テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第114回は、ソーシャルゲームのライターとして頑張っている庄司夕助さんです。

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僕の仕事は作り続けること

庄司夕助さんの写真庄司夕助
放送作家 ゲームシナリオライター
日本放送作家協会会員

僕はソーシャルゲームのシナリオライターとして文筆業の業界に入り、会社に雇われ、定量のストーリーを作ることで生活している。

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作品連載による一定の収入や、出版による印税収入とは違い、ゲームをプレイしている読者が求めるレベルの作品を一定の期間で連続して生み出し続けるのが僕の仕事であり、僕が背負っている責任だ。

僕が社員としてシナリオライターの仕事を続けられているのは、様々な勉強と挑戦があったからだと考えている。

最初の勉強は、本格的にストーリーを制作することを仕事にするため、職業訓練校に通うことだった。
此処では、今でも先生と呼び、僕がストーリーを作る時に大切にしている2つのことを教えてくれた恩師の2人との出会いがあった。

1人は放送作家協会に所属し、ラジオドラマやアニメ脚本を手掛けていた先生だ。
特に感情が動く『感動』をストーリーに置くことを学んだ。

もう1人の先生から学んだことは矜持をもつことの大切さ
ストーリー内の人物には心があり、執着する言葉や行動があってこそ、その人物の『矜持』への共感や反感を抱くことができるのだと学んだ。

こうした勉強があり、基礎的なシナリオを書ける僕は社会に出ることが出来た。

オンラインゲームで遊ぶのイメージソーシャルゲームのシナリオを考えるとき、「感動」と「矜持」を大切にしている

最初の挑戦はラジオだった

卒業後、現在も続けているソーシャルゲームのシナリオライターという職業に就いた僕は、携帯電話の普及から始まったメディアの変化もあり、1年先の仕事が無くなることがない居場所を見つけることができた。
しかし、一定の数のストーリーを書き、月に決められた給料をもらう生活のため、小さな努力は積み重ねていたが、挑戦と言えるものはなかった

そんな僕にとっての最初の挑戦は、放送作家協会の恩師に誘われたラジオドラマのコンペディション……それはニッポン放送『らじどらッ!夜のドラマハウス』の企画への参加だった。

この企画は、1976年から1983年までニッポン放送を主に放送されていたラジオドラマの番組を復刻し、新たな放送作家、声優を育てることを目的とした番組で、毎週1テーマ5本のラジオドラマが参加者の提出作品から放送するストーリーが選ばれ、全員の選考の結果、放送された。

最初は仕事のひとつとして参加したが、このコンペディションは僕にとって大切な挑戦となった。それは、昭和から平成のドラマを手掛けた先生方が参加していたからだ。

毎週行われる会議には、ラジオドラマを学んだ先輩、芸人として活動する先輩、僕のようなゲームシナリオライターなど、様々な分野の新人が参加した。
そして、僕が初めて書いたラジオドラマの脚本を、経験豊富な先輩方だけではなく、前身となる夜のドラマハウスを作り上げた先生方と小学館のプロデューサーに吟味される。
その上で、ひとつでも新人として今の時代にあった要素があり、テーマにあったストーリーであれば採用してもらえる。

これは、ラジオドラマの実績も経験もない僕にとって、チャンスだらけのコンペディションだった。

会議では必ず、僕の作品が経験豊富な先生とプロデューサーが読み込み、採用を見送られようと改善点がその場で教えられ、採用されれば放送できるレベルの原稿に仕上げるための徹底的な指導が貰える。

僕は、ひとつでも多くの挑戦の機会を得るため、毎週の会議に必ず顔を出し、肩を並べる先輩方の提出作品、そこに加わる先生の評価、放送の為に仕上げられた原稿から、ラジオドラマの作り方を学んだ。
この毎週の挑戦、先生方からの学び、先輩方との競争を経て、僕のラジオドラマデビュー作は『らじどら!』となり、放送作家協会への推薦を貰う基準を満たしたことで、現在に繋がっている。

ラジオドラマへの挑戦は、現在のゲームシナリオライターの仕事で、僕に新しい責任と仕事を与えてくれている。

ラジオのスタジオのイメージラジオドラマの脚本を書くコンペディションは、実績も経験もない僕にとってチャンスだらけだった

キャラクターのセリフや、効果音、音声で構成されるゲームシナリオは、地の文がある小説とは違って、圧倒的に情景描写が不足する。

音声だけで視聴者に状況を伝えるラジオドラマで学んだことは、作り上げるゲームシナリオの表現を大きく変え、更にはゲーム内にボイスドラマを挿入する企画も行えるようになった。

また、「らじどらッ!」で毎週のようにコンペディションでテーマごとに作品を作り続けて評価された経験は、無数のゲームキャラクターやストーリーを作り続けるという作業に、いくつものアイディアを出した経験という形で活かされている。

僕は今年で35歳。業界的にはまだまだ若手として扱われてしまう立場です。
しかし、『らじどら!』のコンペディションのような、素晴らしい新人育成の場は中々ない。
細々と部下を持つ立場となり、後輩にドラマとは何かを教えることもありますが、自分の新しい挑戦や成長が無いものかと、あの挑戦の年を思い返す。

次回は清水喜美子さんへ、バトンタッチ!

是非聴いて聞いてください!

僕が脚本を担当した作品はAudibleで聴いてみてください。
『らじどらッ!夜のドラマハウス』

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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