テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第64回は、テレビ、動画、ラジオ、イベントの企画や構成など、ジャンルを問わず幅広く活躍する放送作家の市川幸宏さん。
違う、そうじゃない
「儲かりまっか?」
会うと決まって、こう切り出す友人がいる。関西人でもないのに。返す台詞に選択の余地はない。
「ボチボチでんな」
ここまでが挨拶文のデフォルトだ。友人はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。どうやら、何か誤解されているらしい。考えられることはただ一つ。“ボチボチ”というスモークのようにフワッとした言葉だ。煙に巻こうとしたのに巻き切れていない。試しに広辞苑を引いてみる。
① 幾つもの小さな点。また、小さな点が散在しているさま。
違う、違う、そうじゃない。
② 物事の進行がわずかで緩慢なさま。
そう、こっち。思うに友人は、言葉の意味について間違った認識は持っていない。初期設定の目線の高さが違うのだ。例えて言うなら、タワマンのペントハウスと長屋のようなもの。同じ街にあり、同じ方角に窓があっても、その先に広がる景色はまるで違う。放送作家の言う“ボチボチ”はそれなりの高所にあると思われているらしい。この際だから、キッパリと言っておく。違う、違う、そうじゃない。
札束を扇子代わりにして扇ぐセレブのような暮らしをしている放送作家なんて殆どいない。多分いないと思う。いないんじゃないかな。ごく一部のヒットメーカーを除いて……。「放送作家は儲かる」という概念は一昔前の都市伝説に過ぎない。
宝くじは買わない
一攫千金を夢見たことが一度もないかと言えば、嘘になる。ただ、わりと若くして気づいてしまった。どんなにお金があったって、幸せになれるはずがない。
同世代のビジネスパーソンより稼ぎが多かったこともあるかもしれないが、明らかに少ないと秒で確信した年もある。浮き沈みは「無精床」の親方が柄杓で桶の縁を叩いた時に俊敏な動きを見せるボウフラのような激しさだ。ポカンとした人は寄席に行ってください。
「一本いくらぐらい貰えるの?」
単刀直入に訊く輩もいる。どういう育ちをしたのだろうか? 立川志の輔師匠の名作「親の顔」に耳を傾け、己を見つめ直してもらいたい。
単価は実に不透明だ。高校生の一日のバイト代に満たない仕事もあれば、歌舞伎座の客全員に牛丼を奢れるほどの額をいただける場合も。歌舞伎座の客が牛丼を口にするかどうかという問題はさておき。
カタギの人には理解不能な悪習もある。仕事を始める前でなく、終わってから報酬を提示されるケースが圧倒的に多いのだ。こういう職業は他にあるのだろうか? あったら、どなたか教えてください。令和の時代に許されるのかどうかも。
これほど不安定な立場に置かれながらも、足を洗うことなく、数十年にわたって映像及び音声の海を漂い続けているのは何故だろうか? それは、お金に換えられない輝きが大波小波の間にあるからだ。
フランスの小説家、アルベール・カミュはかく語る。
「貧困は必ずしも憎むべきものではなかった。何故なら、太陽と海は決してお金では買えなかったから」
自分にとっての太陽と海を見つけられれば、漂流するのも悪くない。
次回は劇作家で俳優の丸尾聡さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。