかにホームページ制作を自社完結できるテンプレートモンスターの提供なども手掛けている。

インターネットの可能性に魅力を感じ、一人で起業

最初に、起業の動機など教えてください。

木嶋 祖父も父も貿易の仕事をして自分で事業を起こしていたので、やはり漠然と自分も何かをしようと考えていたのだと思います。ただ、それも今から思えばということで、昔から熱い情熱を持っていたということではありません。それでも卒業を迎えるときに、普通は工学部の学生ではよくあるような、「ゼミの教授が推薦する会社への就職」という選択はできませんでした。それはそれでありがたい話ではあるのですが、何か自分でしようと考え、同志社を卒業し、当時脚光を浴びていたビジネスモデル特許を扱う特許事務所に入所したのです。

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関西では関西学院や同志社のご出身者の中には、ご実家をいつか継ぐから、という感覚を持たれている学生も多いとお聞きします。やはり、その感覚もあったのでしょうか。

木嶋 いえ、それは全くありませんでした。祖父は戦争から戻ってドイツ人のパートナーと、もともとあった化学品などを扱う商社を引き継いで経営者になりました。父は祖父の会社を引き継ぎましたが、新規事業として始めた輸入高級家具の扱いを増やしていきました。家を継ぐ、継がせるといった重々しいものはなく、「自分が好きと思うことを仕事にしなさい」という方針でした。
それに同志社といっても内部進学ではなく、神戸高校から受験しての入学でしたし、小中学校も神戸大学附属で、私立出身ではない、ごく普通の学生だったと思います。工学部のある田辺に一人で下宿させてくれてありがたいと考えていたほどです。

特許事務所の仕事は単調でもあり、すぐに大手通信系のITコンサルティング会社に転職したのですが、仕事をしながら照明器具の輸入を始めようと土日でショッピングサイトの立ち上げにチャレンジしたりしました。もしこの事業がスタートし、成長したら、もしかしたら父の高級家具の会社と繋がったのかもしれませんが、私自身の関心や事業の領域はまた別な方向に進みましたし、残念ながら高級家具という領域は特にリーマンショックの後、厳しい時代にもなりましたので、父の事業を継ぐという形にはなりませんでした。
起業について話を戻すと、2004年、大手通信系のコンサルティング会社にいた頃は、GMOやサイバーエージェントなどIT系ベンチャーが話題になり、とても輝いて見えた時代でした。また、私自身がWebの可能性についてたまらない魅力を感じていて、何かやれるのではと思っていました。

先ほど照明器具のサイトについて触れましたが、ショッピングサイトについて自分で制作する中で、サイト制作にとても便利なテンプレートを販売する、ウクライナに本拠を持つ「テンプレートモンスター」というサイトに出会い、これだ、と思って交渉して日本だけではなくアジアの代理店窓口となる権利を獲得したのです。政府も起業を後押しする施策に取り組み始めていて、特別期間を設けて会社設立の条件を緩和していたので、ここでいこう、と会社を退職、たった一人で起業しました。2004年の秋でした。

日本だけではなくアジアの代理店だったのですね。

木嶋 起業するときから、日本だけではなく広く世界を相手にビジネスをしていきたいと考えていました。そこに至るステップはあると思いますが、現在でも世界を相手にしたいと思い続けていますし、インターネットの世界にはその可能性があると思っています。

ネットオンのオフィス

人材系のマーケティング支援に事業を絞り込む

起業後の歩みや、現在急成長している「採用係長」のサービスの内容、「採用係長」に出会うまでを教えてください。

木嶋 起業してしばらくはテンプレートモンスターの販売やそこから派生するホームページの作成業務、ホームページを立ち上げた後の集客のコンサルなどを、システム構築も含め、手掛けていました。WebマーケティングやWebサービス、広告のサポートという領域ですね。ホームページを作成するのでデザイナーを雇い、またコンサルのできる営業を雇い、という感じです。仕事の結びつきの中から、自分で起業していた人が、現在は当社で役員になってくれているような、そんな形で仲間も増えていきました。
インターネット看板の開発というような領域も手掛けました。テンプレートモンスターの海外運営のため、2007年には台湾、2008年には中国にも子会社を設立しました。

