テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第43回は、謎もの・不思議もの番組でおなじみの元TBSビジョン・エグゼクティブプロデューサーで、現在は地域創成の仕掛け人として活躍中の本間修二さん。

日本放送作家協会リレーエッセイ一覧はこちらから

連想ゲーム

本間 修二さんの写真
本間 修二
プロデューサー
日本放送作家協会会員

私が宮崎へ移り住んだのは、数年前から取り組んでいた地域活性の仕事に本腰を入れるためである。
4年ほど前から頻繁に行き来をしていたが、ここ2年は、コロナ禍のせいで東京からの出張はなかなか困難になった。
ならいっそ、引っ越しちゃえ!ということで、この7月に女房ともどもやって来た。

水への投資 世界的に不可欠な資源への投資機会 BNPパリバ・アセットマネジメント

「故郷の宮城へ帰るつもりが、ボケて宮崎へ行ってしまったんじゃねの?」と幼なじみに指摘されたが、あながち間違いではないかもしれないことに気づいた。というのも、宮崎と宮城は意外なところに接点があったからだ。

第1に、宮崎ナンバーと宮城ナンバーは、遠目には区別しにくい。
次に方言である。宮崎弁のイントネーションは、独特で、尻上がりに節がつく。宮城でも、県央、県南では、語尾に向かって、上向きに節がつく(福島、茨城も似ている)。語尾に「ちゃ」というのは、仙台を中心とした宮城のものだが、宮崎でも「この魚うまいっちゃね」などと使う。宮城では、「このサガナ、ウメっちゃ」というふうに言う。

そういえば、話す言葉を聞いて、この人は東北の出身だと思ったら宮崎だった、ということが過去に多々あった。この尻上がりのイントネーションは、実は韓国語のそれとも良く似ている。韓国を初めて訪れた時、誰か仙台か茨城辺りからのツアー客が騒いでいるのかと思ったものだった。

宮崎県のイメージ画像
<西の正倉院みさと文学賞>のプロデュースのため、7月に女房と宮崎に移り住んだ

宮崎県といえば、天孫降臨神話が有名だが、県北の山里には<百済王>の伝説が残っている。その昔、百済の王族一行が日向灘から上陸し、追っ手と闘いながら逃避行の末、山中奥深くに隠れ住んだというもの。県北の美郷町南郷には、彼の百済王を祀った神門神社みかどじんじゃがある。別れ別れになった王子を祀る<別の神社>から、ご神体を掲げた行列が出発し、神門神社に至り、年に一度、百済王の親子(ご神体同士)がご対面を果たす。往復行程180キロ余り、徒歩9泊10日の「奇祭・師走祭り」が千数百年ものあいだ続いている(現在では、2泊3日に短縮されている)。

トラリピインタビュー

戦前、文部省が神門神社の学術調査を行った際、大量に保管されていた銅鏡の一つが、<唐花六花鏡>と呼ばれるものであり、なんと奈良東大寺大仏殿の須弥壇の下から発見された銅鏡と、全く同じ鋳型から作られたものであることが判明したのだ。

このことは、戦争を挟んで長らく忘れ去られていた。しかし40年ほど前に、ひょんなことからその資料が再発見された。そこで、村人は考えた。「東大寺の宝物と同じ価値のあるものを保管するためには、東大寺と同じ宝物殿、つまり正倉院が必要ではないか?」

「よし、作ろう!」ということになり、京都大学、奈良国立文化財研究所、国立民族博物館などの協力を取り付け、宮内庁と掛け合い、図面を見ることを許され、とうとう実物大のレプリカである<西の正倉院>を建立してしまったのである。構想から10年の歳月をかけ、当時の工法と工具で再現し、みごと実物大の正倉院を造ってしまった(総ヒノキの校倉造、それは見事なものです。向学のため是非一度おいで下さい)。

村人は、「百済王⇒神門神社⇒銅鏡⇒東大寺⇒宝物⇒正倉院⇒西の正倉院!」という連想ゲームを見事に実現させたのである。

百済幻想

一方、宮城の方も<百済王>には深い因縁があった。天平21年、陸奥守に任ぜられた亡命百済王族の孫、百済王敬福くだらのこにきしきょうふくが奥州小田郡の地において、わが国で初めて黄金の鉱脈を掘り当てた。その黄金九百両が朝廷に献上され、奈良の大仏様の金メッキに使われた。

九百両の黄金というから、1両は約37.48gで換算し、約33.7kg。現在の金相場にすると、およそ2億5千万円に相当する。当時、日本には、黄金と言えば輸入に頼るしかなかったので、実際の価値は、もっと高いものだったに違いない。

