ベンチャー企業といってもその中身は千差万別。本連載では、さまざまな業界で活躍するベンチャー起業家たちの仕事や生き方に迫ります。第4回は、シェアリング英会話サービスや在留・在日外国人のための多様なサービスを提供する株式会社YOLO JAPAN代表取締役の加地太祐さんに、事業を通じてどのような社会を実現していきたいかを聞きました。

加地太祐さん

加地 太祐さん
株式会社YOLO JAPAN 代表取締役

1976年大阪生まれ。高校中退後溶接工に。その後商工ローンでサラリーマンの時代に通っていた英会話学校が倒産。当時、すでに2児の父親でもあったが、受付の女性に請われ二足のわらじを履きながらその英会話学校のオーナーに。その後経営を任せていた実弟が他界したことを機にサラリーマンを辞め経営者として自立。やがてNOVAの倒産であふれた外国人講師を見過ごせず助けたことがメディアに取り上げられたことなどをきっかけに事業は軌道に乗るも、2015年交通事故に合い5日間意識不明、生死を彷徨うなかで社会の課題を解決する事業への展開を決意。在日・在留外国人の就労支援から、より広範な外国人の日本での生活、幸福を追求する事業YOLO JAPANを構想、現在に至る。陽明学にも造詣が深い若きベンチャー経営者。著書に『成功する人の考え方』ダイヤモンド社など。

株式会社YOLO JAPANホームページ
2004年12月24日クリスマスイブに、生徒として通っていた英会話学校を引き継ぐ形で起業。子供向けのコミュニティ英会話サービスや空き時間を活用したシェアリング英会話サービスなどから、現在では「日本に住む215の国と地域の外国人47,000人が登録する」在日・在留外国人のための総合メディア・サイト「YOLO JAPAN」の運営や、かつては日雇い労働者の街だった大阪・新今宮に1,500坪に及ぶ彼らのための就労インバウンド施設「YOLO BASE」を建設、日本に住む外国人のための社会づくり「YOLO経済圏」確立に邁進する注目の関西発ベンチャー。近い将来のIPOを目指す。
*YOLO(You Only Live Once「人生は一度きり」のスラング、だから輝くんだ、大切にするんだ、というニュアンスも)

弟との別れを経て、経営者としての自立を決意

著書、読ませていただきました。なんというか圧倒的な物語を経験されてきた方なのだな、と感じました。ほかのインタビューでも繰り返しお答えされてきた質問になり恐縮ですが、起業の経緯について改めて教えてください。

加地 その当時私は英会話学校に通っていました。商工ローンのサラリーマンで、すでに2児の父親でした。父が不動産や建設の事業をしていたので、いつか自分も何かしたいと考えてはいましたが、何をするのか、はまだ見えていなかった時期です。

とりあえず勉強しようという気持ちで英会話学校に通っていたのですが、ある日、学校の懇親会などで家族ぐるみで仲の良かった受付の女性が、「給料をもらえないままオーナーが失踪したので、助けてくれませんか」と相談してきたのです。生徒は私を含み18人、月商は18万円、家賃だけでも23万円という状態だったと思います。私はただの生徒だったので、とまどい、驚きましたが、それでも彼女の境遇を自分ごととして考えると突き放すことはできませんでした。
それで、家内とも相談し、講師2名、事務員1名、生徒18人のその学校の経営を引き受けることにしたのです。もちろん、2足の草鞋です。なけなしの貯金は学校の借金の返済に消えました。

半年くらい経った頃です。徳島出身のその女性が「実は昔から東京で働くのが夢だった、夢を叶えたいので辞めさせてくれ」と言ってきました。さすがに茫然としたのを覚えています。ただ、夢と言われて止めることもできず、さりとて、さすがにその女性の穴が開くので、父親の仕事を手伝っていた5歳下の弟に事業のサポートを頼みました。
弟は献身的に頑張ってくれました。私も会社での仕事をこなして、夜は遅くまで学校で働きました。なにか工夫はないか、と考え、こちらが待つのではなく各家庭に家庭教師を派遣するビジネスを考え、それがなんとか軌道に乗り経営が成り立つようになっていった矢先、その弟が病気で他界しました。

