テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第83回は、「8時だョ!全員集合」「クイズダービー」などでお馴染みの放送作家、原すすむさん。

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海外旅行はロケハンに限る

原すすむさんの写真
原すすむ
放送作家
日本放送作家協会会員

私 「あんな時代はもう来ませんかね?」
奥山「あんな時代は……もう来ないだろうなぁ

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実は先日、私の師匠である奥山恍伸の門下生の一人がある賞を頂き、そのお祝いの会を有志数人が集まり、東京・赤坂の「津々井」で開く事になった。
会も盛り上がり、何時しか話はそれぞれが体験したテレビの世界の話となり、とどのつまりであの会話となった。

ここで言う「あんな時代」とは、テレビ番組の制作費が潤沢ともいえる時代。
そんな時代の中で私が放送作家としてテレビの世界に携わり、結構いい思いを享受した「あんな時代」の事である。
この度のリレーエッセイのテーマがお金の話であるとの事。
そこで今回は、私が放送作家となりこの世界で経験した、あんな時代のちょっとした贅沢体験を綴っていきたいと思う。

1970年代。海外旅行はまだ高嶺の花であった時代。私はロケ&ロケハンと言う形で海外旅行を楽しんだ。
先ずは、当時としてはアップダウンクイズの賞品でしかお目にかかれなかった憧れのハワイ旅行に初めて行けたのも番組のロケであった。
その後、数々のロケ&ロケハンでちょっとした贅沢を享受する事になる。

Hawaii旅行のイメージ
1970年代の番組ロケで、憧れのハワイ旅行を楽しんだ

言うまでもなく、あの時代のロケ&ロケハンのスケジュールは余裕をもって立てられていた。
イギリスではレポーターの山口君と竹田君と共に、007シリーズの映画の番宣取材ロケに出かけ、本場のダービーに興奮し、アビーロードではビートルズを真似て記念写真を撮り、大英博物館でロゼッタストーンで見識を深め、ロジャー・ムーアと記念写真を撮り帰ってきた。

フランスロケではルーブル美術館でモナ・リザに微笑みかけられ、中国ロケでは天安門広場の大きさに呆れ、フィリピンロケではロケスタッフの護身として帯同した警察官からピストルを買わされそうになった。
その他、台湾ロケ、韓国ロケ、アメリカロケなど、あの時代ならではのロケ&ロケハン(海外旅行)を満喫した。

『8時だョ!全員集合』で享受したちょっとした贅沢

私が『8時だョ!全員集合』に参加したのは1970年代の後半からだったと思う。
一回の生放送にかけるセットの値段は数千万円。正に「あの時代」を象徴する番組であった。

私が先ず驚いたのは、本番までの稽古の綿密さであるが、今回の話のテーマとはちょっとズレるので、詳しくは別の機会にお話ししたいと思う。
で、この番組で享受したちょっとした贅沢のその①は、稽古終わりの「タク送」である。

番組スタッフは同じ方向にタクシーで相乗りして帰るが、何と放送作家には毎リハーサル終わりにハイヤーが一台待っている。
それもバカでかいキャデラック。
いいのかこれ!?

8時だョ!全員集合のハッピ
『8時だョ!全員集合』には1970年代の後半から参加した

ちょっとした贅沢その②は、「ホテルに缶詰め」
リハーサル前日になるとホテルに台本執筆用の部屋が用意されている。
ホテルに缶詰めと言うとあまり良い印象ではないが、お金の無い放送作家にとってはありがたい。
何しろルームサービスが使い放題なのである。

ホテルのルームサービスのイメージ
台本執筆のためホテルに缶詰めでも、ルームサービス使い放題はありがたい

ちょっとした贅沢その③は、「年に一度のラスベガス旅行」
この旅行にはドリフターズに対する一年の慰労の意味もあるが、もう一つちゃんとした目的があった。
エンターティメント先進国のアメリカへ行き、人を楽しませる為のアイデアを探しに行く旅でもあった。そんな旅に放送作家として参加させてもらえた。

『8時だョ!全員集合』の台本
年に一度のラスベガス旅行で学んだ「人を楽しませるためのアイデア」を台本に盛り込むことも

当然ラスベガスでは、超一流スターの生のステージを見る贅沢。
フランク・シナトラ、ディーン・マーチンなどなど。
この方式のアメリカの旅は、私が後に担当する『関口宏の東京フレンドパークII』でも使わせて頂いた。
以上が、私が体験した「あの時代」のちょっとした贅沢の一部である。

話は今回のエッセイの冒頭に戻るが、なぜお祝いの会場を赤坂の「津々井」に選んだのかである。
実は「津々井」は当時から知る人も知る高級洋食のお店である。
若造放送作家が簡単に行けるお店ではなかった。

しかし、「あの時代」には、TBSで打ち合わせ終わると「津々井で飯でも食うか」とディレクターに連れて行って頂いたのである。(ビフテキ丼が名物で、「全員集合」ではリハーサルの際の弁当の何回かに一回はテキ丼であった)

そんな懐かしさと、今回のお祝いの会の主人公も若手放送作家の時代に私と同じ様な享受をここ「津々井」で受けたと言う経緯もあり、祝いの席として選び、昔話に花が咲き、冒頭の会話となった。
私 「あんな時代はもう来ませんかね?」
奥山「あんな時代は……もう来ないだろうなぁ……なぁ秋元

次回は放送作家のONKOさんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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