テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのクかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第73回は、「……でおなじみの」が「自分では分からない」という、脚本家の平柳益実さん。

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チャップリン


平柳益実
脚本家
日本放送作家協会会員

その青年は映画に魅せられていた。10代の中ほどから、浴びるように映画を見るようになっていた。学業にいそしむこともなく、将来を真剣に考えることもなく、TVや劇場でより自分を心地よくしてくれる映画を求めていった。その頃、心に刺さったセリフがあった。

「人生に必要なもの。 それは勇気と想像力、そして少しのお金」

誰しもが耳にしたことがあるはずのこの言葉はチャップリンの『ライムライト』のセリフである。人生のゴールに向かって目指すところは、ビジネスで成功してどれだけの資産をなすことかと、漠然と考えていた青年にとってそれは一種のショックであり重圧からの解放だった。そしてさらに多くの映画を浴びるように見続けた。

大学を出る頃、何をして生活の糧を得ていくかという問題に直面した。1970年代末期のことである。映画や映画に似た何かに関わりながら生活が成り立ったら素晴らしいことだと憧れていたが、そんなことをして生きていけるのは一握りのエリートだけだろうと、青年とその身内、一族郎党は知っていた。その時、彼の頭の中で繰り返されたのは、チャップリンのセリフだった。

そうして就職したのが、自主映画の作り手に上映会場を提供するスペース。そこで雑用をしていれば、最低の生活費は稼げる。学生時代から見よう見まねで書いたシナリオを書き続けてコンクールに応募した。1次選考・2次選考で名前が残ったことはあったが、「少しのお金」も得られず、その先に進むにはさらに勇気と想像力が必要だった。この時、青年とマネーとの果てしない闘いが始まっていた

大学の同期の勧めで、「制作進行」としてTVの制作会社にまぜてもらったが、雑用に明け暮れする仕事で、シナリオを書く時間はないにひとしい。そんな会社に3年もいると、「いつかダメなプロデューサー助手のままクビになる」というビジョンが見えてきた。そこへ、学生映画の作り手からシナリオ・ライターになった知人に、「サラリーマン辞めてシナリオ書けば? 今の収入の3倍は稼げるようになるよ」と言われ、彼の想像力は荒唐無稽に膨らんだ。社会人となって6年が経過していた。そして彼は自称「フリー」となった。無謀にもこのタイミングで結婚もした。

三倍のイメージ
「3倍の収入が稼げるようになる」という知人の言葉に誘われ、会社を退職しフリーとなった

ありがたいことに「フリー」の放送作家となったあと、友人知人で業界に自分の居場所のあった仲間からいくつも仕事を紹介された。雑誌の記事から、TV・ラジオ、ミュージック・ビデオ、企業のプロモーションビデオの台本、マンガ媒体の構成台本、ゲームシナリオ等々。
それぞれに全力を尽くそうとしたが、正直なところ「何で自分にこういう仕事振る?」と思われる題材もあって唖然とした。うまくいくものもあれば、不評で「やっぱりね」と反省せざるを得ない物もあった。わずかにアニメーション番組のプロットやシナリオを重宝して貰い、くりかえし依頼がきた

ここで、ふと気がついたのは知人の「今の収入の3倍は稼げるようになるよ」という言葉が現実になっていたことだ。この時、彼は「マネーとの闘いに勝利した」と思った。依頼が続くかぎり、ロクに家庭も顧みずに原稿を量産し続けた。

マルクス

だが、マネーはジリジリと反撃してきた。「バブル景気」の恩恵を享受したという実感はなかったが、後から思うと仕事が切れないこと自体が「バブル」だったのだろうと気づいた。仕事は途絶えたり復活したり。青年はいつしか中年となり、家族を養うためつなぎにまったく不慣れなアルバイトもするようになった。

映像メディアはフォーマットやビジネスの形態を進化させ、そこに携わる人々も入れ替わっていった。元号も「平成」、「令和」へと変わった。世間では心安らかに老後を迎えるために「これだけの金が必要」と数字で示しながら、社会はそれを実現させる仕事は生み出さなかった。そこで痛感したのは、もはやチャップリンの言ってた「少しのお金」では愛する人々と生きていけないという怖れだった。

チャップリンのイメージ
チャップリンの映画『ライムライト』でのセリフ、「人生に必要なもの。 それは勇気と想像力、そして少しのお金」に刺激されてきたが……。
Vectorku Studio / Shutterstock.com

そして、「勇気と想像力」を武器に放送作家となった青年も、とうに初老を過ぎたが、現在SF冒険活劇アニメのシナリオ制作で密かにマネーへの逆襲を企んでいる
今、彼を支える言葉はチャップリンの後から来た世代マルクスが言ったとされる言葉である。あの経済学者ではなく、コメディアンのグラウチョ・マルクスだが。支離滅裂でいてある共感を覚える言葉――。

「金で幸せは買えないが、幸せで金を買うこともできない」

※このお話はフィクションです

次回は放送作家の嵯峨野功一さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。