テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第24回は、「11PM」や「24時間テレビ」、「夜のヒットスタジオ」など数々の伝説の番組を手掛け、音楽プロデューサー、作詞家としても活躍する放送作家の木﨑徹さん。
軽い気持ちで引き受けた役員で自己破産
Facebookの私のプロフィールをご覧頂くとおわかりのように、現在、府中市音楽文化協働アドバイザー、NPO法人日本プレジャーサポート協会理事、野田レーシングアカデミーCEPを始め、パソナグループ顧問、東洋化成顧問、三輪環境顧問、GENCO顧問、インフォウエア顧問、ブレス顧問他、10 件以上の顧問や理事を兼務している。
各々の名刺を持ち歩くとかさが増して面倒なので、私的な事務所で代表取締役を務めているディリープラネッツ21の名刺の裏に一覧として示している。数社からは社外役員の依頼を受けたが、役員をしているのは自分の会社だけである。なぜなら気軽に受けた取締役で悲惨な状況に置かれたことがトラウマになっているからだ。
当時はレギュラー番組を週に10本ほど書いていた。音楽プロデューサーとしてもヒット作があり、まあまあの収入があった。長野五輪ではじめてスノーボードが競技になった時の金メダルボードを製造販売するスノーボードのトップメーカーであった兄からの依頼で、気軽に引き受けた会社の役員だった。当時はスノーボードも隆盛を極めていた。笑いが止まらないほど売れていた。実家の土地に有名建築家の設計による9階建ての自社ビルを建てる程、繁盛していた。
しかし、信頼していた某有名スポーツショップが計画倒産し、巨額の負債を被り兄の会社も連鎖倒産に追い込まれた。広報担当取締役員とはいえ、本業は多忙を極める放送作家であったので、たまに本社に顔を出す程度であった。多少の見返りはあったが、役員報酬を得ていたわけではないので、名前だけの取締役だと思っていたので、倒産した兄を労いに行ったら、「流石に5億円以上の負債を返済することはできない。お前も役員だから財産の差し押さえを覚悟しておいたほうが良い」との事。
理解しがたい言葉だったが、あれよあれよという間に自宅マンションも別荘も数台あった外車やハーレーまでをも差し押さえられた。結局それでも足りずに自己破産を申告させられた。そして嫁のマンションを守るために別れを告げた。その後は何をするにも不自由だった。クレジットカードも7年くらい持てなかった。
放送作家でよかった
自宅もない。別荘もない。車もバイクもカードもない。嫁さえもいない。昔流行った吉幾三の日本初のラップソングのようであった。
銀行口座はすべて差し押さえられているので現金も引きだせない。しかし放送作家としての仕事は今まで通りであったことが唯一の救いだった。サラリーマンであれば自己破産者は不適格者扱いを受ける可能性すらあるが、ネタになるのがこの世界であった。誰も咎めることをしなかった。
むしろ「キザキちゃん自己破産したみたいだよ! 面白いから会ってみよう」と誘いを受け、「安いけどこんなの書いてみますか?」と仕事を回してくれるプロデューサーもいた。今まで恩恵を受けていたタレントやディレクターたちからも食事の誘いが多々あり、皆が嬉しそうに奢ってくれる。以前は殆ど支払っていたが「金は天下の回りもの」、或る奴が払えばよい。私も自己破産を売り物にご馳走になった。「放送作家で良かった」とつくづく思った。
無茶苦茶裕福というわけではないが、子供2人を私立の大学まで通わせた親も建築家であり、金に苦労をしたことがない人間であったので金銭感覚には鈍いところがあった。
銀行口座は差し押さえられたままであったのに、テレビ局は原稿料をどこに支払ったのか? そんなこともわからなかった。調べてみるとテレビ局の経理に止まっていたギャラもあった。印鑑を持参し現金でギャラをいただいたのは初めてだった。
そのお陰で敷金礼金と6か月分の家賃を前納して、ようやくアパートが借りられた。しかし車のローンも組めなければ、海外取材も破産管財人の許可をもらわなければ行けなかった。自己破産者には銀行、信用金庫、クレジットカード会社、消費者金融などが情報交換をしている信用情報機関によりブラックリストに載せられたため、どんなにマイナーカードに何度申請しても「ご希望に添えずに申し訳ありません」との回答だった。
会員性のスポーツクラブも乗馬クラブもすべて解約させられたが、日本放送作家協会だけは会員停止処分にならなかった。
あれから四半世紀以上経つが、ジェットコースターのようなアップダウンの激しい人生であったが、放送作家として自分の信じた得意分野を確立して、突き進んでこられたことは幸福である。私にとっては音楽番組の構成・演出・プロデュースがそれであった。
今では家族もいる。持ち家も建てた。車も一台ではあるがBMWに乗れている。ハーレーも返ってきた。なにより「プラチナカードに変えろ」とカード会社が煩く言う。改めて「放送作家で良かった」と思った。
次回は放送作家の盛多直隆さんへ、バトンタッチ!
是非、聴いてください!
毎週日曜日、朝5時30 分よりFM大阪で、ZACKEY&YUの「あわじ感動!音楽島」と言う番組を構成・演出プロデュース、そしてDJ ZACKEYとしてMCもやっております。
なぜ「淡路島」か? 阪神淡路大震災後に、「過疎化が激しかった淡路島を復興させ、世界一のエンターテインメントアイランドにしよう!」とパソナグループが、淡路島の復興と仕事の少ないミュージシャン達に、仕事と演奏活動のW CHANCEを与えようと言う音楽家救済・地方創生事業の一環として始めた時、淡路音楽島プロジェクトのスーパーバイザーにパソナグループ顧問として迎えられた木﨑徹が、DJ ZACKEYとして制作し、パソナグループpresentsで作られた番組です。
葉加瀬太郎、大友直人、宇崎竜童、南野陽子といった豪華ゲストが毎週登場し、淡路島の思い出や普通マスコミでは絶対話せない裏話を友人だから話してしまうプログラムです。朝早すぎる? 関西しか無理? ご心配なくradikoプレミアムのタイムフリーで一週間お聴きいただけます。
別件ですがVINYLレコードのプロデューサーをやっております。わかりやすく言えばアナログ盤です。昨年はASKA、小野リサ、夏木マリ、杏里、酒井法子のアルバムをプロデュースしましたが、先月杏里のニューアルバムをリリースしました。CDとは全く違う音圧、なによりもジャケットが素敵です。2021年6月リリースの杏里の最新アルバム「VOICE TO VOICE」をよろしく。
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。