テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第68回は、CM制作会社に入社しニート時代を経て、放送作家となった田中到さん。

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土下座してCM制作会社の新入社員に

田中 到さんの写真
田中 到
放送作家
日本放送作家協会会員

「就職氷河期」─。僕が就職活動をした1994年は多くの企業が新卒採用をしなかったり、大幅に採用を減らした年でした。「これでは勝負にならない……」四流大学出身の僕は、一流大学出身者に勝つため奇策に出ました。スーツではなく私服で採用試験に参加。役員面接で一か八か「入れて下さい!」と土下座。この奇策が1つのCM制作会社にハマり、その年、唯一の新入社員となったのです。

たった一人の新入社員となり、CMのプロダクションマネージャー(制作)として社会人生活を始めた僕。仕事は予想以上にハードでした。休みは殆どなく、ちょっと寝て起きたらすぐ出社。「ひょっとしたら過労死するかも……」と思い、僕は証拠を残すため、会社のタイムカードをこまめに押し続けました。が、会社はすぐさま、コレに気付き、タイムカード制度を廃止。僕の労働時間はあっという間に不透明になりました(笑)。

そんな今では考えられない過酷な労働環境でしたが、先輩社員が担当するビールのCMの撮影現場に手伝いに行き、女子サッカーの審判役の三浦友和さんの頭上を越えるようにサッカーボールを投げ入れるという大役を任され、僕が投げ入れたサッカーボールを三浦さんが見上げ「おっ」というシーン。このシーンがテレビから流れた時の感動は今でも忘れません─。「僕が携わったモノがテレビから流れた」

サッカーボールのイメージ
CMの撮影現場、三浦友和さんの頭上にサッカーボールを投げ入れる大役を務めた。その放送は忘れられない

「とにかく3年、頑張ってみろ」と入社した頃に言われ、夢中で頑張った3年が過ぎた頃、ふとこの先、自分がCM業界で頑張って行くビジョンが見えなくなり、体調不良も重なり、僕は会社を辞めることにしました。土下座までして入った会社を辞めるという決断をするまで、随分悩みましたが、辞める時、社長から「俺は30歳過ぎてからCMの世界に来て社長になった」「30過ぎて新しいことやっても、社長くらいにはなれるよ」と言ってくれました。当時27歳で無職になろうとしている僕にとっては、とてもありがたく勇気付けられる言葉でした。

1年間のプー太郎(ニート)から放送作家へ

会社は辞めたものの、次に何の仕事をやるかは全く決めていませんでした。失業保険と貯金がなくなるまでパチンコ三昧。貯金も尽き、日雇いのバイトを開始。「この先、何がやりたいんだろう……」と考えながら1年が過ぎた頃、「やっぱりテレビが好きだ」「テレビ(番組)を作ってみたい」と思うようになりました

「でも28歳でイチからADってしんどそうだな……」「放送作家ならちょっと年齢行ってても大丈夫なんでは?」と、当時あったフジテレビの『バラエティプランナー大賞』に応募。親にお金を借りて念のため、日テレの『バラエティ作家講座』にも通いました。すると運良く『バラエティプランナー大賞』で(大賞ではなく優秀賞に引っかかり)、作家講座でも「うちの事務所に来ないか」という誘いを受けました。

こうして放送作家となり、フジテレビに行ってみると、明け方、廊下に人(AD)がバタバタと倒れて寝ている……。「CMよりヒドいな……」。当時はとんでもない労働環境でした(注:今は全然違います)。放送作家は基本、下積みなどありません。当時、一応事務所に所属はしていましたが、台本の書き方など教えてくれません。いきなり「台本、書いて」と言われ、とりあえず見様見真似で台本を書きました(おそらくクソつまらない台本だったと思います……)。ですが、「自分が考えたことがカタチになってテレビから発せられている」初めて自分が携わったCMを見た時以上の衝撃でした。

テレビ撮影スタジオのイメージ
放送作家には下積みなどなく、見様見真似で台本を書いた

それから『トリビアの泉』という番組に携わり、後ろを歩いていた男の子が「パパ、へぇ~へぇ~って番組、面白いよ!」と言ってくれた時の感動。『とんねるずのみなさんのおかげでした』で担当した『男気ジャンケン』をグアムのショッピングセンターで、若い日本人の男性たちが「男気ジャンケン~」とやり始めた時、『脳カベ』をYouTubeで見た外国人が「クレイジーだ!」と笑ってコメントしてくれているのを見た時の嬉しさ。

「自分が考えたことに世の中の人がリアクションしている」こんな感動が放送作家にはあります。これから先はテレビ以外にもネットや動画、様々なツールで企画や映像を考えたりする機会も増えて行くと思います。「自分が考えたり、携わったことが世の中にちょっと影響している」そんな感動を味わいたい方には『放送作家』、おススメです。

次回は放送作家の内田英一さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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