テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第131回は、モデルから放送作家へ転身した勝木友香さん。
ニ刀流と副業ブーム
“モデルから放送作家に転身した変わり者”。私は自分自身をこう表現してきた。勝木は地元福岡でスカウトされ、高校卒業後モデルとして東京へやってきた。
放送作家に転身したのは27歳のとき。2年ほど、モデルと兼業で作家修行をした後のことだった。という経歴を話すと、だいたい「なぜ、モデルから放送作家になったのですか?」という質問を受ける。よほど不思議なのだろう。実際、モデルのお仕事は大好きだったし、実は収入も“まぁまぁ高所得のOLさん”くらいはあった。
ではなぜ辞めたのかというと……当時のテレビ業界の人々は、良く言うと誇り高く、悪く言うと閉鎖的。二足の草鞋を面白く思わない人が多くいた。そう、モデルを辞めたのは、放送作家業への気持ちが本気であることを証明するための勝木なりのアピールだったのだ。
あれから20年。時代は変わった。それは緩やかに……ではなく、この近年の急激な変化だったように思う。原因はいくつもある。TV業界の不況であったり、パワハラに対する世の中の認知であったり、二刀流を見事にぶちかました大谷翔平さんの活躍も後押ししているかもしれない? とにかく、世の中の副業ブームから随分と遅ればせながら、放送作家にもその波が来たのだ。
「お仕事の依頼はDMまで」
さて40代にして自由を手に入れた勝木。かと言って、積極的に行動しているわけではないのだが、依頼されたお仕事をその都度、受けているうちに気付けば「何刀流?」と弄られるほど多様性人間になっていた。
勝木の副業ラインナップは……
その1、モデル。昔とった杵柄は、今は作家業の息抜きに。
その2、ナレーター。先輩のお誘いで始めたチャレンジで刺激的。
その3、フーディー。料理周りは唯一無二の趣味の延長線。
そして最近、圧倒的に多いのはインスタグラム案件だ。元々、インスタグラムはあくまで個人アカウントで、3年前くらいまではほぼ観る専用に近しいものだった。しかし、気付いたのだ。若い放送作家などがプロフィール欄に「お仕事の依頼はDMまで」と明記しているではないか!
そうか……これまでお仕事は知り合いからしか来なかったけれど、SNSを通して知ってもらうこともできるのか! あわよくば目に留まった業界の方から作家の依頼が来ないものかと色気を出し、例の「お仕事依頼はDMまで」を記載してみたらこれが思わぬ方向に反響!?
放送作家業だけでなく、毎日、PRや企業からの問い合わせ案件がやってくる。しかもそれがフォロワーの数によって出世魚のように条件も良くなっていくのだ。
フォロワーが千人くらいの時は、商品紹介を条件としたギフティング。5千人を超えたあたりからその商品単価が高額に変動。1万人を超えると飲食店や旅館などの招待案件が増える。そして2万人を超えたあたりからは、ギャランティー有りの案件が増え、先日はついにとあるメーカーの年契広告モデルのお話まで問い合わせがあったのだ。
いやはや、たかがSNS。されどSNS。放送作家になりたての頃、“自分を押し殺す”ことでアピールした私が、まさか“SNSで発信する”ことでアピールする日が来るとは思いもしませんでした。(ちなみにあくまで放送作家が本業のため、案件に関してはお声がけいただいた中のほんの1割位しかお受けしてはいないんですけどね!)
そんなこんなで、放送作家を大きな軸にお仕事ボーダーレスを楽しませていただける毎日。発信することで、何かが動くこともある!? 一度きりの人生、楽しみましょうぞ。
あ、そうそう最後に……お仕事はDMまでお願いします!笑
次回は放送作家の日高大介さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイズ」などさまざまな事業の運営を担う。