テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会(放作協)がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第172回は、アニメ『キングダム』、『「ウルトラQ」の誕生』や、『「ウルトラマンタロウ」の青春』などの特撮ドキュメンタリーでお馴染みの、脚本家、特撮研究家の白石雅彦さん。

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貧乏は白石家の風土病

白石雅彦さん
白石雅彦
脚本家
特撮研究家

コラムの依頼が来た。シリーズのタイトルは「放送作家はマネーの達人!?」。
私は放送作家ではないし、〝!?〟で言ったら、〝?〟の方だ。私は秋田県湯沢市の出身。たまにテレビで紹介されると、〝空洞化した典型的な地方都市〟とか、余りありがたくない紹介をされたりするから、町全体が貧乏である。

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去年、母親の23回忌で7年ぶりに帰省したが、駅前はシャッター通り。ゴールドラッシュが去った後のゴーストタウンのようであった。そんな町にあって、そもそも貧乏は、白石家の風土病なのである。

私の曾祖父の彦蔵は、佐竹藩士だった。当時の年貢は知らないが、御維新で武家でなくなると、着物の紋入れを生業とした。曾祖父は、趣味で日本画を描いていたし、細かい作業も得意だったようだ。仕事は丁寧で、京都からも依頼が来ていたと祖母は言っていた。10数年前、実家を整理していた時、物置の古いタンスから、曾祖父が仕事で使っていた道具、紋の型紙が見つかったので、記念に取ってある。

おそらく、職人に徹していればそこそこの生活はできたと思うが、祖母曰く、曾祖父は気に入った仕事しかしない男で、湯沢の三大変人と呼ばれていたそうだ。もっとも、後の2人は教えてくれなかったが。そういう人だから、生活は赤貧洗うがごとし、だったようだ。
住んでいた家も、高校を建てることになって立ち退きとなり、以来、白石家は土地なしとなった。

さて私である。祖母から「お前はひい爺さんにソックリだ!」と言われたことがあるから、彼女にはかなりの変人に見えていたのだろう。それは私が映画界などに入って、ちょっと変わった仕事をしていたせいかもしれないが。

トラリピインタビュー

今のような物書きになる以前、私は東宝で操演という特殊な仕事をしていた。作品でいえば〝平成ゴジラシリーズ〟以降のゴジラ映画に参加し、『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)が最後の仕事となった。操演というのは、読んで字の如く、飛行機や戦車、怪獣を吊って演じる仕事のことだ。他には船のミニチュアを動かすのも、ビルが壊れるときや、怪獣が歩くときに出る埃を出すのも操演の仕事である。火薬効果の仕事は特殊効果といって、東宝では別セクションなのだが、いわゆる町場の操演会社は、特殊効果も兼ねている。

現場という所は、そもそも〝きつい〟〝汚い〟〝危険〟の3Kなのだが、特撮の場合、火薬を爆発させたり、埃を舞い上げたりするので、本編よりはかなり〝汚い〟職場環境である。埃というのは、例えば怪獣が歩いたり、ビルが崩れたりする時の雰囲気作りで、圧搾空気で電発フライアッシュ(石炭火力発電所から出た灰で、そもそもはコンクリートの強化剤)と松煙を混ぜたものを吹き出すのである。3か月の撮影期間中、50キロのフライアッシュを200袋位使用する。そんな物を撒いて仕事をしているのだから、肌が露出している部分は、真っ黒に汚れてしまう。

映画撮影のイメージ
「きつい」「汚い「危険」の映画撮影現場。なかでも特撮の現場はかなり汚い(写真はイメージです)

負けてくれんかのう〜

しかも困ったことにこの仕事、実にギャラが安かった。外で仕事をするより、2割から3割は安かったのではなかったか。ゴジラをやっている頃、年末の某国民的歌謡番組で特殊効果の仕事をやったことがあるが、それより安かったのだからよほどだ。私が平成ゴジラシリーズの特撮を担当していたのは、東宝映像美術という会社である。

ゴジラシリーズは、東宝映画が製作で、東宝映像美術は、特殊効果部門を下請けしていた。つまり会社の取り分があるから、現場に回せる予算は、その分目減りしているわけだ。この頃、技師クラスは社員スタッフで、以下助手連はフリーの寄せ集めであった。特撮は準備に時間がかかるので、ほぼ連日残業、撮休の前の日は徹夜も多かった。社員スタッフには残業代が出るが、私達フリーにはない。それがあるから、私達に回ってくるギャランティは低く抑えられていた。

東宝映像美術の特殊効果部門は、特殊美術部、通称〝特美〟と呼ばれていた。当時の部長はH氏と言う。このお方のギャラ交渉の時の口癖は「予算がないんじゃ〜、負けてくれんかのう」。おいおい、こっちだって生活がかかってんだ。それでなくてもお宅のギャラは、外より安いんだから。

以下は、平成のゴジラシリーズではなく、97年、『モスラ2 海底の大決戦』に参加した時の話だ。3本ある平成のモスラシリーズは、ゴジラより予算が低めに設定されていた。これはやばい! 例の「予算がないんじゃ〜、負けてくれんかのう」に免罪符を与えるようなものではないか! 今回のギャラ交渉は、いつにも増して厳しいモノになることは、火を見るより明らかだった。

映画撮影のイメージギャラ交渉時のH部長の口癖は「予算がないんじゃ〜、負けてくれんかのう」だった(写真はイメージです)

私よりも先に、ギャラ交渉をした饒舌な美術助手のTがいた。T曰く、「白石、今回は無理だぞ。俺、2時間もしゃべり続けたけど、一銭も上げて貰えなかった」と。
そうか、これは違う手で行かなければ無理だな。さて、どうしよう、と悩みながら私はH部長の前の椅子に座った。はい、第一声は例の言葉です。そこで私は一言、「予算は私には関係ありません」。「そりゃあそうじゃがのう。こっちも厳しいんじゃ〜」とH部長。それを聞いた私は、頭に一言発しただけで、以後は沈黙を守った。H部長、それから1時間喋り続けたが、私は一切反応しなかった。流石に根負けしたのか、「わかった。1日500円上げよう」。うへ、たった500円! でもこれ以上は無理だなと判断し、仕方なく手を打った。まあ、たった500円でもギャラが上がったことは確かだから、これで良しとしよう、と思っていたのだが、特撮はそんなに甘くない。撮影期間も限られていたので、残業がいつもより30分も多くなって、終了はほぼ毎日、22時45分となってしまったので(23時を過ぎると、送りが発生するので、無理矢理15分前に撮影を切った)、実質的なギャラ目減り。

ああ、やはり貧乏は、白石家の風土病なのであった。

次回は、脚本家の友永コリエさんへ、バトンタッチ!

是非読んでください!

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一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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