聖武天皇は、百済王敬福のおかげで、輸入の黄金に依存することなく、無事、大仏開眼までこぎつけることができたのである。西暦749年、黄金が発見されたことを祝い、年号は天平から天平感宝と改められ、その年のうちに天平勝宝となり、8年後に天平宝字となった。「宝」がつく年号が3度も使用されたことは、日本初の産金が、いかに国を挙げての慶事だったかを物語っている。

金採掘のイメージ画像
百済王敬福がわが国で初めて黄金の鉱脈を掘り当て、奈良の大仏の金メッキに使われた

当時、越中守に任ぜられ、高岡あたりに赴任していた大伴家持も、「すめらぎの 御代さかえんと 東なる みちのく山に黄金花咲く」という歌を作って帝にゴマをすり、従五位上に出世をした。

興味深いのは、この慶事を記念して、奥州の小田郡ではなく、牡鹿郡、牡鹿半島沖合にある霊場金華山が朝廷から褒賞された。金山毘古神、金山毘賣神という二柱の金属神が祀られ、以来、金華山黄金山神社と称した。このため世間では、長らく(千年以上)「金華山から黄金が出た」ということになっていた。金華山に3年続けてお参りをすれば、一生金に困らないという信仰が広がり、全国からの参拝者で賑わった。

ところが、江戸時代末期、沖安海という伊勢の国学者が<日本初の産金があったのは、金華山ではない>という論文を発表した。以降、色々あって現在に至っているが、続日本紀に書かれているこの小田郡というのは、今の宮城県遠田郡涌谷町であるということは、戦後の考古学調査によって確定された。

ちなみに、この涌谷町は、宮崎の美郷町とは文字違いの、宮城の美里町と隣接している。最早、宮崎と宮城を間違えても、誰も咎めることはできない。

かの松尾芭蕉は、奥の細道で石巻を訪れた折、「黄金花咲く金華山が見える」などと書き記している。が、実際は石巻から牡鹿半島に隠れていて金華山は見えないし、金華山は黄金が花咲いていなかったので、芭蕉は二重の嘘を書き残してしまったことになる。余談ではあるが、芭蕉は石巻では、人々は冷たく日が暮れても誰も泊めてくれなかったと書いているが、これも実は嘘だった。曽良の日記には、ちゃんと予約していた宿泊先など記されている。

話を本線に戻して、いずれにしても、百済王敬福たち亡命百済人の末裔が、日本で初めて黄金(砂金)を発見し、掘りだしたことには間違いはない。

宮崎では、「百済王伝説→神門神社→銅鏡→東大寺→正倉院→西の正倉院」という連想ゲームが見事結実したわけだが、宮城からは「百済王→黄金発掘→大仏メッキ→東大寺」とつながる。「宮崎」と「宮城」は、奈良の東大寺つながりで、<百済王>というキーワードにより紐づけられていたのだ。

ここで最も重要なのは、<百済>と<黄金>の関係である。遠回りをしてしまったが、ようやくお題である「マネー」っぽい話にこぎつけた。

百済王敬福以降、奥州では多くの金山が開発され、奥州藤原氏の繁栄を支え、黄金の国ジパング伝説を生み出したわけだが、しかしそれ以降近世まで、黄金と言えば何といっても武田。武田と言えば甲州、甲斐の国である。山梨県内には、武田信玄の隠し金山、埋蔵金伝説など、一攫千金のロマンに溢れる伝承が数多く語り継がれている。
そしてその陰には、金山衆かなやましゅうとそのルーツと思しき<百済人>の影が見え隠れしている。
この話はとても長くなるのでいずれ何かの機会にまわすことにして、それよりも、もしかしたら百済王がやってきた宮崎にも<黄金>にまつわる何かがあるかもしれない! あるに違いない!  
連想ゲーム<百済王→黄金→甲州→甲斐の国→甲斐さん?
宮崎には、「甲斐」という姓が多いな! 何故だ!?……

南国の太陽にさらされた脳みそが、中々クールダウンしないなか、妄想はさらに広がり、ロング・ワーケーション絶好調である。

次回は放送作家の道蔦岳史さんへ、バトンタッチ!

ぜひ、応募してください!

2021年の夏、東京のコロナ禍とオリンピックを避けて、東京から九州へ移り住んだ。
移住というより、気分はロング・ワーケーション。ここで見つけた古代史ロマンを文学賞というカタチでプロデュースしています。
みなさんもご一緒に妄想にふけりませんか?

「第4回西の正倉院みさと文学賞」は、駆け込み応募大歓迎!
2021年11月30日締め切り!
12,000字だから、間に合うかも!

西の正倉院みさと文学賞サイト

こちらは、『西の正倉院みさと文学賞 作品集』

『西の正倉院みさと文学賞 作品集』表紙
『西の正倉院と百済王伝説 美郷のキセキ』表紙

みさと文学賞受賞作を漫画化した『西の正倉院と百済王伝説 美郷のキセキ』

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

メルマガ会員募集中

ESG特集