テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第32回は、ボーカリスト、DJとしても活躍する放送作家の鮫肌文殊さん。
湯水のごとく制作費をつぎ込んでいた時代
東京オリンピック2020開会式、制作・演出チームに関わったクリエイターの方々の名前の発表を見て驚いた。私の所属事務所である古舘プロジェクトの先輩作家、樋口卓治がライターとして名を連ねていたからである。
絶対に漏らしてはいけない守秘義務契約があるためか、彼がオリンピック開会式に携わっていたことを事前に1ミリも知らなかった。すごいぞヒグタク! もし開会式を1本の特番として考えたなら「制作費165億円で全世界生中継のスポーツ番組」を担当したことになる。まさに空前絶後の予算のテレビ番組だ。
こと番組予算で考えると、地上波の番組が予算削減の大波に晒されて久しい。ド深夜の番組で1本あたりの総制作費2ケタ万円なんて、信じられない金額を提示され卒倒しかけたこともある。フリップ1枚すら発注出来ず、スケッチブックを代用している深夜番組さえある体たらく。
しかしバブルの時代、地上波が湯水の如く制作費を1本の番組につぎ込んでいた時期が確かにあった。
放送作家を30年もやっていると「やってもうた」な経験は幾度となくある。今回は私、鮫肌文殊の黒歴史として聞いていただきたい。
放送作家の思いつきが通ってしまう
今を去ること24年前、「とんねるずのみなさんのおかげです」がリニューアルされることになった。演出家としてとんねるずが指名したのが「料理の鉄人」で名を馳せていた田中経一。「ハンマープライス」で一緒だった縁で、その新番組のメイン企画となるコーナーも田中さんと私が担当する運びに。
いろんな企画が考えてはボツ、考えてはボツの繰り返し。追い詰められていたんだろうか。今でも覚えているが、私の頭にお台場の競馬場に集まった数千人の若者が破ったハズレ馬券が宙に舞うイメージがパッ!と浮かんだのである。
「ねえねえ、お台場に競馬場作って芸能人で競馬やんない?」
今ならば「そんな与太話、いくら金かかると思ってんだ!」で一蹴されると思うが、そこはイケイケドンドン楽しくなければテレビじゃない時代のフジテレビ。そんなアホアホ企画が通ってしまったんである。
当時建設中だったお台場新社屋の前の広大な土地に、1カ月かけて本物の競馬場が新設された。
「これ一体全体いくらかかってんだ?」
急ピッチで出来ていく競馬場、数億円規模のビッグプロジェクトを任された企業の担当者ってこんな気持ちになるんだろうな。「一介の放送作家の思いつき」が現実化していくのを、背中がゾワゾワしながらただ眺めていた。
そして1997年4月にスタートした「とんねるずの本汁でしょう!」。芸能人がガチで競馬をやる「ダービーキッズ」は瞬間最高視聴率20%超えを果たした回もあったのだが、他のコーナーとならすと数字的には振るわず1クールで打ち切りに。
おそらくゴールデンのレギュラー番組としてはありえない億単位の金額の大赤字をぶっこいて終了とあいなったのである。
今でも私がお台場に足を向けて寝られないのはこのためだ。
しかし。
今いくら地上波にカネが無いと言っても「24時間テレビ」だって「オールスター感謝祭」だってまだやっている。局をあげた企画であれば現在でもでっかい予算は割り当てられるはずだ。
そう考えれば、まだまだテレビは夢の箱なのである。若いクリエイター志望の皆さん、ネットじゃ味わえない興奮が待っているテレビ業界を目指してみませんか?
ただし、競馬場を作るのだけは止めたほうがいいと思う。老婆心ながら。
次回は高谷信之さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。