ベンチャー企業といってもその中身は千差万別。本連載では、さまざまな業界で活躍するベンチャー起業家たちの仕事や生き方に迫ります。第12回は、人が働く快適な空間を提案するデザイナーズオフィス事業などを手がけ、2021年にはマザーズから東証2部指定を果たした株式会社ヴィスの中村勇人社長にお話を聞きました。

中村社長

中村 勇人さん
株式会社ヴィス 代表取締役

1960年大阪は河内に生まれ、地元の仲間と「田んぼを走り回」ったり、近所のお兄さんたちに揉まれて、上下関係の厳しさも学びながら少年時代を過ごす。15歳からはサーフィンやアルバイトに明け暮れ、当時珍しかった週休2日制度などに惹かれ大手ディスプレー会社に入社。しかし、入社後半年は休みも取れないような忙しさの中、徐々に仕事の面白さ、会社の面白さに目覚め、デパートやアパレル企業を顧客に業界で頭角を顕す。その後、1998年にヴィスを起業。2003年に手掛けた案件を契機に『はたらく人々を幸せに。』を会社のフィロソフィーとして、デザイナーズオフィス事業を構想。2020年3月25日マザーズ上場。2021年1月には、コワーキングスペースやシェアオフィス、セットアップオフィスなど自分にあった働く場所を見つけることができるビルThe Placeを大阪心斎橋に展開し、ビル事業を開始。さらに東証2部指定を契機に、一歩踏み込んで、ワークライフそのものをデザインする企業、ワークデザインカンパニーへとヴィスを導こうとされている。

株式会社ヴィスホームページ
1998年4月13日大手ディスプレー・商業デザイン会社で経験を積まれた中村社長が大阪市北区に起業。当初、個人店などの内装デザインを手掛けるも、2003年、大阪府平野にある町工場の空間デザインを手がけ、その後トータルデザインを請け負った経験から、働く場所、働く空間をデザインすることが、そのまま、そこで働く人々を生き生きさせる、喜ばせる、ことに気づき、オフィス空間やWEB、グラフィックのデザインを一貫して行う『デザイナーズオフィス』事業を事業展開の軸に定めた。その後、業界のリーディングカンパニーとして躍進。2020年3月25日には東証マザーズに上場を果たしたほか、翌2021年3月25日は東証2部に指定、と成長を続けている。4月からは、「はたらくを、デザインする」をキーワードに、クライアントに寄り添って、オフィスがその企業の成長やそこで働くひとびとの幸せを増進させる場所となるための、様々な提案やコンサルティングの領域にも事業領域を拡大。働き方改革が叫ばれ、一方で生産性の向上が課題とされる中、熱い注目を集めている。

遊ぶのに忙しかった少年期、仕事も充実した青年期

最初に東証2部指定おめでとうございます。会社としてはいよいよ次のステージに踏み出される、まさにその時なのだと思いますが、今回は中村社長がどのような人生を歩まれてきたのか、そこに焦点をあててお話を伺えればと思います。まずはどんな少年時代をお過ごしになったのか、教えていただけないでしょうか。

中村 生まれは大阪で、奈良にも少し住みましたが、基本的には河内の生まれ、河内の育ちですね。大阪に住まれている方には肌感覚があると思いますが、気性の荒い地域で、その文化に浸って成長しました。子供の頃から近所のお兄さんたちに揉まれて、その上下関係の中で遊んでいました。その頃はまだ田んぼが近くに広がっていましたから、毎日のように田んぼで走り回っていましたね。廻りの子供と一緒に野球をやったり、柔道を習ったりしていたこともありましたね。一方で人とつるまずに一人でカブトムシを捕まえに行ったり、魚釣りに行ったりするような面もある子供でした。5人兄弟の真ん中です。

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野球は得意でしたが、特に何か部活動でスポーツに熱中するということはなかったですね。遊ぶのに忙しくて、勉強はほとんどしませんでした。

15歳、中学3年の時に、近所に住んでいた八百屋のお兄さんに誘われてサーフィンを始めました。第一次サーフィンブームの頃になります。のめり込んだというほどではありませんが、誘われるまま、伊勢や徳島の海部や生見といったサーフスポットに週末遠征するようになりました。徳島へ渡るにはまだ本州四国連絡橋も架かっていませんので、フェリーを2回乗り継いで行っていましたね。

