テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 連載第119回は、ラジオドラマの脚本家、中澤香織さん。

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カーキ色のバッグ

中澤香織さんの写真中澤 香織
放送作家
日本放送作家協会会員

中学3年の時、「もらったお年玉は好きに使えばよい」と母親に言われたので、カーキ色のキャンバスバッグを買った。年相応の値段だったと思う。そのデザインは母親の好みに合わなかったようで、「なぜそんなものを買ったのか、お金の無駄遣いだ。自分のお金でないから平気なんだ」と言われた。

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ごりごりのダブルバインドだと今なら無視できるけれど、当時の私にはなかなかの衝撃だった。金を使うのが下手、と烙印を押された感じだ。「物を買うのは楽しくない」というのが基本になった。今さら親を責めたいわけではない。私も「いいでしょ、私が気に入ったんだから」とは言えなかったのだ。バッグは一度も使われることなく押し入れの奥に追いやられた。

金を使うのが下手な子どもは、特に誰からもどこからも学ぶことなく大人になった。自分の足に合わないスキーブーツを買ってしまい「ブーツ1つまともに買えないのか」と先輩に指摘されたり、旅行に行ってこまごまと頼まれたお土産を買っていると「そんなに買う必要ある?」と友達に言われたり。その都度、金を使うのが下手なんだ下手なんだ下手なんだ……と頭の中で自分の声が響く。自分がいいと思ったものにお金を払うことに恐怖心がわいた。
そう思いながらも訓練だと思って何かを買い続けてきたが、自分のものを買って「これ買って成功!」と心から感じたことはなかった。

また、自立と依存をどう考えるかについて、私の頭はずっと混乱し続けてきた。ひとりひとり事情があるのだから、住まいや教育の援助を受けようが、稼いだお金をどう使おうが、人の自由だと思うのだが、自分のことになると頭が真っ白になった。お金のことを自分で決めて選択しようとすると、身近な人に激しく反対され自尊心が削られることもたびたびあった。

私は転職が多く、アルバイトの時期も長かったので、さまざまな助けを得ながら生きてきた。本当に純粋に自分の力で稼いだお金というのはいったいどのお金か、みたいな気持ちになっていた。そんなもの、1円だってないんじゃないかと思うこともあった。好きなものを買う時も「買う意味があるのか、それは本当に自分の金か」と考え出すと、買った後、結局楽しくない。大人になってからも「物を買うのは楽しくない」が続いた。

カーキ色バッグのイメージ中3の時のお年玉で買ったカーキ色のバッグは、一度も使われることなく押し入れの奥に追いやられた
※写真はイメージです

結局、人生の話

こんなに年をとっても、まだくよくよと悩んでいる。これではまずいと思って、自分がお金のことで思い悩む場面をじっくり考えてみることにした。正直に言うと、ここ10年、いや、ここ3年くらいかもしれない。

例えば披露宴に出席する時に、着るものを買わなくてはいけない。その時に、「どんな服なら場にふさわしいか」「自分の好きな服がよい」「予算は」などいろいろと考える。それはいい。最終的に私にとって一番大きな問題になるのが、「その服にそのお金を払うほど、自分に価値があるんだっけ」という思いだ。それを乗り越えて買うには心に麻酔を打つ必要がある。麻酔を打って買い物。やっぱり楽しくない。

お金のことを考えていたつもりが、人生の話になる。自分を愛せていますか、自分に価値があると本当に信じられますか、みたいな問いかけが矢になって飛んでくる。部屋の片づけ問題なども、健康診断、行ってますかっていう話も、解きほぐしていくと、同じだ。本当に疲れる。そんなに自分を愛するって大事なことなのか。……大事なのだ。本当に。年を重ねるごとに実感する。答えは分かっているのに、みんな出来ないから苦しむんだなと思う。自分を愛せたらいいですね。人生と体を大事に出来たらいいですね。気を緩めると、全部出来なくなる。

日本円のお金のイメージお金のことを考えていると、人生の話になる

一方で、多くの人に、特に派遣社員仲間の女性にお金への態度について聞き取りが出来た。自分のダメさの開示でもあった。みなさん、割と率直に話してくださる。お互い、若くないからかもしれない。私にとって貴重な体験だった。「人それぞれ」が実感となってやっと体にしみ込んできた。誰もかれも真剣だ。「本当に純粋に自分のお金か」というのは愚かな問いだと思うようになった。お陰で少しずつだが麻酔なしで好きなものを買えるようになった気がする。

カーキ色のバッグは隠しておけばよかった。お金と自分のことを考え始めると、いつでもあのバッグが目に浮かぶ。自分の選択を許して愛すること。死ぬまで修行が続く。一日ごとにましな自分になっていきたい。

次回は藤村果樹園さんへ、バトンタッチ!

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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