80歳にしてパチンコライターを目指し、「パチンコ新人ライター見習い」の肩書でYouTubeでの動画配信を始めた不二子さん。おばあちゃん×新人×パチンコ(そしてお酒もたばこも大好き!)という異色の取り合わせが話題を呼び、アップした動画は多いもので80万回以上再生されています。なぜパチンコライターを目指すの? SNSは自分で運用してる? そもそもどんな人? ——気になる疑問を直接ぶつけてきました。(聞き手・文=まわた)
- 80代にしてYouTuberデビュー!再生回数80万回以上の動画も。
- 14歳で丁稚奉公に。パチンコに狂い借金を抱え、お店もたたむ。
- お金のことで争いたくない。適当なぐらいが丁度いい。
居酒屋での出会いをきっかけにパチンコライターデビュー
パチンコ新人ライター見習い
不二子さん(ふじこ)
――今日はよろしくお願いいたします。それにしてもお元気ですね。今年83歳とは思えません!
不二子さん おかげさまで。パチンコとお酒とたばこが健康の秘訣です。悪いのは頭と顔だけ(笑)。
――そんなことないです!(笑) それではまず、パチンコライターを目指したきっかけから教えていただけますか?
不二子さん よく行く居酒屋の常連客に誘われたのがきっかけです。パチンコの話で盛り上がり、動画を撮ってみないかという話になって。その常連客というのが、今日も一緒に来てくれている藤巻さんです。
藤巻さん 私の本業が動画制作なんです。不二子さんの動画編集やSNS運用は、私が本業とは別の遊びとしてやっている感じです。
――なるほど! 動画の編集がお上手なのには、そういう理由があったんですね。
藤巻さん YouTubeで動画を配信するとともにTwitterを始めてみたら、面白がってくださる方が多くすぐにフォロワーが増えました。パチンコライターの収益の一つに、パチンコ店の宣伝のためギャラをもらってそのお店にパチンコをしに行くというものがあるのですが、不二子さんにもだんだんオファーが来るようになっています。
最近は動画のアップをサボっているので、不二子さんが死んでしまったのではないかと心配して下さるファンの方もいるみたいで……(笑)。
――確かに、YouTubeでは「不二子さんの生存確認ができないと不安」というコメントがよくついていますね(笑)。
不二子さん SNSへのコメントは沢山いただいていて、読み切れないほどです。パチンコ屋さんまでビールやジュースを持って会いに来てくれる人がいたり、「カワイイ」と言ってくれる人も多かったりと嬉しいですね。
藤巻さん 動画も、本当はちょっと変な風に編集した方が面白いと思うのですが、そうするとファンの方に「不二子ちゃんをいじるな!」と怒られてしまうんです。なので、ほんわかした感じに編集するよう心掛けています。ちなみに今は、「不二子の孫オーディション」という企画が進行中です。選んだ人を不二子さんの動画に出してあげることで、有名になるお手伝いをしてあげるのが目的です。SNS経由で参加者を募集したところ、50~60件ほどの応募がありました。
「藤巻さんは、友達のような孫のような存在」と語る不二子さん。とっても仲がよさそうです。
9人兄弟の長子として、14歳から一家を支える
――前からパチンコを仕事にしたいと思っていたんですか?
不二子さん パチンコライターを始めたのは80歳のころ。もう2~3年が経つけれど、まさかパチンコが仕事になるとは思っていませんでした。遊んでいるだけのような感覚で、今までの仕事よりずっと楽しいですね。
――今まではどんなお仕事をされてきたのでしょうか。
不二子さん 初めての仕事は14歳の時です。生まれ育った東京の家にお金がなく、一家心中しないといけないような状況だったため、9人兄弟の一番上の私が岐阜へ丁稚奉公に出たんです。なかば売られていったようなものですね。
奉公先の置屋(芸子をかかえておく家。茶屋などからの客の注文で女性を手配する)では下働きとして、芸子さんの身の回りのお世話などをしました。当時は洗濯機がなかったから、洗濯物も手で洗ったりと大変でね。そのうえ家に帰れるのはお盆と正月だけ。お盆も休めるのは一晩のみで、またすぐに仕事へ戻っていました。「お前は顔が悪いから芸で稼がなくちゃ」と言われ、太鼓から三味線から、叩かれて叩かれて教わりましたよ。
ただ、しばらくしてその置屋は辞めざるを得なくなりました。18歳未満の子供を芸子にしてはいけないのに、私を含めて何人か子供がいたのが警察に見つかってしまったんです。私なんて、無理やりお座敷に出されているんじゃないかと疑われてしまって……本当はそんなことないのに、信じてもらえませんでした。
ピースサインがトレードマークの不二子さん
――お金の苦労が絶えない幼少期だったんですね……。
不二子さん やっぱり9人兄弟は大変ね。おふくろが一番下の妹を妊娠した時は、これ以上お金で苦労するのは嫌だと言って両親と3人で喧嘩したほどです。「みんなの食べる量を減らして、私を働きに行かせて、それなのにまた子供ができたら前と変わらない。何のために生むんだ!」と聞いたら、おやじに竹の棒でパーンと叩かれたのを覚えています。
でも一番お金の苦労をしたのは、岐阜で自分のお店を経営していた時ですね。丁稚奉公時代に出会った彼氏がお金を出してくれて、喫茶店を開かせてくれたことがあったんです。その時にパチンコに狂ってしまって……。
お店はお昼ごろで早々に閉めて、その日の売上をレジから持ち出してパチンコ屋さんへ通っていたんです。パチンコがしたくてうずうずしちゃって、店番なんてとてもしていられなかった。しかも、消費者金融みたいなところからお金も借りちゃって……借金の利子って高いでしょう! それがだんだんきつくなっちゃって、最後は土地もお店も全部売って借金を返して、友達の一杯飲み屋で働かせてもらって何とかなりました。
その後は、60歳くらいの時に15歳下の妹が一緒に住まないかと誘ってくれて、東京に戻ってきて今に至ります。
――パチンコのしすぎでお金が無くなってしまうのは、なんとも不二子さんらしいエピソードです。パチンコは若いころからお好きだったんですか?