皆でつるんで夜遊びもして、とても楽しい時期でした。もちろん、社会勉強ということではありませんが、アルバイトもしていました。難波の喫茶店でホールと厨房をつなぐピットという仕事をしていたのは、いい思い出ですね。すぐに辞めたバイトでは、靴屋のバイトが思い出深いですね。販売のスタッフなのですが、お客様が自分で選んだ靴について感想を求められたときに本心を隠して「お似合いですよ」とはなかなか言えない、そんな葛藤があって、そこは2日で辞めました。

サーフィンについては、就職を決めるにあたっても土日サーフィンに行ける会社というのも決め手だったとお聞きしました。

中村 そうです。週末休めてサーフィンに行けると思って、ディスプレーの会社に就職しました。自由に生きたい、縛られたくない、という感覚が少しあったのかも知れません。ただ、実際には土日休めるどころか、そこでは半年間、休みは取れませんでした。

その会社は、デパートやアパレルを顧客にしていて、催し物や展示会などのディスプレーを手掛けていたのですが、週末は忙しく、仕事に忙殺されていました。サーファー仲間からは、それじゃあサーフィンに行けないからそんなところは辞めてしまえよ、と言われたのですが、仕事がだんだん楽しくなっていったのです。正確にはアフター5を含めたその生活が、楽しくなっていったのです。

仕事はとても忙しいのですが、それが終われば同僚や先輩と飲みにいっていました。ディスコにも行きました。その頃は、大阪では「葡萄屋」や「クレイジーホース」が全盛でしたが、そうした店ですね。サーフィンではなく、休みが取れれば彼らと一緒に海水浴やスキーに行くようになりましたし、和歌山や滋賀の先輩が今日は家に来いよ、と誘ってくれて彼らの実家にも遊びに行きました。

仕事も充実していきました。

デパートの展示会を担当していて、展示会ではなく店舗そのもの、空間そのものを手掛けている会社を見ているうち、そちらの方がやりがいもあるし良さそうだ、と感じるようになりました。

その頃には、会社の中でポジションも出来てきていましたし、会社にこんな事をやりたい、と話して私を含め3人、同じことを考えているメンバーで新しい部署を作りました。

デパートを中心にそこで実績を積んでいきました。私は28歳で課長になりましたが、その会社で常に最年少昇進のレコードを塗り替えていきました。

東京オフィスのサロン
会社員として、若くして昇進を続けながらも独立・起業の道を選んだ中村社長。ヴィスは現在、大阪・東京・名古屋の3都市にオフィスを構える。写真は東京・汐留にあるオフィスのサロン

起業後の方針は「エンドユーザーと仕事をする」「1年に1つ必ず新しいことをする」

お話をお伺いしても、とても順調に会社員としての人生を歩まれたのだな、と感じます。会社が楽しい、という感覚は、現在のお仕事のもしかしたら原点でいらっしゃるのかな、とも感じました。そこから37歳で独立、起業されたのはどのような経緯なのでしょうか。

中村 仕事は順調で部下も増えていきましたので、もしそのままの部署にいたなら、もしかしたら独立・起業はしなかったかも知れませんね。部下に対する仁義もありますし、部下の仕事を見ている立場では、なかなか自分のことは考えないものですから。

バブルが弾けて私は新しい部署に部長として異動になりました。より川上で仕事を作るというのがその部署のミッションです。3人の部署でした。何をしてもいい部署でもあり、私はそこである外食チェーンの関西進出を手伝う案件などを手がけました。

ポジションも上がっていました。会社もいろいろあって、トップが変わっていたりしたのですが、入社以来厳しさはあっても私のことを見守ってくれていた上司が変わり私はこのままこの会社にいていいのだろうか、そう自問する中で、そのまま同じように働き続けることに疑問を持ち始め、自分の可能性を試そうと、会社を辞めて起業することにしました。

自分で言うと何ですが、その頃は大阪エリアの業界の中では一定の評価をいただいていましたので、私が辞めたという噂を聞いて、うちに来ないか、と誘ってくれる会社も多くありました。転職をして同じ仕事を別の会社でするのは特に顧客を抱えて軒先を変えるのは、それはしたくないと強く思っていました。

