テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第158回は、連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』、大河ドラマ『八重の桜』などの脚本を手掛ける山本むつみさん。
頭の片隅で鳴っていたアラート
「あの時、なぜあんなことをしてしまったのだろう。できることなら時間を巻き戻したい……」と、激しく後悔するような失敗は誰にでもあるはず。たとえば詐欺。自分だけは絶対に騙されないと思っていても、ものの弾みか気の迷いか、ついフラフラッと引っかかってしまうことがあるものだ。
昨年の暮れ、典型的な「パソコンサポート詐欺」に遭った。正確に言えば寸前で踏みとどまったのだが、それでも結構な損害をこうむることとなった。私はかつて、パソコン雑誌の編集部に何年も身を置いていたことがあるし、ドラマ執筆のために詐欺師の手口をあれこれ調べてもいた。それなのに……である。いかなる天魔に魅入られたのか、見え透いた手口にまんまと引っかかってしまったのだ。
それは12月半ば、「有力政治家が架空パーティで金集め」というネット記事を見ていた夜のこと。記事の続きを開こうと、怒りを込めてマウスをクリックしたその途端、パソコンの画面が「セキュリティ警告」に切り替わり、ビーブーと激しい警告音が鳴り響いた。止めようにも止まらない。
まずい……私は焦った。
その日は、年末恒例の大型歌番組がある。なんとしても「Mrs. GREEN APPLE」をリアタイしたい。一刻も早くこの状態から脱け出さねば……。
警告画面には、「パソコンの電源を切るとデータが失われる恐れがあります。ここに連絡してください」と、サポートの電話番号が載っている。「これって、ヤバいヤツじゃなかったっけ?」と、頭の半分でうっすら思いながらも、つい携帯電話を手に取っていた。早くしないとMrs. GREEN APPLEを聞き逃してしまう……。
電話に出たのは、ややたどたどしい日本語を操る外国人男性だった。その微妙な言葉の不自由さが、私にはかえって本物らしく思えた。少し前にネット通販のサポートと連絡を取ったことがあり、その時に電話対応してくれたのも日本語がちょっと怪しい人で、「最近のサポートは外国人留学生のアルバイトなのかね」と、友達と話したばかりだったのだ。
「なんか怪しい」と、頭の片隅でアラートが鳴っていた。しかし、その微かな音は、目の前のパソコンが鳴らす大音量のビーブー音にかき消され、私は電話の男に言われるがまま、パソコンを遠隔操作するソフトをインストールしてしまったのだった。親切に教えてくれている相手を疑うのは悪いよね、なんて変な負い目まで感じながら……。
いくら私がボンクラでも、フツーならパソコンを乗っ取らせるような馬鹿なまねは絶対にしない。でもね、やっぱりあるんですよ。天魔に魅入られる時というのが。
あの夜、電話さえかけなければ……
相手の指示に粛々と従っていた私が、ハッと我に返ったのは、電話の男が「セキュリティをもっと強固にしましょう」と、ファイアーウォールの料金表をパソコン画面に表示させた時だった。警告画面と不快な音から救ってくれるはずの人が、ここでお金の話なんてする!? こんなの間違いなく、100パーセント詐欺じゃないの!
「これ詐欺ですよね」と強めに指摘すると、男は慌てはじめ、次第に口調が乱暴になる。本物のサポートならそんな対応あり得ない。「詐欺でしょ、通報しますよ!」と言い募ると、男の態度が豹変した。「バーカ。日本の女バーカ」と捨て台詞を吐くやいなや、私のパソコン内のデータを次々と消し始めたのだ! 腹いせなのか侵入の痕跡を消すためなのか、目の前でフォルダやファイルが消されていくのを見ながら、どうすることもできないあの絶望感……。電話の向こうから、男が仲間と笑う声が聞こえていた。
その数日後、本物の優秀なサポートの方に診ていただいた結果、消されたデータは復旧できず、パソコンは初期化することになってしまった。その経費と国際電話代(私が電話をかけた先はUSAだった!)に、パソコンを元の状態に戻したり、念のためにクレジットカードを止めたり、暗証番号を変更したりすることに費やした労力の数々を加えると、かなりの損害である。あの夜、電話さえかけなければ……。
この悪質なパソコンサポート詐欺の被害は、いま相当な数に上っているらしい。とはいえ詐欺としてはあまりに平凡過ぎて、ドラマのネタにもなりゃしない。ただ損をしただけのことで、あんまりバカバカしいから、せめてご同業の皆様が同じ手口に遭って大事なお金や原稿を失うことがないようにと、その顛末をご紹介した次第です。
次回は大井洋一さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。