不二子さん パチンコは14~15歳のころから遊んでいました。当時のパチンコは手動で球を打つ仕組みでね。スマートボール(昭和初期に流行したピンボールのようなもの)もあって楽しかった。お酒は数えで17か18歳くらい、たばこは15歳くらいから吸っていました。たばこはおふくろが好きだったもんで、キセル(煙草を吸う道具。パイプを細長くしたようなもの)にたばこを詰めて火をつけてくれってよく頼まれていて。そうやって手伝っているうちに、今度は私がたばこを覚えちゃったんです。
――現在では考えられないようなお話ばかりです……! 不二子さんの人生には歴史が詰まっていますね。
「MonJaのチラシにサインを下さい!」の無茶振りにも、快く応えてくださいました。普通に名前を書いてもらうだけのつもりが、想像の斜め上を行くユニークなサイン!
お金のことは「適当でいいんじゃない?」
――パチンコライターで稼いだお金は何に使っているんですか?
不二子さん パチンコとお酒とたばこ代に充てられたらいいのですが、そうもいかなくて。一緒に暮らしている妹の金遣いがすごく荒いんです。毎日昼から飲みに行って、お金が無くなったら家でずっと寝ています。パチンコのギャラも、年金も、妹が全て握って管理してるんですよ。お金のことで喧嘩になると嫌だから、何も言いませんが……。
お酒は毎日欠かさないそう
――えーっ! それは優しすぎませんか?! 不二子さんは若い時から家族のために働いてきた人なのに、それを今でも続けているだなんて。心が広すぎます……
不二子さん もう、どうしようもないのよ(笑)。お勝手はやらない、洗濯もしない。全部私がやってるんだから。今日も、ゴロゴロしている妹のご飯をよそってから家を出てきました。行きつけの飲み屋でツケにして飲んでくるから、それだけはやめてと言っているんですけどね。そのツケを入ってきた年金で返して……ってしていると、またすぐにお金がなくなっちゃう。だから、ずっと自転車操業状態です。
――そんな生活だと、ストレスが溜まってしまいそうです。パチンコ以外の楽しみや息抜きは何ですか?
不二子さん 今は週に1回デイサービスに通っています。同じ施設に通う同年代の人とお喋りしたり、カラオケしたり、一緒にお風呂に入ったりするのが一番の楽しみですね。
今は前ほどパチンコをしたいとも思わなくなりました。頻繁にパチンコ屋さんへ通うとクセになってしまうけれど、行かなきゃ行かないで大丈夫。でも、お酒は好きでずっと飲み続けています。私はビールが好きで500mlの缶をよく買うのですが、パチンコに比べればずっと安全で安上がりな趣味ね。
最近やっと、「お金がもったいない」という気持ちが理解できるようになってきたんです。もっと早く覚えられたら良かったのですが(笑)。
――最後に読者へ、お金のアドバイスをお願いします!
不二子さん うーん……お金のことなんて、適当でいいんじゃないの?悪いことをせず正直に生きていれば、必ず良いことが返ってくるもの。心配しすぎなくても何とかなりますよ! それに、お金を貯めようとするあまりケチに暮らしていても、人生は楽しくなりませんから。
――波乱万丈な人生を乗り越えてきた不二子さんの口から聞くと、言葉の重みが違います……! 将来のお金も大切ですが、今を楽しく過ごすことも忘れずにいたいと思います。今日はありがとうございました!