2018年11月、東京都武蔵野市のアパートの一室で誕生した遊泳舎。2018年末に刊行したばかりの同社初の書籍『悪魔の辞典』と『ロマンスの辞典』は、数カ月で重版が決まるほどの売れ行きを記録しています。好調なスタートを切った同社はなぜ、出版不況と言われる時代でヒットを生み出せるのでしょうか。遊泳舎の中村さんと望月さんに、同社設立の経緯や売れる本の作り方、やりたいことを仕事にする生き方などについてお聞きました。(聞き手・文=グータッチ)
時代に合った本の価値を提示できた出版社が、業界をリードする
中村徹氏(なかむら・とおる)
株式会社遊泳舎 代表
出版社で編集、営業、流通に携わった後、2018年に出版社・遊泳舎を立ち上げる。言葉やビジュアルを通して、人生を考えるきっかけになる本を探求する。これまで関わった本に『悪魔の辞典』『くらやみ祭ってナンだ?』ほか多数。
望月竜馬氏(もちづき・りゅうま)
株式会社遊泳舎
出版社勤務を経て、2018年に出版社・遊泳舎の立ち上げに携わる。思わずくすぐったくなるような、感性を刺激する本づくりがテーマ。これまで手がけた本に『ロマンスの辞典』『言の葉連想辞典』などがある。
本が売れないと言われる時代で、遊泳舎はどのような本づくりで勝負していこうと考えていますか?
中村 本が売れていたひと昔前の時代と現在では環境が大きく異なります。そのため、売れる本を生み出すには、時代に合わせて本の価値を再定義する必要があると思っています。
紙の本は、ネットやスマホが普及する前の時代では、個人にとって重要な情報獲得手段という位置付けにありました。それが現代においては、スマホで情報を取得した方が早くて便利ですよね。つまり、紙の本の “情報を伝えるコンテンツ”としての価値は薄れつつあると思うんです。
だからと言って、本の価値が完全になくなったということではないと思います。
遊泳舎では、“モノ”としての価値を高めることで、紙の本は生き残っていけると考えています。例えば、装丁にこだわり、誰かにプレゼントすると喜ばれるような、インテリアとして部屋に飾りたくなるような、そうした“モノ”としての価値を備えた本が、今後は生き残っていくのではないでしょうか。
その他にも、本の中身も時代に合わせて変えていく必要があると思ってます。
これまでの本は、多くの人に読まれることを想定して作られてきたかと思います。ただ、多くの人に伝わる本を作ろうと思えば、どうしても内容は平易と言いますか、浅いものになってしまう傾向があります。また、大衆向けの本づくりで勝負するのであれば、小規模な出版社は、製作費や広告宣伝費にお金をたっぷりかけられる大手出版社には勝てません。
そこで遊泳舎では、とりあげるテーマを絞って、内容を深く掘り下げる本作りにもチャレンジしています。
例えば、2019年4月に刊行した『1000年以上つづく例大祭 くらやみ祭ってナンだ?』という本では、東京都府中市の大國魂神社で毎年開催されるお祭りを取り上げました。全国的に有名なお祭りではないので、知らない人も多いお祭りかもしれません。ただ、そうした、あまり知られていないローカルな事柄の中に、“おもしろいコンテンツの種”が隠れてたりするんです。
この本は地域に密着した本作りをしており、著者は府中市生まれ・府中市育ちのイラストレーターです。取材や販促など、さまざまな面で地元の方々の協力を得て作っています。こうして、府中市の人々を巻き込みながら制作したこの本は、府中市を中心に売れ行きは好調で、発売から2カ月足らずで増刷が決まりました。
このように、地域を味方につける、また内容を絞って深く掘り下げる、という本づくりも、変革期にある出版業界の中で成功するひとつの在り方だと思います。
今後、出版業界が本を作るにあたって、“モノ”としての価値を追求する方向へ向かうのか、それとも、内容を絞って深掘りする方向に向かうのかわかりませんが、時代に合った本の価値を見つけだし、それを提示できた出版社が業界をリードしていくのではないかと考えています。
望月 衣食住に関わる商品とは異なり、本はあくまで娯楽です。消費者にとって絶対必要なものではありません。本にお金を出してもらうこと自体、なかなかハードルの高いことだと思うんです。
例えば、読んだら終わりの本と、お金を払って所有し続ける本の違いを考えてみるとわかりやすいかもしれません。本の内容、つまり情報としての価値だけを備えた本であれば、図書館で借りて済ませることもできるわけですが、それ以上の価値があれば、お金を払ってでも所有したいと思ってもらえるのではないでしょうか。単に消費される本ではなく、何度も読みかえされたり、本棚に飾られたりするような、誰かの人生の中に残り続ける本を作っていきたいと思っています。
今後、遊泳舎はどのような本を刊行する予定ですか?
