テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第128回は、シナリオライター、作家の鷺山京子さん。
その根っこをたどってみると
「煙立つ立つ青い空 勝田の街が伸びてゆく」
私が卒業した小学校の校歌です。これだけで、時代と街の空気が伝わってきませんか? そう、時は高度経済成長時代、所は地方の企業城下町。その中流サラリーマン家庭に、私は生まれ育ったのでした。
まだまだのんびりした時代で、自然もたっぷりありました。現代に比べたら貧しい暮らしでしたが、みんなそんなものなのでたいして気にはなりません。今から思えば大人には様々な事情や苦労もあったでしょうが、子どもはのんきなものです。当時の印象だけで例えるなら、「ピングー」のような毎日です。うちの両親はペンギンではないので、さすがにあれほど牧歌的ではありませんでしたが。
つまるところ、1人の人間としては恵まれた幼少年時代を過ごしたといえるでしょう。思春期に多少神経症的なところに迷い込んでも大禍なく乗り切れたのは、そうした環境が自己肯定感やバランス感覚を育ててくれたおかげかと思っています。もっとも作家としても「恵まれた」と言えるのかどうか微妙なところではありますが、それはまた別の話。
そう私は、作家になりました。言わずと知れた浮草家業です。高度経済成長時代的堅実路線を、大きく外れてしまったわけです。浮草といっても最初は沈みっぱなしです。ようやく浮き始めたと思ったら、また沈む。足がかりになる地面などないわけですから、不安定もいいとこ。若いうちはまだよかったのですが、年齢やキャリアを重ねたからといって安定するとは限らないのが、この稼業の悲しさです。
気がつくのが遅かった?
さて、浮草が沈んでいたある日、たまたま高村光太郎夫妻(だったと記憶してますが、別人かもしれません)のエピソードを知りました。2人は貧しく、日常的にはつましい暮らしをしていたらしいです。しかし、たまにお金が入ると、派手に使いまくってあっという間に散財してしまったというのです。
「そうか、そうだったのか」目から鱗が落ちました。「私は、少なくとも金銭感覚的には、浮草稼業に最も向かない人間だったのだ!」
20代でシナリオライターとしてよちよち歩きを始めてからウン10年、曲がりなりにもこの仕事を続けてこられたのですから、作家としての素質が皆無だった訳ではないでしょう。しかし前述のような環境で育った身には、光太郎のような野放図な金銭感覚は毛ほどもないのです。懐が潤っていてもちんまりと暮らし、前途に不穏な空気が漂えば、実際の3倍ぐらいの速度と深度でただただ落ち込む。いやはや……。
さて長らく漂い続けた浮草も、人生の秋を過ぎ冬の時代に入ると、何かと落ち着いてまいりました。とはいえ油断は禁物です。父は数年前、92歳の天寿を全うし、母は5月に100歳の誕生日を迎えました。親類にも90オーバーがずらり。どうやら長寿の家系のようです。「だからパッパカパッパカお金使っちゃう訳にいかないのよぉ」と、友人たちには話していますが、半分は本気です。
なぜ「半分」なのか? 半分は、「使えるうちに使っちまおうぜ」と思っているのか? もうお分かりでしょう。「3つ子の魂100まで」とはよく言ったもの、本気にも嘘気にも、使っちゃう選択肢は最初からないのです。
いやまてよ、今後男に騙されたりすれば、ガラッと変わるかもしれません。ということで訂正です。「3つ子の魂100まで……今のところは」。
次回は矢野了平さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。