令和ストーリーは突然に

みなさん新元号「令和」には、もう慣れましたか?
新元号が発表された4月1日の約11時30分、私はちょうどランチタイムで近くのパン屋に出かけ、カレーパンを食べている最中でした。
そんな食事中、突然届いたLINEニュースからの通知により、1人静かに寂しく新元号を知ることとなったのです。
周りを見回せば、みんなもくもくとパンをほおばっており(もちろんパン屋なので)、「新元号?何それ」状態です。
特段いつもと変わった様子がなく、「ここだけ別の世界線?」と勘違いしそうなほど平和でした。

別に私自身、新元号に浮足立っていたわけでもないのですが、元号発表の日が近づくとニュースでも頻繁に取り上げられ、世間を賑わせていたので、いくらクールな感じを気取って興味がないフリをしてみても、ちゃっかりソワソワした気分にさせられたものです。

個人的に、「令和」は別に悪くないと思うのですが、新元号を知る前のソワソワ感が少し懐かしく、いざ知らされると「はい、そうですか。いいんじゃないでしょうか?」と途端になぜか冷めてしまう自分がいます。
別に決まったのが「令和」じゃなくとも、同じように感じていたと思うので、とても理不尽なのは承知しております。
「旅行前が一番楽しい」という現象と一緒なんでしょうか?

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インターネットからSNSまで~20代が過ごした時代の変遷~

昭和に比べるとだいぶ短かった平成ですが、実に濃厚な時間でした。
私は平成のすべてを生き抜いていないのですが、青春時代のすべてを平成に捧げた身からすれば、平成は産業革命レベルの激動の時代だったように感じます。
以下、平成の流行を私の基準で振り返ってみます。

【幼少期~小学校時代】(1990年代前半~2000年代前半)

インターネットが普及したてで、1998年発売のコンピューター『iMac G3』が家に来た時には、母はホームページを作ってみたり、私たち子どもは学習用・娯楽用CDソフトに夢中になったりで、コンピューターを“未来の機械”として崇めていました。
そして、小学校にパソコンの授業で、「最先端といったらインターネットでしょ?」というノリで、検索エンジンの『Yahoo!きっず』で、検索の練習を習ってみたり。


1998年にAppleから発売された初代iMacである『iMac G3』。13色展開というカラーバリエーションの豊富さと、内蔵された機械や配線をスケルトン加工であえて透けさせて可視化するというポップなデザイン性で、センセーショナルなデビューを果たしました。私の家では、まさに写真と同じカラー『Bondi blue』を所有していました。懐かしさももちろん、今インテリアとして部屋に飾ったとしても違和感のないAppleのデザイン性には脱帽です。

【中学時代】(2000年代前半~2000年代後半)

ちょうどこのころ、日本人にとってはなつかしの通信会社Vodafone(ボーダフォン。現在でも世界では携帯電話の超大手企業)の日本法人を買収したソフトバンクが、新たに携帯市場へ参入します。
さらに、同時期、私の地元の広島では、ようやく交通系ICカード『ICOCA』が上陸しました。
料金をチャージするという感覚に初めて触れて、心躍ったものです。

また、このころようやくお馴染みの動画サイト『YouTube』が日本に普及し始めます。
当時はまだYouTubeには英語表記しかありませんでしたが、中学レベルの英語力で何とか解読しつつ動画を見ていたものです。

【高校時代】(2000年代後半~2010年代前半)

高校時代に入ると、ようやくスマホが普及し始めるものの、スマホ所有者はまだクラスに1人いるかいないかというレベル。
このころとっくに『iPhone』は発売されており、友人の1人が持っていたのですが、当時は「すごい!あのiPhoneだ!ちょっとだけ使わせて」とせがむぐらい、スマホはまだまだ目新しいものでした。

当時はまだガラケーが主流です。
連絡先交換といえば、赤外線通信によるメールアドレス交換が基本でした。
当時の女子高生は、待ち受けや着うた、着メロに凝っていました。時代を感じますね。

【大学時代】(2010年代前半~2010年代後半)

SNSが世間で大流行し始めたのは、私が大学生になってからでしょうか。
大学に入り意気揚々とスマホに買い替え、まずは『LINE』を入れたものです。
そして『Twitter』、『Facebook』などのSNSがいつのまにか普及し、コミュニケーションツールとして必須になりました。
思えばいまの20代は、実はわりと最近になってから、SNSやスマホと接するようになりました。
世代の分類は、いまの10代以下にあたるデジタルネイティブ世代と、それより上の世代で2分化されそうですね。

