テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第127回は、専らラジオドラマで時代劇を執筆している小林克彰さん。

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小樽のオジジが来る!

小林克彰さんの写真小林克彰
脚本家
日本放送作家協会

「小樽のオジジ」は私の曽祖父である。私が幼稚園に上がるか上がらないかの時に、すでに90歳半ばだったように記憶している。そのオジジが、盆や正月などに、小樽から私の郷里、旭川の町にやってくることがある。これは、親戚の間でも、ちょっとした話題になる出来事だった。

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それは、高齢のオジジが、当時、まだ蒸気機関車だった列車を乗り継いでやってくる、という大変さを踏まえての「あの歳で大丈夫か」という心配が主ではあったが、と同時に僅かに、ワクワクするような、そしてややはしたない期待があったからである。とは云っても、それも大人たちだけの事であって、従兄、ハトコの子供たち、年若い叔母たちにとっては、あからさまな期待であった。

「オジジは金を撒くかどうか」それが期待の中身である。そう、オジジは親戚が集まった宴会で、金を撒くのであった。まあ、それほどの大金ではない。10円玉、50円玉、100円札(当時は板垣退助の紙幣である)が主で、500円札、1000円札はめったに混じらない……。

いや、違う。それは幼い子供の記憶であった。書いていて思い出したのであるが、500円も1000円もあったのである。私が拾った1000円札を大人の誰かが50円玉と交換しようといい、喜んで応じた事があったような気がするのだ。幼かった私にとって、金すなわちは硬貨であって、紙ではなかったので印象に残らなかった。

とにかく、今時、時代劇でしか見たことがない、成金が茶屋遊びでするような「金を撒く」という行為を、オジジは自分の身内の集まりで行っていたのである。

襖が外され、銘々膳がずらりと並べられた2階の座敷に集まるのは、大人子供併せて30人程度であったろうか。とは云っても、ただの親戚の集まりである。酒が入っても粋な歌舞音曲が披露されるわけでもなく、つまりは噂話を始めとする様々な雑談と、興が乗った時に手拍子で民謡が関の山。つまりはごく日常的な寄り合いなのである。

日本の和室の大広間のイメージ襖が外された2階の座敷に集まるのは、大人子供併せて30人程度。とはいえ、ただの親戚の集まりだった

90翁のオジジはと云えば、僅かな酒が入るだけで、もう雑談もママならず、分家の嫁や叔母連中に世話をやかれつつ、ただうつらうつらしているか、もしくはアアアだの、ウウウだの意味不明の呟きと共に、杯を口に運ぶのみであった。

そのオジジが、宴もたけなわとなったころ、すっくと立ちあがって(映像は私の思い込みである)、かねて用意の鞄から金を掴みだして撒くのである。子供たちは歓声を挙げつつ、座敷を転がり回って金を拾い、大人たちは膝の前に舞い落ちた紙幣を何食わぬ顔をして膝の下に隠すのであった。2階の座敷は一挙に非日常的な空間に変化する。

金を撒いて生まれる祝祭空間

さて、オジジはなぜこんな真似をしたのであろうか。単に身内の者に金を配るとか、子供たちに小遣いを与えるとか、ということが目的ではなかっただろうと思う。

種明かしをするようで恐縮だが、オジジは漁師、それも網元であったそうだ。オジジの時代の小樽の網元といえば、鰊御殿の言葉も残る通り、浜に押寄せるニシンの大群で財を築いた者もいただろう。すでに確かめる術もないが、オジジがそうであってもおかしくはない。

北海道のニシン漁の最盛期は1890年代半ばで、それが本当に落ち目になるのが1930年代頃らしい。オジジの年恰好に当てはめれば、大まかに言って30半ばから70歳までという事になるだろうか。

ここからは私の空想だが、オジジの人生の全盛期、小樽の遊郭で芸者や幇間を揚げて、それこそ本当に金を撒くような遊びをしていたのではないだろうか。とはいっても、幼い私の記憶では、オジジは、この時すでに金持ちというふうに扱われてはいなかった。すなわち、とうに盛りは過ぎていたのである。

その上、はっきり云えば、すでに耄碌(もうろく)していたオジジには、本物の芸者を揚げるような遊びはできなくなっていたはずである。それでも、オジジには全盛期の記憶があり「金を撒く」快感が忘れられなかったのではあるまいか。人が集まって酒が入れば、90半ばを過ぎたオジジのぼんやりとした脳裏に、日常とはかけ離れた祝祭空間の記憶が瞬くのである。

たくさんの日本円のイメージオジジには全盛期の記憶があり「金を撒く」快感が忘れられなかったのだろう

金そのものを、むき出しで撒くなど、金の使い道としては、何と云うか、最低の部類であろう。だが、粋な歌や踊り、美酒美食、洒脱なやり取り、すなわち宴席における洗練などとは、全く無縁であったオジジが、その場を祝祭空間に変えようと思えば他に手がなく、かつ、絶大な効果があったのだ。それは、人生の最終盤に立つオジジの、懐かしくも輝かしい思い出であろう。

さて、ならば、夢中で10円玉を追っかけていた私たち子どもの歓声は、オジジの頭の中で、若い芸者衆の嬌声に変換されていたのであろうか。もしそうならば、それはそれで、以て瞑すべしというべきかもしれない。

というわけで、お金に関わる話と云っても、経済的な話題にはこれまで無縁で過ごしてきた私なので、こんな思い出話でお茶を濁す次第。

次回は鷺山京子さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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