テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第162回は、芸人としてデビューし、放送作家となった宮地ケンスケさん。
1回の舞台で500円、だったが
皆さんはじめまして、芸人と放送作家を兼務しながら活動している宮地ケンスケといいます。芸人としてのキャリアがあるので今回は「芸人の舞台のギャラ」のお話をしたいと思います。
芸人の舞台のギャラって、とにかく安いというイメージがあると思うんですが、意外ともらっているのです!(注:私が吉本所属なので吉本の芸人の話しになります)
私が芸人としてデビューした1997年当時は1回のギャラが500円。源泉引かれて450円。ATMで引き出すことは不可能で、いつも銀行窓口でおろしてました(笑)。芸人が「舞台のギャラが500円だったんですよ〜」というエピソードトーク、あれはまじりっけなしの実話です。
ですが、この劇場ギャラの歴史が大きく変わる出来事が2001年に起こります。それは、ルミネtheよしもとのオープンでした。
それまでの若手のライブは、ギャラが安過ぎてネタを疎かにする芸人が非常に多かった。名前は伏せますが、ネタ出番なのにサンパチマイクの前で漫才せず雑談して終わらす芸人もいたほど。そんな劣悪な状況を根絶したいとルミネのオープンをきっかけにギャラを上げることを決断。いきなり5〜10倍上げたのです。
劇場だけで飯が食える時代に
私たちもルミネオープンまで劇場ギャラは1000〜2000円でしたが7500円もらえるようになりました。7.5倍ですよ! 飛び跳ねて喜んだのを今でも鮮明に覚えています。
ギャラを上げたことで芸人はモチベーション激上がり。死んだも同然だった腐り芸人たちの目の色が変わり始めます。もっと出番が欲しいと今までネタを疎かにしてた芸人たちがこぞって新ネタを作り出したのです。芸人が本気になった舞台はそりゃ凄いもので、ルミネはオープン1年目から連日大盛況、それを知ってか全国の常設劇場も次々とギャラを上げていったのです。
〝劇場ギャラは安い〟から〝劇場だけで飯が食える〟時代にフェーズしていきます。
しかも、「ギャラが上がる」→「モチベーション上がる」→「いいネタを作るようになる」→「そのネタがテレビ関係者に止まる」という流れができ、2001年以降売れっ子芸人が続々と誕生していったのです。あの時、劇場のギャラを上げてなかったら今のようなお笑い帝国は構築できてなかったかもしれません。
近年でもコロナパンデミックの2020年、劇場を閉館せざるを得ない状況になった時でも、吉本は決まっていた出番のギャラの半分を支払ってくれました。それだけじゃありません、ライブなどの配信収益も会社はほとんど取らず芸人に配分してくれたのです。男前すぎるやろ、御社!
っていうか少し喋り過ぎましたか? 私……。もしこの記事が後日消させれてたら、そういうことか……と思ってください(悪口言ったわけでもないし平気か)。
次回はエッセイストの島敏光さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。