望月 これまで、「YUEISHA DICTIONARY」シリーズとして、『悪魔の辞典』『ロマンスの辞典』を発行してきました。
2019年6月には同シリーズの第3弾となる『言の葉連想辞典』を発売する予定です。
『言の葉連想辞典』は、一言でいえば、「知らない言葉に出会うための本」です。例えば、 “言葉”という単語を使うより、「言の葉」と言った方が、わずかに綺麗な印象を受けますよね。これと同じで世の中には、日常的には使わないけど、ちょっぴり粋で美しい言葉がたくさん存在します。そうした言葉達を集め、ジャンルごとに分けた辞典が『言の葉連想辞典』です。
ページを開くとお分かりいただけますが、各用語の脇に関連するイラストを添えています。美しいイラストと、美しい言葉から、“粋”な世界を体感してほしいです。
迷ったら、難しそうな選択肢を選ぶ
遊泳舎を設立した経緯を教えてください。
中村 もともと小さな出版社に勤めていた私は、ある程度、仕事の中で掲げていた目標が達成できたタイミングで、「新しいことに挑戦したい」と考えるようになりました。それが、「出版社を立ち上げる」ということだったのですが、起業するにあたり、同じ会社に勤めていた望月を誘ったんです。私と彼は、仕事を教える先輩と後輩の関係で、常にコンビを組んで仕事をしていました。そんな彼に相性の良さを感じていたんです。
望月 中村から起業の話をもらい、最初は凄く悩みましたが、物事を論理的に捉えるタイプの中村と、感性や直観に基づいて行動する私が組めば、良い仕事ができるという自信があり、挑戦することにしました。
起業は人生における大きな挑戦かと思います。悩むことはなかったのでしょうか?
中村 普段から、迷ったら難しそうな選択肢を選ぶことにしてるんです。人間はどうしても楽な方に行きがちですが、私の場合は、楽じゃない方向に進むことで得られることが必ずあると信じているんです。多くの人に当てはまることかと思いますが、「いまの仕事が本当に嫌なわけじゃないけど、何か状況を変えたい」と考えていても、時間が経てば毎月決まった給料が入ってくる。そんな状況が続けば、次第に「挑戦するのは、いまじゃなくてもいいかも」と先延ばしにしてしまうことがあるかと思います。転職にしたって、起業にしたって、相当なエネルギーが要りますからね。ただ、私の性格なのかもしれませんが、現状を維持するだけの状況が続くと、ストレスが溜まってしまうんです。そうした流れを断ち切るというわけじゃないですが、スパッと切り替えて、新しいことに挑戦することを選びました。
起業するにあたって苦労した点などがあれば教えてください。
中村 一般的に、出版社を立ち上げるのは、ハードルが高いことだと言われていますが、私は世間で言われているほど難しいとは思っていません。当然、お金の準備は必要ですが、極論、出版業という仕事はパソコンが一台あればできてしまいます。初めからいろんな設備を準備する必要がある業種に比べたら、起業する際の手間は少ないほうじゃないでしょうか。さらに言えば、世の中にはいろんな出版社があって、いろんなビジネスモデルの事例があります。先人の事例を参考にしながら新しいビジネスモデルを模索することだってできると思います。
起業で苦労しないためのポイントを強いて挙げるとするなら、人脈じゃないでしょうか。わからないことに直面した際に親身になってアドバイスをくれる同じ業界の知り合いは心強い存在になるかと思います。
最後に、これから編集者を目指す人にアドバイスをお願いします。
中村 編集者の仕事は、本の企画や構成を考えたり、原稿を直したり、デザインのディレクションをしたり、場合によっては原稿を書くことや写真を撮ることもあるなど、多岐にわたります。そのため、一言で仕事内容を形容することが難しい玉虫色な職業です。
なので、「これができたら編集者になれる」と言い表すのが難しい面があります。ただ、現代は冒頭で話したように出版の転換期。それだけに時代の変化に応じてアジャストできる力、既成概念にとらわれずチャレンジしていく力が、これまで以上に求められるのではないでしょうか。