今から思えば、それが私の経営者としての原点です。同じように育った弟の死というのは、ものすごい重さで人生の意味、生きていることの意味を私に問いかけてきました。どん底のような気持ちの中で、これからは、とにかく善く生きよう、と思いました。また、サラリーマンと英会話学校の2足の草鞋についても、その時にはまだ自分自身の給料を払うことすらできていなかった事業ですが、安定よりむしろ腹を決めて、弟が支えてくれ残してくれたこの事業に取り組もう、そう気持ちが固まったのです。30歳の時でした。

加地太祐さんの著書

「社会のために何か残せるものを」という思いから、著書『成功する人の考え方』を2016年に出版

英会話を起点にコミュニティを育て、いじめをなくす

その後、NOVAの講師を受け入れたというエピソードもおうかがいしています。

加地 NOVAの倒産で、多くの外国人講師が困っている、それを助けないのは違うだろうと思いました。残念ながら生徒数で言えば、当社を頼ってくる彼らに十分に給料を払える状態ではなかったのですが、日払いで対応し私達を頼ってくる外国人講師を支えました。
たまたま、その動きを記事にしてくれる新聞社があり、その記事の影響で生徒数が増加しました。あたりまえですが、英会話学校については、生徒数を増やすということがとても重要です。金融の世界では、貸したお金が利子を生むのですが、英会話学校では生徒が貸しているお金のようなものになります。そのような視点を持って経営ができたことも、大きかったと思います。

ただ、志というものはまた別なものです。例えば、私達は子供を対象にしたコミュニティ英会話というプログラムを持っていますが、それは子供の世界によくあるいじめをなくしたいという想いが根底にあるプログラムです。
結局、英会話学校のモデルで必要になるのは講師の人件費なので、このプログラムではむしろその講座を開くコミュニティのお母さんたちに講座に参加しないかと、その地域の他のお母さんたちに働きかけてもらい、生徒が増えることで一件あたりの支払う授業料が安くなるように工夫しています。同じ金額であれば2人でシェアするより4人でシェアした方が、負担が減りますよね。
ただ、それだけでなく親同志がこのような企画を通じてお互いに顔を合わせることで、子供だけの関係性では防げない、いじめの構造をなくすことができると考えているのです。時代が進んでもやはり子供は親に叱られるのを怖れますし、親同志顔見知りで仲がいいと、その子供をいじめの対象にはしにくいものです。地域に根付くような英会話の講座を提供することで、コミュニティ自体を育てていく契機を提供できればと考えています。

このように事業はもちろん大事ですが、それだけではなく、もっと大きなもの、人として生まれ自分だけではなく他人にも幸せになってもらう、そのような仕事が大切だと考えています。

交通事故での重傷が社会の課題と向き合う契機に

現在、掲げられている「YOLO経済圏の確立」もまたそのような考え方に立つ事業なのでしょうか。素晴らしい志と思いますが、そこに至るきっかけは何だったのでしょうか。

加地 弟の死に直面したことが起業家として立つ最初の契機でした。次の契機は、自分自身がまさに死に直面したことです。

英会話学校での事業はまずは順調でしたが、順調であるために時代の流れに沿った様々な企画を実現していきました。インターネットが人々の生活に浸透を始めた頃、オンライン英会話の構想を進めました。2012年1ドル80円前後の為替を背景にフィリピンに進出したのですが、民主党から自民党に政権が変わり、アベノミクスで株価が上がっていく動きの中、翌年には為替は1ドル120円の水準にと円安に変わりました。事業の根底を変えるような動きです。
さて、どうしたものか、と考えながら自転車に乗っていて、交通事故に会いました。忘れもしない2月6日です。鼻と口の回りを68針縫う大けがだったのですが、5日間意識が戻りませんでした。
で、2月11日に目覚めた時、最初にしまったと思ったのは2月10日の支払いです。経営者は哀れなものです。しかし、それは番頭格の社員が全て終わらせてくれていました。ああ、俺がいなくても会社は廻るのか、という安堵と、おかしなもので少し寂しい気持ちが交錯しました。