さて、自分の一生を振り返っただけでも、身の周りの生活は見違えるほど変化してきました。
技術革新により新しいライフスタイルが生まれた一方で、日本経済は「失われた10年」「平成不況」と呼ばれるような長引く不況に苦しみ、「9.11」や「東日本大震災」などの予期せぬ大被害を被ることもありました。
平成は、苦境の時代ともいえそうです。

さて、実は以前に「あの素晴らしいバブルをもう一度」という、バブル時代のお金にまつわる流行語を紹介する記事を掲載したのですが、今回のテーマはその続編に当たります。
平成31年間の短いようで長い歴史の中で、どのように人々の生活が変化したのか? お金に対する価値観はどんなものだったのか?
平成に流行ったお金にまつわる流行語とともにおさらいしてみましょう。

平成のお金にまつわる流行語3選

① 同情するならカネをくれ!

<基本情報>

1994年に日本テレビ系列で放送された大ヒットドラマ『家なき子』の劇中の名ゼリフ。
同ドラマは、最終回が37.2%という高視聴率を獲得し社会現象にまで発展。
当時12歳、主人公を演じた安達祐実さんの出世作とも言われ、彼女の熱演も見どころの一つです。
壮絶ないじめや暴力、貧しすぎる暮らし、荒んだ家庭環境など、幼いながら波乱万丈すぎる人生をたくましく歩む主人公の姿には、世間の厳しさへの怒りを覚えるとともにやるせなさに自然と涙があふれてきます……。

この「同情するならカネをくれ!」のセリフは、安達祐実さん演じる主人公の相沢すずが発した言葉。
すずは、重度の心臓病から病床に倒れる母の手術費用をねん出するために、同級生の給食費を盗んだり、スリをしたりと、犯罪に手を出すのもいとわないほどお金に対する執着が何よりも強い子。
毎日生き抜くために必死な彼女にとって、他人からの共感なんて実生活に役に立たないものよりも、とにかく先立つモノが必要だったからこそ出たセリフといえるでしょう。

<例文>

A:「へえ、財布と定期忘れたんだ。ほんとにかわいそう。それじゃあ、家に帰れないね。もちろん同情はしてるよ? でも、ないものは仕方ないもんね」
B:「同情するならカネをくれ!」

<イメージ>

「家なき子」放映時はギリギリ生まれていましたが、まだ「泣き喚く」「トイレ」「ミルク」「寝る」の4行動しかできない時期で、当時流行っていたことは、正直まったく覚えていません。

しかし、今回「家なき子」のストーリーを調べていくにつれ、今なら炎上からのBPO案件が予想されるほどの演出の過激さや、「少年犯罪」「家庭内暴力」「いじめ」などの社会問題を余すことなくあぶりだしたストーリーには、思わず固まってしまうほど衝撃でした。
いじめシーンも「さすがにやりすぎだって……」とドン引くレベルの過激さ。
ここまでパンチが効いた作品は、心に響かざるを得ません!

バブルの終焉やバブル下の過度な競争社会が産み出した、まさに異色な社会派ドラマだと感じました。

② ヒルズ族

<基本情報>

2000年代、「六本木ヒルズ森タワー」に会社を構えていた経営者たちのこと。
彼らの多くは、若くして起業したITベンチャーの経営者や日々株価の値動き追い大金を動かす個人投資家。
インターネットの急速な普及と1998年の外為法改正により、FX取引(外国為替証拠金取引)が誕生したことから、高リターンを追求する投資家たちはこぞってFX取引をしたものでした。
(FX取引は外貨預金と比較して何十倍もの高リターンを得ることができる半面、大きな損失を招く可能性もありますが、適切な証拠金率で適度な投資を行う限りにおいては、決して危険なものではありません。要は使い方の問題です)

ヒルズ族のアグレッシブな億単位のお金の稼ぎ方は、不動産取引がメインだった1980年代のバブル期の経営者と違うところが物珍しさを呼び、メディアから一躍脚光を浴びることとなります。
とはいえ、当時のメディアの多くは肝心な事業そのものより、ヒルズ族たち本人の派手な遊び方を面白おかしく伝えていたように感じます。
例えば、六本木のクラブでどんちゃん騒ぎ、金の鎖をジャラジャラつけて、取り巻きには常にマブい女性たちといった、ステレオタイプなザ・王道の派手な遊び方など。そこはバブル成金と扱いが同じように見えます。

