テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第95回は、猫6匹と暮らしている脚本家の佐伯紅緒さん。

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制服が綺麗だったから

佐伯紅緒さんの写真
佐伯紅緒
作家/脚本家/女優
日本放送作家協会会員

昔から財運はないけど金運だけはあるらしく、今までの人生、どういうわけか食べるのに一度も困ったことがありません
サラリーマンだった私の父は宵越しの金は持たない江戸っ子で、しかも常に借金があり、たまに宝くじや競馬が当たってもパーっと使ってしまう人でした。
その血は色濃く娘の私にも受け継がれているようで、今回、大先輩のさらだたまこさんからこのエッセイのお話をいただいた時も、あらためて我が人生を振り返り、借金こそないもののそのあまりのギャンブラーぶりにただただ恥じいった次第です。

1990年(平成2年)、私は大学を出て、東京の日本橋にある老舗の百貨店に就職しました。配属されたのは宝石売り場で、入社した年の冬に湾岸戦争が勃発。真っ先に閑古鳥が泣いたのは、我が宝石売り場だったのは言うまでもありません。

しかも私がいたのはその中で最もヒマなブランドのブティック。呆れるほど客が来ず、1日の終わりには幻聴が聴こえてくるほどでした。あまりにもすることがないので、耐えかねて会社から支給されたパソコンで小説ばかり書いていました
いま考えれば私の文章力はこの時期に培われたのだと思います。

百貨店の宝石売り場のイメージ
就職した百貨店の宝石売り場では、全く客が来ずPCで小説ばかり書いていた(写真はイメージです)
Sorbis / Shutterstock.com

そんなある日、ふと会社の隣のロッカーの女の子が着替えている制服に目が行きました。それは職場の百貨店の一階に入っている某アパレルブランドの制服で、パリに本店を持つというそのブランドの制服はファッションにうとい私から見ても綺麗でカッコよく見えました。

この制服を着てみたい。気づくと、私はそのブランドの本社の人事部宛に履歴書を書いていました。
あとで聞いたらそのブランドは大変入社困難で、当時銀座に立ち上げた路面店のオープニングスタッフ5人の募集に数百人の応募があり、私の履歴書が届いたのは採用された5人のうち1人が初日で辞めたばかりのタイミングだったそうです。

かくしてめでたくその制服を着ることになった私ですが、なんと1年で飽きてしまい、今度は赤坂の割烹に転職。理由はこれまたお恥ずかしい話ですが、今度はなぜだか急に着物が着たくなってしまったからです。

時の総理大臣から暴力系の総長まで

その割烹は永田町やTBSからほど近く、そちらからのお客さまが多いというのは入ってから知りました。
夜遅くまでの立ち仕事で年功序列もめっぽう厳しく、しかも女性スタッフが「女中」と呼ばれる、今ならアレな環境です。しかし着物を着られることの嬉しさの方がそれをはるかに上回っており、しかもなぜか強面の女将さんに可愛がられたので意外と楽しく働いていました。

なかでも私がよくつけられたのは暴力系の方々のお席です。
それは廊下に怖そうな人が見張りに立つ緊張感漂うお席で、しかも特別手当がつくわけでもなく、みんな嫌がっていましたが私は全然平気でした。

暴力系の方々は上に行くほどどこぞの企業の社長さんにしか見えない上品な人が多く、たまに左手小指に真っ白な包帯を巻いた状態でしゃぶしゃぶを食べに来た方に「その指どうしたんですか」と聞いてしまって場の空気を凍らせた時も、「いや今日義理張りをしたばかりなんだけどもどうしてもお肉食べたくて」と泣き笑いで素直に答えてくれる紳士的な方が多かったです。

当時の総理大臣も良くやってきていましたが、ある時、私は一緒に来た総理夫人にいきなり話しかけられて星座を聞かれ、「あらあなた獅子座なの、うちのもそうよ、獅子座の男は私にもいいけど他の女の人にもいいから気をつけてね」と明るく忠告されました。
獅子座の男性を見るたびに身構えるようになったのはこの頃の遺産です。

