テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第101回は、多数の人気番組の企画・構成・演出を手がけるほか、エッセイ・小説や漫画原作、映画・ドラマの脚本の執筆、ラジオパーソナリティなど多岐にわたり活躍する鈴木おさむさん。

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なんだかんだで、バブル感は残っていた

鈴木おさむさんの写真
鈴木おさむ
放送作家
日本放送作家協会会員

僕がこの世界に入ったのは1991年。バブルが崩壊したと言われる年だが、いやいや、まだまだ全然バブルだった。
20歳でこの業界に入った僕は、まず、ニッポン放送で山田邦子さんの番組に、下積み作家として入れてもらえました。
半年間はギャラ0円でしたが、どこの馬の骨かもわからない僕にチャンスをくれるんだから素敵な業界です。放送作家見習いではありましたが、やる作業と言えばAD業務みたいなことばかり。でも、その中でたまに小さな原稿を書くチャンスをもらえて、自分をアピールしている。

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ラジオ番組は毎週土曜日放送だったのですが、終わって毎週、山田邦子さんと、10人以上のスタッフと「打ち上げ」をするのです。
焼き肉かしゃぶしゃぶを、交互に。しかも「高級」です。僕のような見習いにも散々食べさせてくれる。一次会が終わって二次会は六本木の高級カラオケ。深夜3時くらいに終わると、僕にもタクシーチケットをくれるんです。もう全てがキラキラしてました。すごかった。

結果、なんだかんだで2~3年はバブル感が残っていた気がします。

原稿を書くイメージ
たまにもらえる小さな原稿を書くチャンスで、自分をアピールしていた

コント1本1000万円、マヨネーズのプールは400万円

ラジオで修行を積ませていただいて、そのあとはテレビ番組を沢山やらせていただきました。96年からは「SMAP×SMAP」を始め、潤沢な製作費で沢山のバラエティーを作らせていただきました。一本のコントに1000万近くの予算を使っていたこともあります。

他の番組でも400万円かけてマヨネーズのプールを作ってみたりと。すごかった。
90年代後半。とある番組のプロデューサーに「おさむは頑張ってるから、正月、ロケハン行ってきていいよ」と言われました。ロケハンというのは簡単に言うと下見です。深夜番組をオーストラリアでやるというので、そのロケハン。

ロケハンとは名ばかりで、普段頑張ってるスタッフの慰安旅行みたいなもので。もう至れり尽くせり。行き帰りの飛行機はビジネスだし、ホテルも高級。そして極めつけは。小さな飛行機を一台貸し切って、その飛行機でグレートバリアリーフに。なんと海の上に着陸することが出来る飛行機で、無人島でバーベキュー。贅沢なロケハン……だったんですが、結局、その番組が作られることはありませんでした

海に浮かぶ飛行機
海に着水できる飛行機に乗り、無人島でバーベキューをしたことも

今考えると無茶苦茶です。番組制作にかけられるお金も、打ち上げのお金もすごかった。

すごかったんですが……「良かった」とは言ってない
すごかったし、あの頃はあれが普通だったけど、今は違います。あの頃に比べると製作費は半分、いやそれ以下に下がっている。コロナもあってスタッフで打ち上げすることもない。
だけどね。今は今でいい。変化していく状況の中で知恵を絞って番組を作っていく。
この先、テレビ界がどうなっていくかはわからないけど、10年後に振り返った今も、結果、おもしろい時代であるはず……と思って毎日を過ごしています。

次回は、安野智彦さんにバトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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