それもそのはず、2000年代前半はまさにITバブルの真っただ中。
「“最先端”のインターネットを使って、ここまで稼げるものか!?」という驚き、そしてヒルズ族たちの強気な態度やキャッチーなものいい、さらに彼らのTシャツやジーンズというラフすぎる装いは、当時の常識ではまさに異世界のように思えたものです。
とはいえ、いまではIT系の会社なんて腐るほど存在しますし、当時のヒルズ族のようなキャラクター性を持った人なんて、とくにネット界隈では割とたくさん見かけますよね。
このITバブル時代に、みんな耐性がついてしまったのかもしれません。

さて、ヒルズ族のみなさんは今頃どうしているのでしょうか?
時は流れ、2000年代後半にはリーマン・ショックによる株価大暴落の影響を受け、リスクをまったく顧みず借金まで投入した無茶な投資のツケが周り、数億単位の借金を負うことになったり、これまで獲得した投資利益分の税金が払えず、脱税で国税局から告発されたりなんて顛末も。
(もちろん、一握りですがいまだに成功を収めている人もいますよ!)

もちろんほんのごく一部のついアラぶってしまった個人投資家に限った話なのですが、“落ちぶれてしまった元ヒルズ族!”と手のひらを返したように、連日メディアで報じられたこともありました。
世間は残酷で、シンデレラストーリーからの没落という栄枯盛衰、諸行無常的な展開を好むものです。
当時、このわずか一部の没落した投資家をメディアが必要以上にクローズアップしたことが、いまだに世間で「投資はまとまったお金をつぎこんで、高リスク高リターンで勝負するもの」という誤解されたイメージがつきまとっている要因なのかもしれませんね。

<例文>

A:「最近、『家なき子』見たんだけど、主人公のすずちゃん、毎朝学校に行く前に靴磨きをして、お母さんの手術費用を貯めてたんだよ。なんだか、切なくなっちゃて。一体何万回靴磨いたら、手術費用って稼げるんだろうね」
B:「もうさ、こうなったら一攫千金を狙うしかないよね。ヒルズ族みたいに、高リターン狙いでドカーンと投資してみるとかね」
A:「もし『家なき子3』があるとしたら、“ヒルズ族の家政婦として雇われたすずちゃんが、こっそりヒルズ族の仕事ぶりを観察しいつのまにか投資のノウハウを学ぶ! そして、地道に貯めたお給料で投資を始めたところ、いつのまにか自身がヒルズ族になっていたのだった”みたいな展開希望だね」
B:「すずちゃんには、残りの人生を一生涯、ヒルズ族みたく豪華に暮らしてほしいよね。じゃないと報われないよ……」

<イメージ>

ヒルズ族に対する勝手なイメージですが、元々資産家の家柄というよりも、一から起業して一代にして大金持ちになったという印象があります。
そのため、ハングリー精神が強く、「1秒の時間も無駄にできない!」と仕事や遊びにハードに取り組んでいそう。睡眠時間が極端に少ないイメージです。

さて、ここで、ヒルズ族を目指す方のための物件紹介コーナーです。

現在空室の住居用賃貸の中で、最も高い家賃を調べてみました。(MORI LIVINGホームページより。2019年4月24日時点)
物件は「六本木ヒルズレジデンスC」のとある一室。
間取りは4BR+F (296.62m2)で、気になる家賃は305万円。
入居の際は、敷金4カ月分(=1220万円)が必要ですが、礼金はタダ。
さらに更新料もタダという良心的?なお値打ち。

そして、間取りは広々とした贅沢設計。
ベッドルーム4つ、バスルーム2つ、バルコニー2つを有しており、客人対応もばっちり。

これがお安く感じるかどうかは、あなた次第!
ぜひ入居した際は、ザ・典型的な成功者のごとく、シルクのガウンを着て片手にワイングラスを持ちながら、バルコニーから「ここもつまんない街になったなぁ」と吐き捨ててみてはいかがでしょうか?
これであなたも立派なヒルズ族です!

③ 断捨離

<基本情報>

2010年の「ユーキャン新語・流行語大賞」にもノミネートされた「断捨離」。
この言葉は、2009年末にマガジンハウス発刊された、やましたひでこ著『新・片づけ術「断捨離」』という書籍が火付け役となり、一躍ブームとなりました。
今聞いても特に懐かしさは感じない、みなさんも恐らく耳にしたことがある身近な言葉なのではないでしょうか?

