テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第141回は、「ナインティナインのオールナイトニッポン」「ドレミファドン!」などを手掛ける、放送作家の川島カヨさん。

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「初期アバター」のまま、フリーランスの道を歩み始める

川島 カヨ
川島カヨ
放送作家
日本放送作家協会会員

「放送作家とお金」というテーマを頂き、思いだすのは放送作家になったばかりの頃の事です。私が放送作家になったのは1999年。まだインターネットもそれほど整備されておらず、各企業のホームページもそこまで整備されていなかった時代でした。

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放送局で契約社員としてアルバイトをしていた私は、お世話になっていた放送局の方に「あんまり女性の放送作家いないからやれば?」というざっくりした採用理由で放送作家になりました。私自身も放送作家という職業に興味はあったものの、フリーランスで活動をしていくという事を深く考えず放送作家としての道を歩みはじめました。

私の記憶だと当時は「フリーランス」という言葉もそれほど一般的ではなく、今もそうだと思うのですが、学校などの授業で「会社員とフリーランスの違い」など、教えてもらう事はありませんでした。

正直「会社ってあった方がいいのかな~でも何がいいんだろう? よくわかんないな~」程度の浅はかなものです。社会の仕組みなど全く興味もなかった私は、何の準備もせず知識ももたずゲームでいう初期アバターのまま、フリーランスの道を突き進むことになりました。今思えば、この頃の私にお金のことを勉強しておけ!と言いたい。

初期アバターのイメージ
川島さんは「初期アバターのまま、フリーランスの道を突き進むことになった」と語る

相談できる先輩を作り、自分の値段は自分で決める

当時20代前半の私はなーんにも考えておらず、なんとかなるでしょ!ぐらいお気楽に考えていました。当時はインターネットに今ほど情報が溢れていなかったため、呑気な私は節税だの、資産運用だの自分には全く関係ない事だと何も考えずに生きていました。

お金の事って人に聞きにくいじゃないですか? 特にギャラのお話をする時など「おいくらですか?」と聞かれた時、若い時は震えたものです。「基本的な自分の仕事に対する値段」を自分が持っていなかった事が問題だったのですが、会社員ではないので、誰に聞いていいのかもわからず困り果てていました(優しいフリーランスの先輩に助けて頂き、なんとか今も生きております)。

それから一番苦手な事としてインプットされてしまっていたお金の話。年齢的にそうもいっていられないと、最近は自分で調べたりすることで少しはマシになりましたが、初期アバター状態の頃は収入が少し増えた年の翌年にきた税金のお知らせを見て慌てた事もあります。

フリーランスで活動する人は「相談できる先輩を必ず作ること」そして、「自分の値段を自分で決める事」をして、制度などをその都度調べる事をお勧め致します。

……そして、時代は変わり、今度は「インボイス制度」というものが始まってしまいました。今回の請求書もどうやって出すのが正解なのか諸先輩のご意見も聴きつつ、きちんと学んでいきたいと思います。

次回は脚本家の末安正子さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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