ただ、思いついたことをそのまま事業化していく、という繰り返しで、ほとんどがうまくいかず、売上については一つの壁ができて、なかなかそれを破れない時期が続きました。2008年のリーマン・ショックで広告関連の業務が少し厳しくなっていったこともあり、このままではいけないと経営者のための様々な勉強会に積極的に顔を出すようになりました。

2014年からは大阪の起業家の集まりである「秀吉会」に参加するようになったのですが、そこで自身の事業や事業プランなどを他の起業家の皆さんにプレゼンする機会を得たことが契機になりました。もう一度自分の事業を見直した時、事業が分散していることに気づいたのです。Webマーケティング支援も、人材系のマーケティング支援、不動産のマーケティング支援、専門学校のマーケティング支援に分野が分かれていました。
よく「選択と集中」といいますが、人材系のマーケティング支援に絞り込みをはかろうと考えました。

それが「採用係長」に繋がったのですね。

木嶋 採用マーケティングに関しては大手企業を対象にしたサービスは競合も多く、充実もしています。そうではなく競合の少ない分野を考えたときに、中小企業・零細企業の深刻な人手不足、そこの解消にこそ行く道があると思えたのです。

「採用係長」は採用ページを2分で無料作成し、それを最大7つの求人検索エンジンに自動連携、反応のあった応募者の管理などを一元的に行えるサービスです。「全ての企業に最新の採用力と応募者との最高の出会いを提供する」が事業ミッションであり、「採用係長」のコンセプトです。
ポイントはお仕着せの媒体ではなく自社の採用ページに求職者を誘う仕組みであることで、リリース以来、大変な支持をいただくことができました。クラウド化の流れにも乗って2017年6月にクラウド版を正式リリースしたのですが、すでに導入社数は2万4千事業所を超えて現在も増え続けています。

日本の豊かさを次の世代に受け継ぐ

増資にも積極的に取り組まれています。

木嶋 「採用係長」をまずは全国に広げていきたいと考えています。例えば地方の活性化のためには人材難に悩む地方企業が採用力の面でも都会の企業に負けない状況を作らなければならない。また、情報発信にこそ問題があって、本当は可能性に満ちているそうした企業の価値に応募者が気づかないのであれば、それは人材のミスマッチとして成長を阻害する要因になります。その意味では南都銀行との提携、南都リースからいただいた出資は一つのモデルとして重要な一歩だったと考えています。

また、メガバンク系や大手証券系などのベンチャーキャピタルからの出資も、経営が結局は資本力も含む総合力で決まるとするなら、勝負を賭けるような局面で外部資本を仰いでも投資していくのは正しいと考え出資を仰ぎました。確かに経営の自由度への制約になるという考え方もありますが、一方では外部資本は経営に対する牽制の側面を持ちますし、それがむしろメリットだと考えたのです。

今後のビジョンや事業を通じて成し遂げたいことなど教えてください。

木嶋 まずは、「採用係長」を広めることに注力していきたいと思います。
次に事業を通じて成し遂げたいことですが、最初の質問に絡んで、祖父や父が貿易商だったと話しました。私は彼らから事業そのものは受け継ぎませんでしたが、そんな環境だったからこそ受け継いだものがあります。

小さな頃、よく外国人が我が家に遊びに来たり夕食に来たりしました。そのような席で、彼らが日本製品や日本の素晴らしさを称賛してくれるたびに、何か誇らしい気持ちになりました。子供だったからでしょうか、例えばニンテンドーのスーパーファミコンの素晴らしさ、について彼らが触れてくれるたびに嬉しく感じました。彼らはまた、ソニーの素晴らしさ、ホンダの素晴らしさ、など語ってくれました。

普段我々が当たり前に考えている、この日本の豊かさや素晴らしさを祖父の世代や父の世代の方々は懸命に努力して作ってきてくれました。それを私達の世代で途絶えさせる訳にはいかない、と思うのです。豊かさを受け継いでその豊かさを更に次の世代へと繋いでいきたい、それが事業を通じて叶えたい私の理想でもあります。

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