テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず! 
連載第96回は、『西部警察』や『名探偵コナン』でおなじみの宮下隼一さん。

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10円玉3枚しか

宮下隼一さんの写真
宮下隼一
脚本家
日本放送作家協会会員

金に困った記憶がないなどと言おうものなら、「嘘つけ!」または「いいご身分で」などと返されるのはわかっているので口を噤んでいるが(今言ってるけど)、鈍感なだけである。
幸い大きな借金をしたことも身の程知らずの散財をしたこともないが、ほぼ無一文になったことはある
それが1年続いたら死んでいるので、思い出すに、1週間かそこらだったのだろう。
デビュー直前か、直後か、ようするにまだ食えなかったころである。

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とはいえ、それまで、リアル無一文、そのものになったことはなかったのだが、その時は本当に10円玉のひとつも、いや3枚くらいはあったかな。
とにかく書けず、書けずに逃げていたら、どんづまった
で、前借りをしようとちっぽけなプライドを捨てるまで、小心な若者、いやバカ者はさらに無駄な時間を費やしていたのだった。

当時出入りしていた事務所は、六本木。
バカ者が住んでいたのは、新宿から私鉄で30分弱のK駅。
もちろん、電車賃はない
歩こうと思った
六本木まで。

一体何時間かかるのか、見当もつかなかったが、地面はつながっているのだから、方向さえ間違えなければ着くはずだと思った。
鈍感そのもの、若いからできたというか、疲れはしたが、途中から何だか楽しかった、のはうっすら覚えている。

K街道を新宿まで、I通りを渋谷まで下り、A通りを六本木まで。
季節はいつだったろう、かなり寒かったが、真冬ではなかった、かな。
すでに暗くなっていたが、某テレビ局の前を過ぎ、きらびやかな六本木交差点が見えた時には、頭上の高速道路からの騒音に負けじと万歳三唱した、ような気がする。
I坂を下り、事務所のあるマンションのエレベーターに飛び込んだ。

トラリピインタビュー

六本木の道のイメージ
手持ちが30円となり、前借りをしようと六本木の事務所まで歩いて行った
Tokyo Visionary Room / Shutterstock.com

ピンポンと警官

ピンポン、ピンポン、ピンポン…
応える声はない。
ドアも開かない。
10円玉を握りしめ、電話ボックスを探した(携帯なんかなかったし)。
「もしもし、今、事務所の近くなんですけど」
「なんで?」
「ちょっと用事が……」
「今日は休み。言ってなかった?」
「あ」
「何、用事って?」
「いえ、なんでも」
ちっぽけなプライドがよみがえり、バカ者は前借りの「ま」の字も言えず、自分から電話を切った。
切ってから、残り10円玉2個だとも、出かける前に電話1本かけておけばよかったとも気づいた。
バカ者でしかなかった。

電話ボックスのイメージ
ようやくたどり着いた事務所は閉まっていて、電話ボックスを探した
Tokyo Visionary Room / Shutterstock.com

交差点まで戻るも、終夜営業の喫茶店MにもAにも入れない。
友人に電話をかけて泊めてもらおうと思ったが、チャンス(10円玉)は2回だけ。
家を知ってる友人もいたが、訪ねて不在ならアホのくり返しだ。
夏ならそのへんで寝てもいい。
実際、事務所近くで飲み明かし、朝帰りの際、交差点のそちこち、駅の入り口近くで寝込んでいる若者たちをよく見た。
が、さすがに寒い。
朝までもちそうもない。
帰ろう。もちろん、歩いて。

復路は、きつかった。
眠くて眠くて、腹が減って減って、足がもつれた。
この1週間、固形物を口にしていないことを思い出した。思い出したとたん、さらに空腹と眠気が募り足がもつれまくり――ついに力尽きた

目が覚めると、明るかった。縮こまった自分の身体がめちゃくちゃ冷たかった。
クラクションと排気ガスの匂いで、めまいと吐き気がした。
胃袋は空っぽなのに。
どこかのマンションの駐車場。
並んだ車の間に入り込んで寝ていたのだった。
警官が2人、見おろしていた。
交番に連行され、事情聴取を受け、何やら書かされ、迎えに来てくれる知人の電話番号は覚えてないと言ったら(携帯なんかなかったし)、金を貸してくれた。

そして、ン10年後のあの日、あれが起こったあと、10時間弱、某ターミナル駅のタクシー乗り場の長蛇の列に並び続けた。
すでに携帯は持っていたがとっくに通じなくなっており、徒歩で帰路につく人もいたが……動けなかった。
というか迷っていた。
迷って迷って、一歩が踏み出せないでいた。
ン10年前がよみがえっていたのだ。
あの時、往路の楽しさを味わっただけだったとしたら、とっくに歩き出していただろう。
結局10時間も並んだタクシーには乗れないまま、電車の運行が再開、日付が変わったころには帰宅することができた。

日本のタクシー乗り場で並ぶイメージ
あの日、10時間以上タクシー乗り場に並んだが結局、迷って乗ることはなかった
mokjc / Shutterstock.com

その後、ン100万の借金を残して亡くなり、遺族が相続を放棄した先輩ライターや、懇意にしていた某業界の経営者がン億の負債を抱えて会社を追われ、実家の山を売って弁済した、とかけっこう身近の話として見たり聞いたりしたが、自分にはまったく縁のない、起こり得ないエピソードだと思った。

金にまつわる、プラスかマイナスかわからないが、印象に残っているのは、今回記した、このていどの話しかない。
そしてあの眠気も空腹も楽しさも、ちっぽけなプライドも、今となればぼんやりとした記憶の彼方だ。
ちなみに交番で借りた金は後日ちゃんと返したが、いまだに警官を見るとつい目をそらしてしまう。
そのせいかどうか、不審尋問されたことが実は何度かある。
キャリアの半分は刑事ものやミステリーを書いているくせに、自分でも笑える。

警官にさよならを言う方法はいまだに発見されていない……なんてネ。

次回は梶本恵美さんへ、バトンタッチ!

アニメ『名探偵コナン』に関わって20数年、近年はTVシリーズの脚本のほかに、大阪USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)で毎年開催されている、リアル脱出ゲーム『コナン・ザ・エスケープ』などのイベント台本を執筆している。

毎年、夏から秋にかけてゲームやイベントのクリエーターたちとじっくり時間をかけて作っている。
オープンは春先から夏いっぱい、毎年たくさんのゲスト、ファンやカップルやファミリーがつめかけ、楽しんでくれている。
来期は、向こう3年間、常設で上演される別枠のイベント(もちろん『コナン』関係)の制作にも参加させてもらっている。
ぜひお運びを!!

ユニバーサル・スタジオ・ジャパン

一般社団法人 日本放送作家協会
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。

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