テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第146回は、「まんが日本昔ばなし」(毎日放送)や「おかあさんといっしょ~ぐーチョコランタン」(NHK)などの脚本を書き、現在は小説家の西川司さんです。

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NHK紅白歌合戦の構成台本料は、名誉料?!

西川司
西川司
脚本家、小説家

2023年現在、私は65歳になり、高齢者の仲間入りとなった。作家デビューしたのが25歳であるから、ちょうど40周年ということにもなる。
ラジオやテレビで、ドラマ・ワイドショー・ドキュメンタリー・アニメーション・クイズ、音楽、旅、情報番組等々、自分ほどジャンルを問わず、頼まれればどんな番組の台本も書いてきた節操のない作家もそういないのではないかと思う。
だから、よく、「忘れられない思い出の番組はなんですか?」と訊かれることがあるのだが、多すぎて困ってしまうほどである。
しかし、どうしてもひとつだけ挙げて欲しいと言われれば、私は「1990年の第41回のNHK紅白歌合戦」と答えるだろう。

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あの年の紅白歌合戦の構成台本を書いたとき、私はまだ若干32歳だった。それまで“電話帳”のようだといわれるほど分厚い(当時のNHKの番組は一切アドリブが許されず、一言一句台本通りに話さなければならなかったのだ)紅白歌合戦の台本を書いていたのは、大御所の大先輩たちで、若干32歳の私が書くことになるなど、想像すらできないことだった。

そんな若輩者の私が起用された訳は様々あったようなのだが、大きな理由は視聴率が年々下がりつつあり、なにか新しい試みをしなければならない。そのためには、斬新な発想ができる若い作家に番組の内容を考えてもらって台本を書いてもらおうということになったとチーフプロデューサーは私に説明した。

そこで私はいろいろなアイディアを考えたのだが、その詳細を書くには紙数が足りなくなるので省くが、採用された斬新な(?)アイディアは2つだった。

ひとつは、それまで紅組と白組の勝敗を決めるのは会場のお客さんとゲストがそれぞれ紅白の旗を挙げ、それを野鳥の会の人たちが双眼鏡で数えるというものだったのだが、それを廃止にして、会場の天井に飛行船を吊るし、紅組か白組かの拍手の音量が推進力となって、その距離で勝利がどっちになるかを決めるというものだった。

トラリピインタビュー

そして、もうひとつが、その年の前年に起きたベルリンの壁崩壊の場所から、シンガーソングライターの長渕剛氏が衛星生放送という初の試みで「乾杯」という名曲を熱唱してもらうというものだった。

この2つの改革案に決まるまで、およそ半年に及ぶ会議が行われ、台本の書き直しは記憶がないほどさせられ、12月中旬にやっと印刷されて電話帳ほどの分厚さの台本が出来上がったのだが、その構成台本料は、なんと5万円だった。

私はなにかの間違いだろうと思ってプロデューサーに確かめたのだが、「5万円は名誉料なんだよ。紅白歌合戦の台本を書かせてもらった君は、これから死ぬまでウチのなんらかの番組の台本を書くことになるんだよ」と言われたのだった。

日本円の紙幣5万円のイメージ
「5万円は名誉料。これから死ぬまでウチのなんらかの番組の台本を書くことになる」と言われた

そして、大事件は起きた!!

そして、ついに本番当日を迎えたのだが、いよいよ私が忘れようにも忘れられない紅白史上類を見ない大事件が起きたのである。

それは紅白歌合戦の第一部の最後に、ドイツにいる長渕剛氏が登場したときのことだ。
総合司会者の松平定知アナが「そちらは寒いですか?」と呼びかけると、長渕剛氏は「寒いも暖かいも何も、こちらにきたら現場を仕切ってくれるのが、みんなドイツ人でね。共に戦ってくれる日本人なんて1人もいませんよ。今の日本人はタコばっかりですわ」と怒りだし、挙句に「親知らず」「いつかの少年」「乾杯」の3曲を17分30秒もかけて立て続けにがなり歌いつづけたのである。

ギターを弾く歌手のイメージ
長渕剛氏が3曲も歌い続けたおかげで、その後の時間が大幅カットされ大騒ぎになった(写真はイメージです)

そのおかげで、もうひとつの目玉企画だった植木等氏による「スーダラ伝説」のために取っていた10分41秒は、わずか4分50秒にカット。他にも大御所歌手たちは怒り心頭で、現場は大騒ぎになったのだった。

結局、長渕剛氏はNHKにはしばらく出入り禁止となったのだが、長渕剛氏はこの事件が伝説となって今も語り草になっている。
一方、私もまた企画した責任を取らされ、長渕剛氏と同様にNHKには出入り禁止になり、「死ぬまでNHKの番組の台本を書かせてもらう」という約束は露と消えたのだった。

次回は山田美保子さんへ、バトンタッチ!

是非、読んでください!

2023年11月刊行「ふうらい同心 日暮半睡」(コスミック時代小説文庫)

『ふうらい同心 日暮半睡』(コスミック時代小説文庫)表紙)

2023年12月刊行「深川の重蔵捕物控ゑ3 真実の欠片」(二見時代小説文庫)

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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