テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第69回は、テレビ・ラジオ番組の構成、ラジオ番組の制作、ねんドル岡田ひとみのプロデュースと3足のわらじを履く、放送作家の内田英一さん。
新しい構成のスタイルを!
誰もやっていないことは何だろうか?? ずーっとそんなことばかり考えている私は、構成の仕事のスタイルも工夫をしている。
テレビのバラエティ番組の構成は何人もの作家を使うことが多いが、ラジオにはそれが少ない。1人より2人の方が面白いことができる。ディレクターに頼まれてもいないのに仲間の放送作家、あべあきら氏に声をかけ2人でラジオ番組を構成した。藤子不二雄、ゆでたまご、エラリー・クイーン、NOBODYなど2人組の作者がいるように、構成を2人でする。仲良く原稿を書くのである。
個人の能力をアピールする職種なのでコンビは意外と難しいのかもしれないが、あべ氏とは馬が合うのかこのスタイルを実に40年間続けている。最近は弊社の作家・石井隆之、渡辺奈々ともこのやり方で構成をしている。
ディレクターと話す前にこちらで事前に打ち合わせをして、アイデアをまとめて構成会議に提案する。台本の場合もこちらで何度か書き直したものを、先方に初めて第一稿として提出する。
ここで今回このエッセイのテーマ「お金の話」である。このやり方で構成料は人数分ではなく1人分であるということ。1人で5本できる仕事が2人だと10本できる。このスタイルでは演者、演出・制作スタッフを始めたくさんの方々と出会えた。それは今も大切な財産になっている。
これに似た作戦を「さだまさしのセイ!ヤング」(文化放送)でもやってみた。さださんはコンサートが終わった後に地元の放送局から生放送を毎週出していた。私はスケジュール的に難しい理由もあって、4人体制を組むことを提案。作家が交代で4週に1回担当の週がやって来るスタイルに。地方へ行ける作家要員も提案。やりやすい仕事の体制を作ることにした。
4人で構成するのはとても楽しかった。当然、1人がもらう構成料はふつうよりは少なかったが不満はなかった。毎週送られてくる500通近いハガキを読めるのが幸せだった。さださんの推薦で「さだまさし音楽工房」(NHK教育)の構成をその4人で務めることもできた。その体制が生んだ良い結果である。
企画は放送以外の世界へも!
企画書だけで企画料をもらえないかと考えた。構成はしなくても良いから企画だけする。仕事だから興味の薄い番組に携わることもある。やりたい番組の企画書を5本書いてみた。その結果は3本の企画が通る。しかし世の中はそんなに甘くない。構成作家が企画を通したのだから、構成台本を書くことが当然のようについて来た。
企画料だけを別にもらえないのか? 結果、支払いの余裕が無いと。構成作家は台本を書いてナンボなのである。放送時間が裏番組とかぶったために1本は引き受けることができず。立ち上げから始めたその2つの番組は今も続いているのが嬉しい。やりたかった番組だからだ。
まだやりたい企画があるので、構成作家以外のこともやり、現在3足のわらじを履いている。①構成作家、②ラジオ番組制作、③ねんドル岡田ひとみのねんど教室。ゲストブッキングを手伝っていたところ制作を任せられるようにもなった。
ねんドル岡田ひとみをまだご存知ない方は「ねんドル」で検索願いたい。NHK Eテレ『ニャンちゅう!宇宙!放送チュー!』では「おねんどお姉さん」としてねんどをこねこね〜こねこね〜して未就学児の心をつかんでいるねんどアーティストである。干支のフィギュア(ねんドルがねんどでデザイン)が乗ったお鏡餅で応募できる「越後製菓ねんど教室全国ツアー」は毎年恒例のイベントになっている。
構成作家が誰もやっていないことを追求していた結果、ねんど教室にまで発展したのである。番組でアイデアがウケた時とねんど教室で子どもたちの笑顔に出会えた時は本当に幸せである。
もはや肩書きは何でも良い。構成原稿を書く。キューを振る。台本のコピーを取る。お弁当の手配をする。タクシーを呼ぶ。商品開発をしたねんどを売店で売る。今はスタジオや会場の除菌もする。
損して得を取る。損したことも多いが得したことの方が多い。先行投資した分は回収できている。
お金は大切。でも面白そうなこと、やりたいことを最優先している。
※内田英一氏が代表を務める株式会社チーズのWEBサイトはこちらから
次回は放送作家の大野ケイスケさんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。