ベンチャー企業といってもその中身は千差万別。本連載では、さまざまな業界で活躍するベンチャー起業家たちの仕事や生き方に迫ります。第10回は、水だけで磨ける歯ブラシ「MISOKA」がアジアや欧州でも人気を集める、株式会社夢職人の辻陽平社長にお話を聞きました。

辻陽平氏

辻 陽平さん
株式会社夢職人 代表取締役社長

1972年大阪生まれ。1991年大阪工業大学高校(現常翔学園高校)卒業、1995年大阪商業大学卒業。高校では生徒会長を努めた。大学卒業の1995年はバブル崩壊後の就職氷河期だったため、社会人として世の中に出た頃に大変な苦労を経験。その後、素材メーカーで開発、営業で活躍。2007年、35歳で異業種交流会などで繋がりのあった仲間からの支援を受けながら夢職人を起業。水だけで歯が磨ける歯ブラシ「MISOKA」で成功し、その独自のナノテクノロジー(超微細加工技術)と確固たる経営哲学を軸に今後の躍進が期待される気鋭の起業家。

株式会社夢職人ホームページ
2007年6月創業。先進的なミネラルコーティングテクノロジーを軸とした製品の生産、開発を行う。機械ではなく熟練の職人の技術が作り出す「職人品質」にこだわりを持つ。主力商品である水だけで磨ける歯ブラシ「MISOKA」は、パリの国際見本市「メゾン・エ・オブジェ」でベストスタンド賞を獲得するなど国際的にも高い評価を確立している。2015年には経済産業省が選ぶ「がんばる中小企業300社」にも選定され、数多くのメディアにも取り上げられる注目企業。

就職氷河期で挫けそうな心を支えた歌

もっとも影響を受けた音楽、辻さんのこの一曲は大事MANブラザーズバンドの『それが大事』だと伺いました。

 そうです。『それが大事』、1991年の夏にリリースされた曲で、私が高校3年から大学の1回生になる頃、1992年の1月から3月にかけてヒットチャートを賑わせた曲です。テレビのバラエティ番組のテーマ曲でしたが、歌詞もメロディーもリズムも、とても良い曲です。「負けない事、投げ出さない事、逃げ出さない事、信じぬく事、ダメになりそうな時、それが一番大事」と歌う、本当にいい歌詞の曲ですよね。
ただ、その時は、ああ、まっすぐで面白い元気になる良い曲だな、というくらいの感覚でした。それが頭の中にずっと残って、私の人生の応援歌のような感じで、どうにもやるせないときに曲を聴いたり、頭の中で繰り返してみたり、人生の1曲という感じになったのは、社会人になってからになります。

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私が大学を卒業したのは1995年、バブル崩壊後の就職氷河期の真っただ中でした。皮肉な言い方になりますが、私の世代の多くは派遣という名前の大企業に就職した、というような、非正規雇用が雇用の一つの形態、当たり前になった、その走りになったそんな世代でした。もちろん、中には、なかなか思うようには就職ができずアルバイトで生活を繋ぐ、そんな同世代の仲間もたくさんいた、そんな世代です。私は大阪でしたので、1990年、高校生の頃、鶴見緑地で「花の万博」が行われました。その頃は、高校生のバイトですら人手確保のために時給が吊り上がっていったのに、わずかの間に世の中は様変わりしたのです。

私自身もとても苦労して大学を卒業してからしばらくの間、繋ぎのような仕事をいくつか経験しました。これは私の世代に共通する感覚だと思うのですが、社会に対する怒りややるせなさを多くが感じていたと思います。そうした怒りが反骨心を養ってくれた一方で、私たちは自信を喪失した世代でもありました。

『それが大事』は、少なくとも私には、挫けそうなときに、いやそんなことはない、自分を信じて正しいと思うことをやり抜いていくんだ、と元気をくれた曲、鼓舞してくれた曲でした。

お世話になった取引先を思い、退社を決意

自分の努力以前に大きな社会や歴史のうねりに翻弄される、確かに就職に関しても、好況期と不況期、運の支配する要素は大きいと思います。ただ、そこで挫けない、そこに歌があった、という話ですね。辻さんは、その後、素材メーカーで活躍されたと聞いています。

トラリピインタビュー

 紆余曲折を経てある素材メーカーにお世話になりました。もともと子供の頃から機械の構造などに興味を持っていたこともあって、物を開発すること、工夫することは性にあっていました。