次に思ったのは、ああ、生かされた、とすればこれからは一層、社会の課題に、自分の小さな「我」ではなくもっと大きなもののために生きていこう、という想いでした。お読みいただいた本も、何か残せるものを、と考え、よし、本を出そうと考え、ブログを始めて翌年出版までたどり着いたものです。

YOLO JAPANについては、これまでの事業を通じて貯めてきたノウハウを生かし、これからの日本社会の課題に向き合う形の事業として構想を固め、2016年4月に開始した事業です。

YOLO BASE

外国人労働者が幸せに生きるためのベース

より詳しく教えてください。

加地 英会話学校の事業を通じて外国人講師のいわば生活や就労の問題に向き合って、様々なノウハウを得ていましたし、彼らの問題についても熟知していました。少し大袈裟に聞こえるかも知れませんが、これからの日本社会の最大の問題は、高齢化少子化の中で決定的に労働力が枯渇していくということです。
もちろん、ITなど技術の発展や働き方改革などで、生産性の向上を図る、それはそれで一つの解決の手段ですが、残念ながらそれだけでは足りない、それを補うのは、やはり1990年代から言い古されたことですが、外国人労働者なのだと思います。
しかし、残念ながら日本は外国人に対して排他性を持つ社会ですし、せっかく夢を持って来日した彼らを十分に遇せているとは言えません。

我々は彼らにYOLO JAPANというインフラに登録してもらうことで、彼らが日本社会で十分に楽しく、それぞれの人生を生きて欲しい、体験して欲しい、と考えています。
YOLO JAPANが提供するものは、まずは生活で最初に必要になるお金、つまりは就労機会の提供です。実は単純に事業としてだけ考えれば、徹底的にこの人材紹介の仕事を展開していく方が効率はいいのかも知れません。しかし、私はそうは思えないし、それだけに留めたいと考えていません。
例えば、働いていて病気になったとき、誰も頼りにできない彼らに、病院を紹介し、それだけではなくそれぞれの言葉に合わせた自分の症状の説明のサポートまで提供する、休日には楽しめる場所や仲間と憩う場所や企画を提供する、海外への送金やお金の悩み、住む場所の紹介など、彼らが「たった一度の人生」でそれぞれの時間、この日本を生活の場所として選択したとき、彼らが幸せに生きていくためのベース、それを全て提供する、それが我々の事業の構想です。
経済圏、というと大袈裟に思うかも知れませんが、彼らの生活そのものを支えることで、我々自身の事業も大きく成長できると考えています。また、そのように彼らを支えることで初めて離職率も最小化できるはずです。

もちろん、共生する日本の人々に対しても、例えば外国に行かなくても、進出したい国を母国とするモニターを集めることで、マーケティングリサーチの機会を安いコストで提供したり、実際にそれぞれの企業で活躍するそれぞれのレベルの外国人を紹介することが可能です。
ただ、それだけではなく、もっと大きな視点で言えば、外国から日本に来られた人々を孤立させず、困窮化させず、人との繋がりや経済的な意味での豊かさを提供することで、実は社会がもっとも必要とする一定の治安というものも提供できると思うのです。
共生というのは、それぞれがそれぞれを認め合い、互いに幸福を分かち合える中で成立する概念であり状態だと思うのですが、本当の意味での共生、それを実現するインフラとして我々は機能したいと考えています。

本日、お伺いしたYOLO BASEを、新今宮・西成というかつて高度経済成長を支えた労働者の街に設立されたのも意味があるのでしょうか。

加地 YOLO BASE、ここではホテルなどを併設し、実際に外国人の方に労働のスキルを身に付けていただきたいと考えています。また、結局大切なのは日本語でのコミュニケーション能力なので、そうした教育も行っていければ、と考えています。インタビューをお受けしているこのカフェも観光客を含み外国人に様々な用途で利用してもらいたいと考え、作ったスペースです。

さて、この場所をあえて選んだのか、との質問ですが、本当にたまたまでした。
この広さと利便性を追いかけたとき、この場所が物件として浮かび上がったのです。しかし、狙ったものではないとしても、日本経済を支える労働力の構成が外国人に変わっていく中で、象徴的な話になっているのか、とは感じています。