それで独立・起業されたのですね。

中村 1998年4月13日、登記を終え、独立・起業しました。37歳でしたね。

起業したときに二つ決めたことがありました。それは「エンドユーザーと仕事をする」ということと、保守的にならず「1年に1つ必ず新しいことをする」ということです。「エンドユーザーと仕事をする」というのは、どうしても元請けの下での仕事は自分が本当にやりたいことができない、思い切ったことができない、という感覚があったからです。以前懇意にさせて戴いていたお客様が、ありがたいことに別のお客様を紹介してくださったりして、想像以上に会社は順調でした。もうその頃には結婚もしていて、子供もいましたが、大丈夫だ、飯は食べていける、と自信を持ちました。

The Place
ビル事業という新しい試みのために、2021年1月から大阪・心斎橋で展開を始めた「The Place」の屋上

職場をリノベーションしたら、働く人たちの笑顔があふれていた

起業されてから5年後、2003年に現在ヴィスが展開されている、デザイナーズオフィス事業を立ち上げていく契機となる案件を手掛けられたと聞いています。

中村 そうです。それは、税理士の先生から紹介された案件でした。大阪は平野にあった町工場から、工場のリノベーションの依頼を受けたのです。それは本当に古い事務所でしたので、最初は申し訳ないですが、この仕事は断ろうと思いました。しかし、クライアントから、ここで働いている人のためにリノベーションをしたいんだ、という言葉を聞いて、やってみようと思ったのです。それに「1年に1度新しいことをする」という起業したときに決めた自分の言葉も頭をよぎりました。

古い事務所をスタイリッシュな事務所にリノベーションして、次は倉庫のリノベーションをお願いしたい、という依頼を受けて、その事務所に伺うと、働く皆さんの雰囲気が最初に訪れたときと一変していました。きらきらしていて、笑顔があふれていました。その笑顔を見たときに、ああ、自分の仕事はリノベーションなどで空間をデザインし、作り変えるというだけの仕事ではなくて、デザインによってそこで働くひとびとを前向きに、元気にして、そのことによって、クライアントの事業の成長そのものをサポートする仕事なんだ、と悟ったのです。

リノベーション

『はたらく人々を幸せに。』というフィロソフィー

現在につながるヴィスの誕生の瞬間、起点ですね。その後、事業は順調に発展され、2020年にはマザーズへの上場、そして今年3月25日、東証2部への指定も果たされました。時代のニーズにも合っていたのだと感じます。働くということ自体が問い直され、また企業自体が、以前のような共同体ではなくなって、様々なベンチャー企業が育ってきています。

中村 当社の主な顧客は、まさにベンチャー企業、特にIT系の企業が多くいらっしゃいます。働く場所が快適で、スタイリッシュであることは、差別化の要素になって、従業員の定着や採用にも効果を挙げています。

ありがたいことに、当社には積み上げられた6,500件にものぼる案件の蓄積があり、そこで培われたノウハウが多くのお客様に評価されています。会社が発展し、大きくなるなかで社員も増えてきていますが、大切にしているのは、『はたらく人々を幸せに。』という当社のフィロソフィーの徹底、共有です。当社が提供しているものは、デザインだけではなく、リノベーションや引っ越しなど、働く場所にかかるプロジェクト全体の遂行でもあります。オフィス空間のデザインだけでなくweb、ロゴマーク、VI(ビジュアルアイデンティティ)、ブランディングそのものを請け負うこともあります。

オフィスに特化し、『はたらく人々を幸せに。』というフィロソフィーに沿った仕事をしてきましたし、これからもしていきます。

特にここからは、さらに一歩踏み込んで、空間だけではなく人にフォーカスして、『はたらくをデザインする』、ワークデザインカンパニーへの成長を果たしていきたいと思います。例えば、事業の成長に伴う引っ越しの相談を受けた場合、そこで働いている方のご自宅の場所まで勘案して、どこにオフィスを置くのが良いかについても提案する。もっと働くのが楽しくなる職場にするために、コミュニケーションがより取りやすいオフィスをどう作っていくのかを提案する。社員のメンタルヘルスケアなど、外部とも提携しながら、「はたらく」にかかわる様々な課題解決に目を向けていきたいと考えています。

よく考えるのですが、もし、オフィスがディズニーランドやユニバーサルスタジオのように楽しい空間、楽しい場所であれば、どんなに素敵なことでしょう。ヴィスに集う仲間たちと、そうした楽しい場所をより良いオフィスを作っていきたいと考えています。

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