テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第156、157回は、放送評論家の鈴木嘉一さんが2回にわたってお届けします。

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山田さんは「脚本の文豪」?

鈴木嘉一さんの写真鈴木嘉一
放送評論家

日本を代表する脚本家」と書いても、文句を言う人は誰もいないだろう。2023年11月29日、老衰のため89歳で亡くなった山田太一さんのことである。山田さんには、30年以上にわたり公私両面でお世話になった。追悼の意味を込めて、私が同じように親しくさせていただいた元日本放送作家協会理事長・脚本家の市川森一さんと山田さんとのかかわりについて書きたい。

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まず、2人の共通点は何か。それは名前にあり、2人とも「一」がつく。市川さんは確かに長男だったが、山田さんは8人きょうだいの6男なのになぜ「一」がつくのか、よく考えてみれば不思議である。もう1つの共通点は、三谷幸喜さんの持ちネタに行き着く。

朝日新聞に連載しているコラム「三谷幸喜のありふれた生活」(2023年12月7日付)で山田さんを追悼した際も、「ちなみに僕と山田太一さんの共通点は名前が左右対称。実は市川森一さんもそう。ただ見比べてお分かりだと思うがシンメトリーとしての完成度は僕がトップではなかろうか」といささか誇らしげに触れたうえで、「お二人に勝てるものが僕にはそれくらいしかない」と卑下調(?)で結んでいる。ちなみに、市川さんと三谷さんは日芸、つまり日本大学芸術学部の出身でもある。

三谷さんは「脚本の文豪、山田太一さん」という見出しがつけられたこのエッセーで、「脚本家としてのキャリア、作品の完成度、テーマ性。どれを取っても日本最高峰。どの作品も全く古びておらず、その意味で山田さんのイメージは既に『文豪』に近い」と最上級の賛辞を呈している。しかし、素顔の山田さんを知る私からすれば、「文豪」も「巨匠」も山田さんには似合わないような気がする。

山田さんが健在だったら多分、「多くの人が、文豪なら夏目漱石や谷崎潤一郎、巨匠なら黒澤明監督あたりを思い浮かべるでしょう。とてもじゃない、僕はそういう柄ではありませんよ」と照れを通り越して、戸惑われるに違いない。働き過ぎのサラリーマンが会社をやめる『小さな駅で降りる』(テレビ東京、2000年)や、日本と韓国の交流をテーマにした『ちいさな橋を架ける』(毎日放送、2001年)という題名のドラマスペシャルがあるように、山田さんは「大きなものやこと、人」よりも「小さなものやこと、人」に目を向けた。なぜなら、「小さな存在」は山田さん自身も含めた私たちそのものだからだろう。

それでは、どんな形容が当てはまるか考えたところ、「名匠」という言葉が浮かんだ。これなら、アーティストというよりアルチザンに通じるニュアンスがあり、山田さんもそれほど抵抗なく受け入れてくれるのではないか。

山田太一さんと市川森一さん日本放送作家協会の創設50周年記念イベントが開催された、東京・新宿の芸能花伝舎前に立つ山田太一さん(右)と市川森一さん(2009年)

市川さんに対する信頼感

山田さんが1987年に発表し、第1回山本周五郎賞を受賞した『異人たちとの夏』は、中年の脚本家が生まれ育った東京の浅草を訪れ、亡くなった両親と〝再会〟するというファンタスティックな物語である。後に英訳され、海外でも出版された。『さざなみ』や『荒野にて』のアンドリュー・ヘイ監督がこれを現代の英国に置き換え、アンドリュー・スコット主演で映画化した『異人たち』は4月、日本でも公開される。

日本では1988年、大林宣彦監督、風間杜夫主演で映画化され、この脚色を担ったのが市川さんだった。山田さんが初めて書いた小説『岸辺のアルバム』は東京新聞で連載中、TBSからドラマ化の話が来た。自ら脚本も手がけ、山田さんの代表作の1つになったのは言うまでもない。その後の『沿線地図』や『丘の上の向日葵』なども最初に小説を書き、自分で脚本を書いたように、脚色をほかの脚本家にゆだねるのは極めて珍しかった

市川さんは日本テレビの『傷だらけの天使』で頭角をあらわし、NHKの大河ドラマ『黄金の日日』、西田敏行が主演した『港町純情シネマ』や第1回向田邦子賞受賞作『淋しいのはお前だけじゃない』(ともにTBS)などで脚本家としての地位を確立していた。『異人たちとの夏』を映画化したいという松竹の申し出に対し、山田さんは「非常に忙しくて、脚本にする時間がない。どうしてもと言うなら、市川さんが書いてくれることが唯一の条件です」と応じた。市川さんは快諾し、映画化が実現した。山田さんは同じ脚本家として市川さんを高く評価し、信頼感もそれほど厚かったと言える。

市川さんが70歳で急逝した2011年暮れ、東京・青山葬儀所で営まれた告別式。山田さんは弔辞で「このような形であなたを見送ることになるとは思ってもみませんでした。私の方が7歳上なので、てっきり市川さんが見送ってくれるものと思っていました」と切り出した。『異人たちとの夏』のエピソードを披露し、「メランコリックで、ノスタルジックで、センチメンタルな作家はもういない。かけがえのない人でした。実のところ、まだ市川さんがいなくなったことになれていなくて、うまく追悼できません」と声を潜め、胸にしみた。

西田敏行や役所広司、竹下景子らの弔辞が続いた後、山田さんは葬儀委員長として再びマイクの前に立ち、「たくさんの方が集まり、あらためて市川さんの作品の大きさ、豊かさを感じておりました。にぎやかだった市川さん、にぎやかなことが大好きだった市川さんはきっと喜んでいると思います」と締めくくった。

朝日賞を受賞した山田太一さん(左)と筆者(2015年)

次回も鈴木嘉一さん、『山田太一さんと市川森一さん(後編)』に続く!

山田太一さんと市川森一さん(後編)

是非読んでください!

中央公論』2月号に山田太一さんの追悼を寄稿しました。「『普通の人』を深く、温かく描いた名匠」と題して、8ページ分書きました。

2月上旬に発行された「放送人の会」会報第100号には、「名演出家と名脚本家の共通点――鶴橋康夫、山田太一両氏を悼む」が掲載されています。

さらに、3月上旬に発行される放送専門誌『GALAC』4月号では山田太一追悼特集が組まれます。その1つとして、山田さんの長女であり、フジテレビで倉本聰脚本の『風のガーデン』や岡田惠和脚本の『最後から二番目の恋』、坂元裕二脚本の『最高の離婚』などを演出してきた宮本理江子さん(今はフリーの演出家)との対談「山田太一の作風と素顔を語る」が掲載される予定です。

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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