親の頑固を解きほぐすキーパーソン選び
「たとえば、ヘルパーさんに通院に付き添ってもらうってどう?」
と母に何気なく聞いてみました。
しかし、母の答えは「ノー」。
社交的な性格ではありましたが、他人の介在を好む性格ではないのです。
父はもっと嫌がるタイプで、他人に任せるのなら、「パパがママの送り迎えをするよ」というのです。
しかし、母より10歳年上の父は、そのとき既に85歳。元気とはいえ、歩く姿もヨレヨレしていて、現実には無理な話。
そう、他人の介在を頑なに拒む両親の気持ちをどうやって変えさせるか?
そこが大きな問題でした。
それは、介護で悩む多くの人に共通する固い壁だと思います。
しかし、私は、親の頑固さよりも、このままでは自分がだめになってしまうと言う気持ちが一気に強くなり、親はなんといおうと、ヘルパーさんの力を借りようという行動をとることにしました。
というのも、申し出てくれた母の応援団はざっと数えて10人はくだらない数はいたのですが、いざお願いしようとすると日にちがあわなかったり、その方の親御さんが倒れてそれどころじゃない、本人が体調不良など……いろいろあってお願いできたのはたった一人。
2回目までは気持ちよく引き受けてもらいましたが、3回目は流石に気が引けました。
「年内にヘルパーさんにお願いできることになるので、今度で最後です」とお願いして……。
やはり、長く続く介護は、親切心だけではできない、プロの力に頼るしかないと思った次第です。
最初、なにも知識がなかった私は、母の透析クリニックで知りあったヘルパーさんに、依頼の仕方を聞いたのですが、「私が所属している事務所を紹介することはできるけど、ご近所で探す方がいいわよ」とアドバイスを受けました。
ご近所にヘルパーさんが来ている高齢者のお宅も知っているけど、他に探す方法はないかと聞いてみると、「市役所や区役所に聞いてみれば」ということだったので、早速、住んでる区役所に問い合わせてみたのでした。
そこで紹介されたのが「地域包括支援センターに相談に行ってみてください」と。
チキイホーカツ……あ!
その響きは、私の脳裏の片隅にあった言葉。
母が入院中に、「介護で困ったらチキイホーカツに相談されたらいいですよ」
と病院で教わった言葉だったのですが、聴く耳もたない私は、聞き流していたのでした。
「地域包括支援センター」に行くと、窓口で対応してくれた女性は、介護相談の玉手箱みたいな頼りがいがある人で、突然、自分の身に降りかかった母の入院から透析に至るまでの話を一気にきいてもらい、それだけでも随分と気分がすっきりしたものでした。
そして、決して他人の介在を好まない両親にどうやったら、介護を受け入れてもらえるか、ということも相談でき、
「もう悩み事は一人で抱え込まないで。必ず解決できる方法があるので、私たちがいますから」
と言ってもらえたときは本当に嬉しかったです。
そのときはまだ、介護保険を使った介護サービスについては何も知らなかったですが、地域包括支援センターでは、
- 介護保険の介護サービスを受けるためにまず、市(区町村)の役所に要介護認定の申請をすること
- 介護サービスを受けるには、介護のキーパーソンとなるケアマネ(ケアマネージャー)を選ぶこと
それが最初にすべきこと。
①と②が決まらないとヘルパーさんも手配できないことを知りました。
公的な説明では、①を終えて②になるのですが、①には時間がかかるので、実際は②も決めて①の認定を待つ方が現実的です。
地域包括支援センターでは我が家の近所にあるケアマネの事務所のリストを見ながら、選定できて、おかげで、良いケアマネさんに出会う事ができ、その後の私の人生の建て直しもなんとかやれたと思います。
そこで、はたと気がついたのですが、母が入院したときに、いち早く①②の行動に出ていたら、母の退院時にはもう、ヘルパーさんもお願いできていて、うんと効率的な動きができていたんだということです。
ああ、ここで大後悔してしまいました。
私のように、自分でできるからと、一人で頑張っている知人にもアドバイスしていますが、「まだ、親は元気だからねえ」とやはり聴く耳をもちません。
でも、本当は元気なうちから、手を打っておくべきだと思います。
介護サービスを受けなくてすむ予防のためにも!
それが社会福祉資源を大切に活用する一番の手段だと思うからです。
さて、他人の介在を親が拒むという理由もありましたが、ヘルパーさんを頼めば料金が発生するわけで、それがどのくらいになるのか?
そんな不安も私にはありました。
介護保険を利用するのですから、何割かの負担で済むわけです。
後期高齢者の母は1割負担で済みましたし、要介護度が上がっていくと使えるサービスも増えて、いろいろなことが介護保険のサービスでカバーもできました。
もっとも、介護のすべてが保険の対象ではなく部分的に全額自費負担になることもあります。
でも、それも組み合わせても、私が得られる時間の恩恵とを天秤にかけると、本当に介護保険サービスはできるだけ有効に利用するべきだといいたいです。
12年の間に母は、75歳から87歳になり、78歳からの10年間は車椅子生活になりました。
そんな母を置いて、私は、出張で地方や時に海外にも行けたのも、介護保険サービスのおかげです。
そして、母のことを親身に思って世話をしてきくれたケアマネさんとヘルパーさんたちのチームビルディングのおかげだと感謝しています。
親が柔らかくなる、その時とは!
結論からいうと、「他人は絶対に家にいれたくない」とあれほど頑なだった父も母も、最終的にはヘルパーさんなしでは生きていけず、そして、ヘルパーさんたちと仲良く楽しく過ごすまでになりました。
しかし、それは必然だったと思います。
当初は、母の透析クリニックへの送迎は、私が仕事を始めたいので、週2はヘルパーさんに任せ、週末の土曜は私が続けるという形を取り、母を説得しました。
母も娘の仕事の支障になってはと思ったのでしょう。
そこは納得してくれたのです。
無理矢理納得させたので、流石に私も良心の呵責に苛まれ、ヘルパーさんと透析センターに行く母を見送った最初の日は「ごめんね、ごめんね」と泣いてしまったほどです。
ところが、やがてすっかり慣れてしまい、母はすっかりヘルパーさんとお友だち気分。
そして、実際、週2回ヘルパーさんがやってくるようになると、父も「ママはそれでいいね」というようになりました。
でも「パパは、絶対お世話にならないから!」と暫くはずっと頑なでした。
しかし、父が家で転倒し、大腿骨骨折をして、入院しリハビリ生活を余儀なくされるとそうはいってられない現実が、父を変えさせたのです。
ただ、父の頑なさを解きほぐすまでのそれは、母と比べてとてとても大変な道のりでした。
それでも父は、2年という年月の間で、介護保険の恩恵をフルに受けて、あの世に旅立ちました。
その話は、次回に!
- 自分一人で抱え込まない。素人だけでは無理
- 先を見越して、早めに介護保険の要介護認定の申請を
- 明日に備えて、日頃から地域包括支援センターに通って情報収集をしておこう
- ケアマネ選びが介護成功の要
ぜひ、ご覧ください!
『親も自分もすり減らない!? シングル介護術』(WAVE出版)