700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家、そして彼らと関わる様々な業界人たち・・・と書き手のバトンは次々に連なっていきます。ヒット番組やバズるコンテツを産み出すのは、売れっ子から業界の裏を知り尽くす重鎮、そして目覚ましい活躍をみせる若手まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜くユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第187回は、元放送作家で今は心理カウンセラーの清田予紀さん。

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マイホームは築100年の蔵

清田予紀さんの写真清田予紀
蔵見ニスト
心理カウンセラー

この30年ほど、私が住まいとしているのは蔵である。
建てられたのは大正の末か昭和の初めらしいので100年近くは経っている。
江戸時代は土蔵と呼ばれていたものだ。
当時は、木の骨組みに土と漆喰を厚く塗り固めて造られていたけれど、我が家は一応鉄筋コンクリート製だ。
というのも、頑丈さが売りだった土蔵も、関東大震災でその脆さが露呈してしまったため。
家主さんによると、地震で壊れた土蔵の土台だけを残して、上物は鉄筋コンクリートで建て直したとのこと。

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それが功を奏したのは太平洋戦争も終わりに近づいてからだった。
この蔵のある神楽坂界隈も空襲で焼け野原になったらしいのだけど、蔵だけは無事だったのだ。
空襲に備えて蔵の床下に防空壕を掘っていた家主さん一家はそこに避難して助かったという。

そんな歴史を刻んできた蔵だけど、戦後、昭和50年代に住居として貸せるように改造され、小さな2階建ての家に生まれ変わった。
それを借りたのが筆者だったというわけ。

1階にバス・トイレと仕事部屋、2階にはキッチンとリビング兼ベッドルームがあって普通の家と変わらない生活ができる。
蔵だけに天井がなく吹き抜けになっているので開放感もある。

その一方で、階段は急角度で踏み外すと怪我をしかねない。
窓は小さいのが各階に1つだけ。
だから、昼なお暗い。蔵は一見保温性が高そうだけど、なにぶん壁は剥き出しのコンクリートなので夏冬は電気代がかさむというデメリットもある。

筆者の玄関の画像我が家の玄関。鉄扉で囲われているのは蔵の名残り(写真:筆者提供)

なのに長らく住み続けてきたのは、住み始めてすぐに迷い犬を保護して、結局その子を飼う羽目になったのが理由の1つ。
野良だった子と暮らすために、散歩もままならないマンションに引っ越すという選択肢がなくなってしまったのだった。
もう一つは、蔵が至極便利な場所にあったこと。
山手線の真ん中辺りにある(最寄り駅は神楽坂か飯田橋)ので、どこへでも短時間で行けるし、終電に乗り遅れても頑張れば歩いて帰れる。
これは大きい利点だった。

都心の蔵探しにハマった理由(ワケ)

そうやって蔵暮らしに馴染んでしまうと、当然のことながら蔵のことが詳しく知りたくなってきた。
住み始めて間もなく、近所にあった屋敷が代替わりで蔵もろとも解体されてしまったから余計に気になった。
なにしろ蔵は江戸時代や明治時代の遺物だ。
動物でいえば絶滅危惧種のような存在。
いつ消えてしまっても不思議じゃない。

そこで思い立ったのが、山手線内の蔵探しだった。
範囲を限定したのは、他の地域より開発が進んでいるので、より絶滅危惧度が高いに違いないし、探す価値もある。

まずは、お膝元の新宿区内の蔵探しから始めて、お隣りの区へと、だんだんと範囲を広げていった。
探すこと数年、40戸ほど蔵を見つけた頃だったろうか。
あることに気づいた。それは、蔵がいくつも残っている地域と、ほとんど残っていない地域があるということ。
不思議だった。

その疑問を解決してくれたのが神保町の古書店で見つけた『戦災消失区域表示 帝都近傍図』だった。
これは敗戦後の昭和20年末に発行された地図で、東京のどこが空襲で焼失したかが赤色で表示されている。
3月10日の東京大空襲などで焼かれた下町はどこもかしこも真っ赤だ。
被災者や遺族の方たちにとっては見るのも辛い地図だろう。

『戦災消失区域 帝都近傍図』画像神保町の古書店で見つけた『戦災消失区域 帝都近傍図』が疑問を解決してくれた(写真:筆者提供)

でも、その地図が疑問に答えを出してくれた。
探し当てた蔵を地図に当てはめてみると、ほとんどが赤く染まっていない場所=空襲に遭わなかった場所にあることがわかったのだ。
台東区の谷中、文京区の根津、千駄木を総称して「谷根千」というけれど、この地区に蔵がいくつも残っているのは、空襲に遭わなかったおかげとも言えるのだ。

谷根千地域の拡大図の画像谷根千地区を拡大してみると、戦災に遭わなかったことがよくわかる(写真:筆者提供)。

つまり、この地図の赤くない(空襲で被災していない)地域には蔵が残っている可能性が高いということ。
実際、本当にそうだった。
おかげで蔵探しも楽になり、見つけた蔵も100戸を超えた。
それを記念して蔵の写真展を開いたところ、それに興味を持った出版社が本にもしてくれた。

けれど、その本を開くたびに心配になる。
というのも、本で紹介した蔵がすでに1戸2戸とどんどん姿を消しているからだ。
本で紹介できなかった蔵も含めれば、ここ数年だけで20戸近くが解体されてしまった。
このままでは、遠くない将来、蔵は東京都心からは消えてなくなってしまいそうだ。

でも、嘆いてばかりでは何も始まらない。
なので、少し希望のある話を。

池尻大橋駅の近くに『ギャラリー徳の蔵』という施設がある。
こちらは、長野県の奥地にあった蔵を解体・移築して造られたギャラリーで、アンティークな蔵の面持ちを残しつつ、機能的に造られていて美術展や音楽会の会場にぴったり。
とても素敵な空間だ。

オーナーにお話を伺ったところ、蔵自体はタダで引き取ったこともあり、解体・移築費用は同程度の家を建てるのとほぼ変わらなかったそうだ。
つまり、地方の不要になった蔵を移築して再生し活用できれば、都心に新たな蔵が増えていくということ。

どなたかトライしてみる気はありませんか。

次回は、佐々木清隆さんにバトンタッチ!

都心に残る蔵にご興味があれば是非!

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