テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第157回は、前回に引き続き、放送評論家の鈴木嘉一さんのご登場です。

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山田太一さんと市川森一さん(前編)

律義だった山田さん

鈴木嘉一さんの写真鈴木嘉一
放送評論家

長崎県諫早市出身の市川森一さんは5期10年に及んだ日本放送作家協会理事長の仕事と並行して、故郷の長崎県でも熱心に文化活動に取り組んだ。長崎「旅」博覧会プロデューサー、諫早市立諫早図書館の名誉館長、長崎歴史文化博物館の名誉館長などの公職を次々に引き受けた。単なる名誉職ではなく、個人的な人脈を生かしてゲストを招くトークショーや講演、文化行政への提言などで地元に貢献した功績は、私がたびたび長崎市や諫早市を訪れた際、官民を問わず地元の関係者たちから聞かされた。

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市川さんは2012年1月下旬、山田太一さんとともに諫早図書館で公開の対談をする予定だったが、年を越せずに亡くなった。律義な山田さんは一人で諫早を訪れて講演し、市川さんとの約束を果たした。その諫早行について、小林秀雄賞を受けたエッセー集『月日の残像』でこう書いている。

故郷の人々の市川さんへの敬意は心のこもったもので、市川さんもそれだけのことをなさっていた。図書館に市川さんが来た時のための一室が用意されていて、名誉館長なのだった。生地の浅草に、ほとんど知り合いもいない私とは大違いで、いささかの皮肉もなく人徳の差にひるむ思いをした」

山田さんは腰が低く、謙遜する面があるので、「人徳の差」を真に受けることはできない。私も覚えがあるが、恐らく相当忙しいにもかかわらず、個人的な集まりに顔を出していただいたことは一度ではない。ドラマ評や山田さんに言及した評論を書くと、丁寧な礼状をいたただいた。私が近著を贈ったら、目を通さなければ書けないような、的確な感想をつづった手紙が届き、「山田さんの貴重な時間を奪ってしまったと恐縮したこともある。山田さんは実に筆まめだった。私の友人の合津直枝プロデューサー(テレビマンユニオン)も、山田さんから送られてきたいくつもの便りを大切にしている一人である。

アジアドラマカンファレンスのイメージ福岡市で開催されたアジアドラマカンファレンスでは、市川森一さんの追悼式典があった。そこで登壇した(右から)山田太一さん、脚本家の中園ミホさん、演出家の堀川とんこうさん(2012年)

継承される志と敬意

市川さんは日本放送作家協会理事長として、脚本アーカイブズ設立運動の先頭に立った。市川さんが死去した翌年の2012年、一般社団法人「日本脚本アーカイブズ推進コンソーシアム」が設立され、山田さんが代表理事に就任した。団体のトップや役職に就くのは好まなそうに見える山田さんがあえてこの役職を引き受けたのは、脚本アーカイブズの実現に尽力してきた市川さんに対する敬意と共感からと思われた。

同コンソーシアムは具体的な活動の手始めとして、市川さんの一周忌に際して「デジタル脚本アーカイブズ 市川森一の世界」をインターネット上で公開した。市川さんが書いた100以上の脚本に加え、年譜、関係者へのインタビューなどがアップされた。私も求めに応じて、「夢の途中、ふりかえれば虹――市川森一の軌跡とその世界」と題した長めの文章を寄稿した。これを大幅に改稿・加筆したものは、市川森一論集刊行委員会編の『脚本家 市川森一の世界』(長崎文献社、2018年)の巻頭に収録された。

山田さんはこの「デジタル脚本アーカイブズ 市川森一の世界」に同コンソーシアム代表理事としてもう市川さんはいない」と題した文章を寄せている。その一部を引用したい。

市川森一脚本のほぼ全集に近いサイトである。こんなことはテレビドラマの世界でもはじめてのことで、それに価する作家であったことがこれで証明されるだろう」「市川さんは、晩年の数年を費やして、テレビドラマの脚本を、ある時代の価値観で選別することなく、出来るだけすべてを保存しようという活動の中心にいらした。

山田さんの後任として、ベテラン脚本家の池端俊策さんが代表理事に就任した。池端さんもこうした役職に就くのは好まないタイプだろう。何かで顔を合わせた時、「よく引き受けましたね」と率直に話したら、「山田さんから電話がかかってきて直接頼まれたら、もう受けないわけにはいかないよ」との答えが返ってきた。創造に携わる人たちの志と敬意は、駅伝のたすきのようにつながれるものだと思った。

山田さんも市川さんも、テレビドラマと脚本家の社会的地位を高めるのに大きな役割を果たした。お二人のドラマ作りとさまざまな活動に伴走してきた私はあらためて、山田さんと市川さんに心から敬意を表したい。

長崎でのシンポジウムと上映会のイメージ市川森一脚本賞財団は2022年暮れ、長崎歴史文化博物館で「市川森一と長崎」をテーマにしたシンポジウムと上映会を開催し、女優の三田佳子さんらが参加した(左端は司会を務めた筆者)

次回は山本むつみさんへ、バトンタッチ!

是非読んでください!

中央公論』2月号に山田太一さんの追悼を寄稿しました。「『普通の人』を深く、温かく描いた名匠」と題して、8ページ分書きました。

2月上旬に発行された「放送人の会」会報第100号には、「名演出家と名脚本家の共通点――鶴橋康夫、山田太一両氏を悼む」が掲載されています。

さらに、3月上旬に発行される放送専門誌『GALAC』4月号では山田太一追悼特集が組まれます。その1つとして、山田さんの長女であり、フジテレビで倉本聰脚本の『風のガーデン』や岡田惠和脚本の『最後から二番目の恋』、坂元裕二脚本の『最高の離婚』などを演出してきた宮本理江子さん(今はフリーの演出家)との対談「山田太一の作風と素顔を語る」が掲載される予定です。

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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