テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第33回は、劇作家としても長いキャリアのある脚本家で、G.Cこと英語読みにするとグランドキャニオン=高谷信之さん。

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流れ流れて……

高谷信之さんの写真
高谷 信之
脚本家
日本放送作家協会 元理事
日本劇作家協会

東京で生まれたものの記憶はなく、戦後父が20種類以上職を変え、一家7人中部地方を転々としてたどり着いた静岡。当時、偏差値などのない時代で、運だけで受験校静岡高校に入ってしまったのでした。
受験勉強はほっぽらかしでバイトと演劇部の活動に明け暮れ、気が付くと成績は360人中347番(当時試験の成績は廊下に1~360番まで名前を張り出すという時代でした)。気が付けば行く学部もなく、運だけで、早稲田の第二文学部演劇科に何とか入れました。

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早稲田では、授業にすぐ飽き、劇団「こだま」に所属し学生演劇を始めました
そこで極めて優秀な人たちに出会いました。理工学部、政経学部、法学部等の人たちに比べれば、第二文学部演劇科などはたいした事はなかったのです(あくまでもこれは1960年代初めの頃の話です、現在のことではありません)。

ところが、演劇という土俵の上に立つと芝居のセンスの有る奴とない奴、授業をさぼれる奴とそうでない奴に大きく分かれるのでした。
最近、鴻上尚史さんが大隈講堂横の稽古場を書かれていましたが、私たちの頃の部室は21号館裏の長屋で、そこに劇研・自由舞台・こだま・素描座の4劇団が2つの稽古場を交互に使い、教育学部の屋根裏に、亡くなったキッドブラザースの東由多加さんのいた劇団「仲間」があった時代でした。

この長屋が劇研の出した火事で全焼する前は、そこを本拠に大隈講堂(当時2000人は入るといわれた)で年2回の公演を打つのが定番でした。
定番とあえて言うのは、創作劇などを自分たちで書くという風潮もなく、狭い小劇場で芝居を打つという想像力を持たない時代だったのです。

早稲田大学大隈講堂のイメージ画像
早稲田では極めて優秀な人に出会ったが、演劇という土俵に立つと芝居のセンスの有る奴とない奴に分かれた
BjornBecker / Shutterstock.com

劇団こだまでは、田中千禾夫さんの「マリアの首」を演出し、サルトルの「汚れた手」やテネシー・ウィリアムズの「焼けたトタン屋根の猫」など計4本を演出しました。
やがて、世に出る別役実さんや鈴木忠志さん達、自由舞台の卒業生で作った新劇団自由舞台にも、エネルギーの余った私は現役の役者の一人として参加し、別役実さんの「象」の再演に男2の役をいただいて出たり、まあ、自分でいうのもおこがましいが八面六臂の活躍をしました。

この時期に久米宏や村野武範、あの田中角栄のお嬢さん田中真紀子、長塚京三など後輩と一緒に上記の芝居をしました。
さて、それから5年いた早稲田を中退して、7年のモラトリアムの引きこもりの時代が続くのですが、ここでは触れません。

やはり芝居か?

7年の雌伏の後、ある事件があって、やはり自分の出来ることは芝居しかないと、29歳の折、4歳年をサバ読んで、五月舎という養成所に入りなおしました。

雌伏の時は一切芝居を見なかったので、当時、状況劇場や天井桟敷・自由劇場・早稲田小劇場のいわゆるアングラブームに芝居の世界は一変しており、今浦島の私はとてつもないショックを受けました。

私の養成所へ入った狙いは、7年前失敗した劇団を作る事でした。
翌年1973年8人の仲間とともに八騎人(ハッキジン)という劇団を作る事ができ、何故か旗揚げ公演に初めて書き演出したアメリカ1930年代のマラソンダンスを素材にした「難破船」が、当時の演劇誌「新劇」「テアトロ」の劇評で絶賛され、勢いに乗ることが出来ました。

翌年、たまたま3回目の公演を見に来てくださったNHKのディレクターIさんから、ラジオドラマを書いてみないかと勧められ、書き始めたのがこの世界への始まりでした。

ラジオスタジオのイメージ画像
劇団八騎人の公演「難破船」がきっかけとなり、ラジオドラマの脚本を書くことになった

以来「中学生日記」やNHKの一般のテレビドラマも書きましたが、作者の書いたセリフをきちっと守ってくれるラジオドラマに魅了され、ここまでやってきました

途中、悪い癖で芝居をやりたくなり、今度は若い人たち40人と組んで「劇団ギルド」という集団を作って、作演出で20年30数本公演を打ち大変な赤字を出して、2018年に解散し、現在も借財を返しているという状態です。

ラジオドラマでは、ギャラクシー賞の奨励賞や芸術祭の大賞もいただきましたが、芝居の世界は中々保守的で、正当な評価のないまま、現在は一人芝居や小説などにも手を出したりしております。
芝居の劇団をつくっても、大隈講堂での1000人単位の人に見ていただくスペクタクルな3時間~3時間半の癖がついて、経営と中身の乖離が永遠の課題でここまで来てしまったという具合です。

これからも風に吹かれて行くのでしょうか、芝居の海に涯はないもので……。

次回は放送作家の小笠原英樹さんへ、バトンタッチ!

是非ご覧ください!

現在「風に吹かれて山頭火」(仮題)という一人芝居と「60’18―書き割りの中で―」の小説執筆中。最新情報はSNSとブログでマメに発信しています。

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ブログ G.C.daytripper気まぐれ日記

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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