700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家、そして彼らと関わる様々な業界人たち・・・と書き手のバトンは次々に連なっていきます。ヒット番組やバズるコンテツを産み出すのは、売れっ子から業界の裏を知り尽くす重鎮、そして目覚ましい活躍をみせる若手まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜くユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第194回は、数々のTV番組の企画・構成を手がけてきた水越洋子さん。
木を植える 大切な人のために
久しぶりに『木を植えた男』(原作:ジャン・ジオノ 絵:フレデリック・バック 寺岡襄訳 あすなろ書房)を読み返した。
南フランスのプロヴァンス地方の荒れ地に、羊飼いが、2度の世界大戦の間も、ひとり黙々と木を植え続ける。やがて、荒れ地は森となり、人が幸せに暮らす場所となる話だ。
この物語を読んで、3人の木を植えた人を思い出した。
ひとりは、僭越ながら父。次男の父は自宅裏の雑木林を継ぐことはかなわなかったが、山を持つことが夢だった。植える木は何故かヒノキにこだわっていた。ヒノキは、木材の王者だからだそうだ。父が亡くなり随分経ってから、「日本書紀」には「杉と樟は船を作るのによい。ヒノキは宮殿や神社を作るのによい。槙は棺を作るのによい。そのためにたくさんの木の種をまこう」という趣旨のことが書いてあるのを知った。
ヒノキの苗木を植えたり下草を刈りながら父は、「この木を切る時に、お父さんたちはいない。孫やひ孫のために苗木を植え、下草を刈るのだ」と言っていた。
また、父は山の一角に、銀杏、栗、くるみ、りんごなど実のなる木を植えて、鳥や小動物がやってくる森にしたいと言い、住宅地の猫の額のような庭でクルミの苗を育てていた。
父が亡くなり、庭の胡桃の根は隣家に侵入し、秋には、大量の枯葉を落とした。胡桃は住宅地ではとても窮屈だっただろう。父の夢のかけらは、「手入れが大変」な無用の長物となり、根こそぎ撤去してしまった。
数年前、アフリカ西部の国、ギニアから日本に来た女性と話をしたことがある。
ギニアの国旗は赤・黄・緑の3色。緑は、豊かな森林を象徴しているという。
彼女は、日本で生まれた子どもをあやしながら、「ギニアでは子どもが生まれたら木を植える。でも、この子の木を植えることができない」と、覚えたての日本語で話した。
彼女が生まれた時に植えてもらった木は、何だったのだろう。
その木は、今も木陰を作り、人々の心を和ませているだろうか。
そして、息子さんの木を、植えることができただろうか。
その地は、ギニアだろうか、それとも、日本だろうか。
木を植え育てる 法隆寺修復の時のために
2013年、私は、持続可能な森の番組制作に参加した。その番組の出演者のひとり、江戸時代から続く「速水林業」の9代目速水亨さんは、絵本「木を植える男」の主人公、たった1人で黙々と木を植え続ける男とは全く違っていた。林業を熱く語り、全国各地で講演もすれば書籍も出版する。寡黙でいては日本の林業が立ち行かなくなるからだと言う。
2018年、天平の美少年として知られる阿修羅像で有名な興福寺(奈良県)。その堂塔の1つ、江戸時代に焼失した中金堂が再建された。しかし、使用する木材を日本では見つけることができず、樹齢数百年と推定されるアフリカ中部、カメルーンのケヤキの木材が使われた。
速水さんは、世界最古の木造建築、法隆寺(奈良県)のいずれくる修復の時に使える樹齢およそ400年のヒノキを育てる森を守り育てている。その森では、例えば、1000本の木を植えても、400年後には、よくて4、5本しか残らないそうだ。今、速水さんの森のヒノキの樹齢はおよそ100年。絵本『木を植えた男』の木々とは違い、第2次世界大戦では100年以上の木の大半は軍需用材として伐採された。また、台風や雷などの自然災害で倒れる木もあれば、間伐や400年の間、山で仕事をする人たちが生活するために切られる木もある。速水さんは、「人間のいのちの時間と長い長い木の時間を繋ぐのが林業だ」と言い、未来の人たちの祈りの場のために木々を育てている。
当時の映像を見返すと、森のヒノキは、行儀よく並び、すっくと空に向かって気持ちよさそうに伸びていて、その間を差し込む光は下草を照らしている。木々の間を鳥が飛び、小さな虫達のいのちの気配があった。
『木を植えた男』の原作者、ジャン・ジオノが『木を植えた男』を書いたのは、「木を植えるのを好きになってもらいたい」からだった。
速水さんは、自分が成長を見届けることができない木を育てるのは、「夢みたいなところがある。でも、誰かがはじめないと。未来への責任でもある」と言う。
次回は渡辺麻実さんへ、バトンタッチ!
ぜひご覧ください!
私が構成を手がけたドキュメンタリー映画
『言葉のきずな』
ロングラン上映を目指しています。
映画の上映、映画で紹介したワークショップの開催等をご希望の方は、
下記『言葉のきずな』ホームページから問い合わせください
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。