ベンチャー企業といってもその中身は千差万別。本連載では、さまざまな業界で活躍するベンチャー起業家たちの仕事や生き方に迫ります。第15回は、「関西で最も勢いのあるITベンチャー」を自認し、Webに関連した幅広い事業を営む株式会社W-ENDLESSの菅原隆太郎社長にお話を聞きました。

菅原 隆太郎さん
株式会社W-ENDLESS 代表取締役(CEO)

菅原社長

1991年1月8日大阪市生まれ。あまり学力の高くない高校で非行に走っていた高校生時代、恩師となる塾の講師に出会い一念発起、1日17時間、仲間たちと一緒に猛勉強を続けることで、目標とする関西学院大学に入学した成功体験を持つ。
大学在学中に子どもが生まれたこともあり、アルバイトだけで生計を支えられないこともあって起業を決意。飲食業や通信業など2回起業するも失敗。2013年関西学院大学経済学部卒業後、内定後アルバイトもさせてもらっていた株式会社セプテーニヘ入社。2014年12月24日株式会社W-ENDLESSを創業。人の成長がそのまま企業の成長につながるという信念、また自身が大学受験で体験した成功体験を原体験として、一緒に働く仲間にそれぞれがそれぞれの成功体験を味わってもらいたい、という強い想いを持って、W-ENDLESSを「世界一幸せに働ける会社に、世界一愛される会社にする」ことを目指している。

株式会社W-ENDLESSホームページ

2014年12月24日クリスマスイブに、菅原社長が「資金も人脈も能力も何もない自分たちでも、お客様のために何かを成し遂げよう」という想いとWeb(インターネット)の無限の可能性に賭け、「3名の仲間と8坪弱のオフィスから」起業。インターネット上の風評対策事業とインターネット広告、SEO対策、ホームページ制作、システム開発とWebの受け皿作りから集客まで一気通貫で行い、クライアントの売上を伸ばすことをサポートするWebコンサルティング事業からスタートし、現在ではWebを通して消費者のライフスタイルをサポートする「D2C事業」「Webメディア事業」「駅近事業」なども展開している。
創業以来、毎期売上高を伸ばし、2017年1月にはベンチャー通信編集部が選ぶベストベンチャー100にも選出された。「歴史に残る企業へ」をミッションに、「Web業界で一番カッコいい企業に!」をビジョンに掲げ、「Webを通じてお客さまの売上を伸ばす仕事」という事業の本質を見据えながら躍進を続ける注目企業。

もやもやして、不安を感じていた少年期

最初に、どんな少年時代を過ごされたのか、ご家族構成など含めお聞かせ願えないでしょうか。

菅原 1991年1月8日、大阪の此花区に生まれました。父はサラリーマンで、普通の家庭です。妹が2人、2つ下と5つ下にいて、3人の子育ての中、母は妹たちに手を取られていましたね。小さい頃から、私はとにかくやんちゃだったようで、毎日喧嘩ばかりの子どもでした。先生にも毎日怒られていましたね。そうしたこともあって、神戸市に隣接する三田市に引っ越しました。それが小学校3年の時です。

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転校しても性格は変わりませんでした。目立ちたがり屋で、やんちゃさも変わりませんでした。スポーツはサッカーをしていました。ポジションはFWでしたが、ケガも多く試合には出してもらっていましたが、レギュラーではありませんでした。もやもやしていましたね。

公立の小学校から中学校に上がって、中2か中3か、家族を支えていた父親が癌で倒れました。肺癌でした。家計のために母親が算盤塾を始めました。父は結局、肺を一つ取って現在も存命していますが、やはり家計は傾きました。貧乏さというものに直面した感じでした。

私は、やはりもやもやしていたのだと思います。その頃から地域のチームに加わり、バイクで走ったり、放課後つるんだり、そんな感じでした。ですので、勉強したという記憶が全くありません。高校も偏差値的にはとても低い学校に行って、毎日遊んでいました。ボクシングジムに通ったりもしましたが、それもボクシングで身を立てようとか、ストイックな志からではなく、遊んでいたこともあって、強くなりたい、喧嘩で負けないようにしたい、そんな動機でした。家が貧乏だったこともあって、そこから抜け出したい、なんとか成功したい、と思っていましたが、これから自分はどうなるんだろう、という不安も感じていた、そんな季節でしたね。

仲間とともに必死で勉強して、大学に合格した成功体験

そんな頃、転機が訪れたのですね。

菅原 そうです。高校3年生になる前の春休みでしたね。家のポストに「一発逆転大学受験」というチラシが入っていたのです。母親からそのチラシを渡され、とりあえず1回行ってみるか、とその塾に行きました。そこでの面接で塾長から「目標と志があれば努力できるし、気合と根性があれば人生を変えることができる」と諭されたのです。頑張ってみようか、やってみようか、と思いました。塾に通い始め勉強を始めると「隆ちゃんならできる、隆ちゃんならできる」といつも励まされました。

目標を関西学院に置かれたのはなぜですか? 率直に関関同立の中では一番慶応や青学に近いというか、裕福な子弟の学校というイメージもあるのですが。

菅原 理由は単純に言えば住んでいた三田市にキャンパスがあったということです。身近で、しかも名門という感覚でした。また、その辺りの偏差値の高い学校の生徒が目指す大学でもあり、彼らを見返してやりたいという気持ちもありました。

ただ、もっと本質的なところでは、塾の先生との相談がありました。私はそれまで勉強もせず、本も読まずといった生活を送っていたこともあってか国語が苦手でした。で、国語は捨てようと。国語は捨て、なるべく英語の配点の高い学校に、となるとそこでも関学が候補に入ります。また、社会については深掘りされた出題がされる日本史は捨てよう、範囲が広く暗記が鍵になる世界史を選択しよう、となりました。英語についても関学は比較的、熟語など暗記が鍵になる傾向がある、それで関学に絞ろう、という話になったのです。

庶民性という意味では関大なのかも知れませんが、受験の戦略上、偏差値的には上位ですが、対策が立てられる関学を目指すことになったのです。

なるほど、まさに大学受験を突破する塾、という感じですね。リアルです。リアル「ドラゴン桜」ですね。

菅原 ただ、受験勉強は孤独なものでした。最初のうちは机に座るだけで、めげそうな自分がいました。そこで私は仲間を引っ張り込んで、一緒に切磋琢磨しいわばチームで受験を乗り越えるという方向に舵を切りました。創業のメンバーでもあり、現在、W-ENDLESSで取締役として一緒に働いている平峯は、同じ高校の仲間でしたが、「俺、関学を目指すからお前も一緒に勉強しようぜ」と誘いこんで、試験の点数を競い合うとか、切磋琢磨する仲間になりました。

そんな仲間と、1日17時間、必死で勉強し、目標としていた関西学院大学に合格した、それは私にとって人生で初めての成功体験でした。諦めない限り、成功できる、その原体験でした。

W-ENDLESS創業時メンバー
W-ENDLESS創業時、創業メンバーとのスナップ。中央が菅原社長

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