最近では、ときめきで世界を席巻中のこんまりさん(片づけコンサルタント・近藤麻理恵さん)や「ミニマリスト」、「持たない暮らし」、「シンプルライフ」などという言葉を聞くことも多くなりましたが、これらは表現は違えど、すべて断捨離という考え方がベースとなっていると言っても過言ではありません。

個人的に、断捨離のことを、今の今まで「とりあえず生きる上で必要のないものはすべて捨てろ! ついでに煩悩を滅却して自我も捨てろ! そうすれば無の境地にたどり着ける」のような教えだと思っていました。
……が、もちろん違います。
こんなストイックな生活ができる人はほとんどいませんし、ここまで流行らないはずです。

では、真の意味とは?
簡単に言うと、「自分にとって本当に必要なモノを見極めて、不要なモノだけ捨てる。それによってモノへの執着を捨て、身軽でストレスフリーな生活を送ろう!」というもの。

断捨離がこんなにも流行ったのは、80年代~90年代初頭のバブル時代、そしてヒルズ族が出現した2000年頃のITバブルの根源にあった凄まじい「モノ消費」からの揺り戻しでしょうか?
そもそも昨今の日本では、昔のように豪華で高価なモノを消費しようにもそんなお金がありません。
昔のように豪快に消費できない現状と、モノに溢れても必ずしも手放しで幸せな時代とは言えなかったかつてのせわしさからの逃避が混ざり合って、本当に必要なモノさえあればいいというシンプルな生活がもてはやされるようになったのではないでしょうか。

<例文>

A:「そこのDVDラック、溢れそうだから、断捨離して整理しようよ!ちょっと、待って。うわ、懐かしのVHS混ざってるじゃん。かさばるから、DVDにダビングするとかどうにかして、捨てたほうがいいよ」
B:「ごめん、これだけは断捨離できない。『家なき子』シーズン1と2、劇場版のVHSだけは無理。たとえかさばっても、ときめくんだよ!」
A:「ときめくなら仕方ないね。今回は断捨離はやめとこう」

<イメージ>

断捨離。よく聞く言葉です。
約10年前の流行語とは思えないぐらい、もはやいまでは当たり前に使う言葉ではないでしょうか。

ただ、断捨離を実行しようにも、必要なモノをどのレベルの基準まで下げるかによって、だいぶ捨てるモノの量は変わってきますよね。
こんまりさんのように「ときめき」で判断するという手もありますが、そもそも私自身の基準が当てにならないですし、私のような優柔不断な人間にとっては、そもそも「ときめくか、ときめかないか」で1時間くらい悩んじゃいそうです。

一筋縄では語れない、やっかいな平成

平成は、あらゆる価値観や生き方がようやく認められるようになった時代。
それはお金との付き合い方についても同じです。
昨今、IT企業の社長がテレビやゴシップ週刊誌などのメディアに取り上げられている通り、「第二次ヒルズ族ブーム」のようなものが一部で起きているように感じます。
(例を挙げれば、女優のだれそれと付き合っているだとか、月に行くだとか、煽り系ツイートで意図的にTwitterを炎上させたりだとか、面白いものもあれば、個人的にはちょっと共感はできないかもというものまで、非常にバラエティに富んだカオス状態です)
消費意欲がないといわれる若者だって、本当にモノに興味がないわけじゃない。
若者の中でも現にバブル的な暮らしをしている人や、ひそかに憧れている人もいるはずです。もはや「現代の若者は○○だ!」とひとくくりにはできません。

一方で、「断捨離」的思考に共感し、お金に執着しない生き方を選ぶ人もいます。
これは究極的な例かもしれませんが、生活費10万円以下(家賃や食費、通信費など他すべて含む)で切り詰めた生活をし、その分週2~3日働いて残りの時間を自分の趣味や自分のやりたいことにつぎこむという生活を送る人も一定数います。

お金への価値観が一転するような“ブーム”は度々起これど、皆が乗れるわけでも共感できるわけでもない。
好きな考えだけ受け取って真似をして、無理なら今度は違うものを試してみるぐらいの気概でいいんです。
平成はお金や生活に関するさまざまな価値観が共存する時代へと移り変わっていきましたが、令和はそこからさらに進んで、他者との比較でなく、もっと一人ひとりのお金観や生き方がフォーカスされるような時代になればなと思います。

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