テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第126回は、脚本家、構成作家の出川真弘さん。
びんちゃん
何かお金にまつわるエッセーを―。
この依頼を受けたとき、ふと、ある光景を思い出した。
子どものころの話だが、僕が生まれ育った地域には葬式のときお金をばらまく風習があった。それなりの長寿を全うした方の場合であるが。出棺の際、小銭を大量にまき、参列者が拾い集めるのである。そのときだけはみんな笑顔で、笑い声すら飛び交っていたと記憶している。小銭を入れたザルを長い竹竿の先につけて揺らすこともあれば、土俵に塩をまく力士さながら豪快に放り投げることもあった。
それに類似する習わしは各地にあり、正しくは「長寿銭(ちょうじゅぜに)」というらしいが、僕たちは「びんちゃん」と呼んでいた。語源はわからない。でも、みんな当たり前にそう呼んでいたので疑問を抱くこともなかった。
これには故人の長寿にあやかるというちゃんとした意味がある。が、子どもたちには、そんな大義名分はどうでもいい。とにかく貴重な臨時収入だ。張り切って拾えば結構な額になる。だから、「あの家の前で何時頃びんちゃんがあるよ」という情報を仕入れると、どこまでも続く田んぼ道を、僕らは競うように自転車をかっ飛ばし、馳せ参じるのだった。まったく知らない人のお葬式に。
ついでに言ってしまうなら、後日、「びんちゃん」が行われた現場を通り掛かると、僕は注意深く辺りを見回す癖があった。もちろん、みんなが拾い損ねた小銭を探すためだ。一応、弁解のために言っておく。僕はなにも10円でも多く拾い集めたかったわけではない。純粋に楽しかったのだ。なにが? みんなが見落としている小銭を発見することが。そこにはたしかに大勢の人がいた。みんなキョロキョロ見回して拾ってた。それでも、あるんだな。道端の草かげに。あるいは意外と堂々と。みんなに気付かれなかった「お宝」が。道に小銭が落ちていただけなら、僕だってそれほど嬉しくはない。ポイントは「みんなが気付かなかった」というあたりかも。
そんな昔のことを振り返りながら、ふと思った。これって、ものを書く仕事にも通じるなと。
自意識は最大の敵?
僕がテレビやラジオの番組制作に関わるようになって20年ほどが経つ。最初は制作会社の社員だったが、いまはフリーランスだ。なので、放送することが決まった番組に呼んでいただける場合以外は、自分から企画を考えて売り込まないと収入を得られない。少しでも面白い企画をと、いま世の中で流行っていることや、他の人の作品にも常に目を光らせているのだが、「くそっ、やられた!」「悔しいけど面白い!」と歯噛みして、眠れない夜を過ごすことも多い。いや、そんな夜ばかりだ。
そんなときいつも感じるのだが、良い企画には共通点がある。それは、まったく新しい斬新な発想……ではなく、むしろ、「誰もが気付きそうで、みんなが見落としていたもの」。自分の頭の中にも、それはあったのに。きっと多くの作り手の頭の中にも。どうしたら、そんな「お宝」を見落とさずにすむのだろう? たしかなメソッドがあったら誰も苦労しないが、僕なりにひとつ気を付けていることはある。あまり自意識に捕らわれないことだ。
情報バラエティの構成を考えるときも、ドラマの脚本を書くときも、始めたばかりの頃は、とにかく自分を売り込もうと必死だった。プロデューサーやディレクターに、「君、面白いね」と言ってもらいたくて。会議や打ち合わせのとき、「何か面白いことを言わなきゃ」と常に焦っていた。で、結局たいして面白いアイデアも出せず落ち込む毎日。当たり前だよ。そんな、自分、自分、自分、な頭で何かを考えたところで視野は狭まるし、面白いことなんて浮かぶはずがない。そもそも番組や物語にとって、ましてや視聴者にとって、僕自身が面白い人間かどうかなんてクソどうでもいい話だ。そんな当たり前のことに気付くまで、ずいぶん回り道もしたし、失敗も重ねてきた。
構成作家にしろ、脚本家にしろ、優秀な人を多く見てきて思う。その人たちは、いま目の前にあるものを純粋に面白がるのがとても上手だ。どうすれば、この企画や物語が少しでも楽しくなるのか。どんな要素が必要かな? 固定観念にとらわれていないかな? 視点を変え、切り口を変え、意外なワードを掛け合わせ、考えること自体を楽しみながら、発想をどんどん飛躍させていく。自分をアピールするなんて愚かなこと、誰も気にしちゃいない。
それに倣い、僕もなるべく肩の力を抜き自然体でいることを心がけている。するとアイデアを考えることが楽しくなったし、会議や打ち合わせも以前より楽になった。相手だって、そのほうがやり易いに違いない。バラエティもドラマも、それ以外のことだって、全てはチームワーク。このエッセーもそうだ。僕がやるべきことは、自分自身の頭の中をのぞきこみ、その草むらに落ちている「お宝」を探すという、ただそれだけのこと。見つかったら、「こんなの出てきましたよ」と、言葉や文字にすればいい。何が出てくるかワクワクしながら。かつて痩せた丸刈り頭の少年がニヤニヤしながら、それを楽しんでいたように。
次回は小林克彰さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。