私はそこで歯磨き粉の製品開発を担当したのですが、開発が終わるとそのままその製品の営業担当を任されました。ありがたいことにその製品はヒット商品に育ちましたが、ある日営業のため東京に出張していた時、帰りの新幹線の中で、その製品の主力の卸先の商社から電話が入ったのです。

忘れられないのですが、私は静岡あたりで電話を受け、新幹線の繋ぎ車両のデッキで先方の話を聞きました。それはあるドラッグストア向けの商談で、その商社とはライバル関係にある商社が当社の製品を卸に来ているがどうしたことか、という話でした。私は販売を統括していましたので、何かの間違いだろうと思いました。ところが会社に帰って確認すると、社長の指示で私の知らない間にその製品をお得意先のライバル商社に売ったということが分かったのです。
私は社長に、それは筋が違うでしょう、と食い下がりました。しかし、社長は、買いたい先に売って何が悪いのか、それにそれが私の営業数字にもつながるのだからいいではないか、と言うのです。私は売れないときからお世話になっていたお取引先に顔向けできない想いで「会社を辞めます」と言いました。私が開発した製品はすでに私の手を離れ、市場に認知されていましたし、私が辞めても大丈夫でしょう、と。よし、分かった、と私は会社を辞めることになりました。

その素材メーカーにお世話にならなければ、私の今日はないでしょうし、開発や営業、そこでの経験がかけがえのない財産になっているのは確かです。社長にも様々なことを教えていただきました。この件でも、社長の言われていることも確かに一つの真実でしょう。ただ、その時の私は売れないときからお世話になっていた取引先に顔向けができない、という想いで一杯でした。

「これからは、お前の財布でモノを考えてはいけない」

素材メーカーをお辞めになって起業された、その経緯などお聞かせください。

 結局、私は病気で辞めるということで、そのメーカーを辞めました。もちろん、病気ではないので、そのメーカー在籍中にお世話になっていた異業種交流会の代表に、事情があって会社を辞めた、と連絡したときです。その代表が、これからどうするんだ、という話の後に、君にはあの歯ブラシがあるよね、良かったらちょうど、今度「マネーの虎」のような企画を行う予定があるから出てみないか、と誘われたのです。
「マネーの虎」は、成功した経営者が、起業を目指すプレゼンテーターのプレゼンを聞いて出資するかどうか、を決める一時代を風靡したテレビ番組です。その話は経営者ではありませんが、VC(ベンチャーキャピタル)を何社かを集めてプレゼン企画を行うという話でした。歯ブラシというのは、試作品として異業種交流会に持ち込んだもので、ミネラルから作ったコーティング剤を塗布することで水だけで歯を磨くことができるという、現在のMISOKAにつながる歯ブラシでした。その歯ブラシが交流会の中で評判を呼んでいたのです。
ただ、急な話でしたし、プレゼンといっても何を用意していいのか、皆目その時は分かりませんでした。いいから、それもこちらで用意するから、とプレゼンの雛形をもらって、スライドや事業計画のグラフなど、とにかくえいやで作ってプレゼンに臨みました。

結果は散々で参加したVCからは酷評でしたが、そのうちの1社からは1口なら乗るよ、と話をいただきました。そうか、資本金を1000万円として、50万円の出資者を20名集めればいいのか、と気づき、プレゼンを聞きに来ていた交流会の仲間に話を持ち掛けると、なんとか20名の出資者が集まったのです。今でも、払い込み目的で作った預金通帳に記された1000万円の数字を思い出します。それは私が人生で初めて見た数字でしたし、興奮も覚えましたが、責任を強く感じたのを覚えています。事の重大さに気づいた感じでした。

登記が終わってお世話になった方に挨拶に行った時に、最初にあの歯ブラシをいくらで売るのか、と言われました。600円で売るつもりです、と答えると、いやダメだ、1000円で売れ、と諭されました。これからは、お前の財布でモノを考えてはいけない、とも。これは有難いアドバイスでした。挨拶代わりに何かのモノを渡すのに、600円のモノでは使えない、1000円ならちょっとしたお土産になる、そんな話もされました。ただ、それであれば単純に価格を上げるのではなく、その価値に見合ったモノを作らなければならない、とも思いました。デザインにも気を配り、箱に入れて上質なモノにしようとも思いましたし、30日毎に新しい歯ブラシに替えてもらいたいということからMISOKAという名前が生まれました。

MISOKA
テレビ番組「マネーの虎」をひとつのきっかけとして商品化された「MISOKA」は、その機能性とデザインが高く評価され、国内外のさまざまな賞に輝いている

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