日本の料亭のイメージ
着物が着たくなり、赤坂の高級割烹に転職し女中として働いた

全部なくして小笠原へ

こんな暮らしを続けるうちに、ついに私にも占星術でいうところのサターンリターンというやつがやってきました。28〜30歳の時に起こるという、人生の大事件です。
詳しい経緯は省きますが、私はその結果健康と人間関係と仕事とを一気に失い、どんな場に出しても恥ずかしくない四面楚歌の状態に陥りました。 

当時、実家とは折り合いが悪かったので家族を頼るわけにもいかず、さあどうしたものかと思った矢先、テレビをつけたら飛び込んできたのが目の覚めるほど真っ青な小笠原の海でした。

この海をじかに見てみたい。私は預金通帳を引っ張り出しました。残高は5万円。気づくと私はそのお金でおがさわら丸の二等船室の切符を買っていました。

いま思えばきっと方位が良かったんでしょう、6日間の船旅を終えた頃から人生が好転し始めました。小笠原から東京へ戻ったその日、登録していた派遣会社から面接の電話がありました。派遣先は某IT企業。ここの職場がとても良くて、結局6年近くもお世話になりました。初めて出版された私のデビュー小説『エンドレス・ワールド』(2006年、世界文化社)はここでの体験がもとになっています。

小笠原諸島のイメージ
真っ青な小笠原の海に魅了され、預金をはたいて船の切符を買った

迷ったら楽しげな方へ行け

陳腐なようですが、「迷ったら楽しげな方へ行け」、これが私がいつしか身につけた座右の銘というか、人生の教訓です。今の時代、一寸先どころか1ミクロン先だってどうなるかわからない。だったら、心の赴く方向へいった方が長い目で見ていいんじゃないか。目先のお金にこだわるよりも、やりたいことファーストで動いたほうがお金もついてくるんじゃないかと。

30代半ばで結婚し、それから少し経ってから作家デビューが決まりました。デビューは遅くて38歳、それから小説や映画やドラマの脚本などを書くようになり、やがて自分でも出たくなったのでコロナ禍になったタイミングで演技の学校へ入学。2年間の課程を終え、去年の暮れに無事卒業したのち、今年の春に今の事務所にお声がけいただき所属することになりました。

そうして本格的に女優活動も始めるかたわら、きっとヘンテコな生き方が人様の目をひいたのでしょう、縁あって数年前からバラエティ番組の『マツコ会議』さんからたびたびお声がかかるようになりました。

しかしテレビの影響力って凄いですね。今では私の名前を検索すると真っ先に「マツコ会議」って出てきます。いいのかどうかはわかりませんが、まさか自分がこの歳になってTVや映画、バラエティ番組などに出ることになるとは思わず、でも赤坂の割烹でしゃぶしゃぶのアクをすくっていた27歳の私に今の状況を聞かせたら、「まあ私ならアリなんじゃないの」と案外常温で言われそうな気がします。

そういうわけで年々、歳を重ねるごとにますますワケがわからない感じになってきていますが、作家になってから早や16年、お金に困ったことはありませんが、今は今年の夏から演技の学校の勧めで習い始めた日本舞踊がぜんぜんできなくて困っています。扇子の出し入れや座り方だけで30分もお説教され、しかも上半身の筋肉がないので、御歳80の師匠に55の私が腕力で負けているんです。悔しい。

日本舞踊の扇子のイメージ
夏から始めた日本舞踊では、80歳の師匠からお説教を受ける日々

次回は脚本家の宮下隼一さんへ、バトンタッチ!

是非、見てください!

映画「炎上シンデレラ」
主人公の元事務所社長・中谷君子役で出演しています。
公開日は11月4日より東京・池袋HUMAXシネマズほか全国で順次公開予定です。

よろしくお願い致します!

映画「炎上シンデレラ」公式サイト

『炎上シンデレラ』ポスター表紙
一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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