テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第89回は、TVドラマの脚本や書籍の執筆などで活躍中の脚本家、金子成人さん。

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学校貯金の行方

金子成人さんの写真
金子成人
脚本家
日本放送作家協会会員

「鐘に恨みは数々ござる」というのは、長唄『京鹿子娘道成寺』の冒頭の歌詞だが、金に関して、死んだ父親には忘れられない恨みがある。
年を経るにつれその恨みは消えたが、恨んだ出来事だけは鮮明に覚えている。
父は戦前、小学校の教員をしていたのだが、戦後すぐにその職を辞し、スポーツ用品店を始めた。戦前、教壇では鬼畜米英と教えていたのに、戦後は掌を返したようなことを口にするのが恥ずかしいという、やけに外面を気にするなんとも気の弱い理由での転身だった。

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そんな父をひどく恨んだのは、遡ること60年ばかり前の、10になるかならないかという時分である。

米軍基地の町、佐世保の映画館で西部劇をよく見ていた僕はある日、無性にゲイリー・クーパーが腰に下げていたリボルバーの拳銃を欲しくなった。町のおもちゃ屋でその値段を確かめると、2,000~3,000円ほどだが、親や親戚がくれるお年玉が100円単位だった当時、小学生だった僕には、すんなり出せる額ではないし、持ち合わせもなかった。

その時ふと、小学校に入学してから始めた学校貯金があることに気付いた
日頃、残高など確かめたことはなかったが、『おそらく、玩具の拳銃を買える額はあるはず』、そう思い込んだ僕は「学校貯金の金をくれ」と母親に頼んだ。

しかし、父とともに家業の運動具店に関わっていた母親は、家の方のことは祖母に委ねていたので、「婆ちゃんが預かっているのではないか」とのことだった。
婆ちゃんとは、父親の母である。
婆ちゃんに聞くと、「ヨシオに渡した」。
戸惑いを滲ませて父の名を言うので、ヨシオに恐る恐る問い質すと、「そんなものは知らん」と、冷ややかな声が返ってきた。

納得出来ない僕は、祖母や父や母に、学校貯金の通帳を見せてくれと泣き喚いて食い下がったのだが、「ヨシオは、通帳は見当たらんといいよる」何日か後、祖母からそんな返事があった。
その時祖母は、ふと俯き、やがて、細いため息を切なげに洩らした。

「おれの学校貯金を引き出して使ったのは、父親に違いない」
祖母の様子を眼にした僕は、幼いながら、そう思ってしまった。

祖母の手元のイメージ
祖母に通帳のことを聞いても、俯き、ため息を洩らした

誰が通帳を葬ったのか?

とにかく、その時分の我が家は経済的に困窮していた。
父はなにしろ商売が下手だった。
儲けようという工夫も才覚もなかった。
というより、教員時代の学校関係、友人知人の縁にすがってばかりいた。こちらから商品を売り歩くということはプライドが許さないのか、ほとんど出来ず、客が来るのを待つという、いわば“殿様商売”だったから、儲かるはずがなかった。

税金の督促に母親が奔走していることも気付いていたから、『犯人は父である』という僕の推測は間違っていないという確信はあった。
ところが、いくら思い出そうとしても、その後の記憶がないのだ。
通帳を見せろと泣き喚いた時の光景は、いまも鮮やかに思い出すのだが、その後の経過が頭からすっぽりと抜け落ちている。
玩具の拳銃を買った記憶もない。

学校貯金の通帳は、結局、二度とお目には掛からなかった。従って、残高がいくらあったのかも不明のまま、闇の向こうに消えたのだ。

この夏、墓仕舞いをするために故郷に帰って、祖父が檀家総代をしていた檀那寺に出向いた。寺の合同墓地に移すために、墓石の下から、祖父母、二親、兄たちの骨壺が出されるのを見ていたら、60年ほど前の“父に玩具の拳銃代を盗られた”一件を思い出した。

墓仕舞いの儀式が済んだ後の食事会では、いとこたちや甥や姪たちと昔話に花が咲いた。
拳銃代を盗られた当時の我が家は5人兄妹で、市役所勤めの長兄以外の4人は、高校生中学生小学生だった。そのほかに、畑仕事をするだけの祖父母には収入はない。

その家族を養っていた父は、商売が下手だったから実入りは限りなく少なかったはずだ。そこまで考えた時、学校貯金の通帳は作ったものの、僕の口座に定期的に貯金をしてやる余裕が、親にあったのかどうかという疑問にぶつかった

そのころの両親の様子を思い起こすと、金の使い方についてはいつも眉間に皺を寄せていたし、従って、10円50円の小遣いをせびるのにも、子供心に気を遣っていたことを思い出した。
しかも、通帳だけは作ったものの、その後、学校で定期的に貯金を続けたという記憶がないことにも気づいた。

僕の学校貯金は、もしかすると、いつの間にか途絶えていたのではあるまいか
なのに、貯金は溜まり続けていると勝手に思い込んでいたと言えなくもない。
祖母や母や父に問い質した貯金通帳には、万単位の額など無く、もしかしたら千単位の残高さえ無かったのではないかと思える。
それを僕に知られまいと、「誰かが」通帳を闇に葬ったのではないのか――。今になって、そんな考えに思い至った。

日本のお金と通帳のイメージ
貯金通帳に残高がなかったため、闇に葬られたのかもしれない

通帳を葬ったと推測出来る3人は、すでにあの世の住人になっていて、真相の究明は出来ない。父に濡れ衣を着せて恨みを向けたのは、僕の軽はずみな所業だったのだろうか。 
となると、60年前、リボルバーの拳銃を買えなかった恨みは、誰に向ければよかったのか。行方不明の通帳さえ出てくれば気は収まるのだろうが、それは望むべくもない。
やはり、金に恨みは付き物ということか。

次回は放送作家の工藤莞太さんへ、バトンタッチ!

是非、読んでください

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一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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