テレビ、ラジオ、動画配信も含めて様々なコンテンツの台本や脚本を執筆する放送作家&脚本家が700人以上所属する日本放送作家協会がお送りする豪華リレーエッセイ。ヒット番組を担当する売れっ子作家から放送業界の裏を知り尽くす重鎮作家、目覚ましい活躍をみせる若手作家まで顔ぶれも多彩。この受難の時代に力強く生き抜く放送作家&脚本家たちのユニークかつリアルな処世術はきっと皆様の参考になるはず!
連載第41回は、映画や文学に造詣の深い脚本家、羽田野直子さん!
1959年は日本放送作家協会設立とヌーヴェルヴァーグの年
いまから2年前に私たちの日本放送作家協会は設立60周年を迎えました。同じ年、フランスではヌーヴェルヴァーグの年と言われています。
もちろん諸説ありますが、皆さまご存知のジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』、フランソワ・トリュフォーの『大人はわかってくれない』、クロード・シャブロルの『いとこ同士』(いずれも1959年)をもってその運動の存在意義が広く認知されたのです。彼らは一旦完成形に到達していた映画を解体し、それまでとは全く違う手法―即興演出、同時録音、全編ロケ―で見るものの度肝を抜きました。
これからご紹介する『ラルジャン』(1983年)はヌーヴェルヴァーグのゆりかごと言われるグループ、オブジェクティフ49で映画作家の主導的立場にあったロベール・ブレッソンの遺作です。
「え?映画史の講義なの〜?」と言うなかれ。ここはお金に関するコーナーだということは百も承知。これまでの方々の書かれたものを読んでふーむと唸り、感心しきり。さて自分はどんな風に書くかなぁと思案した結果、ほぼ毎日見ている映画の話にしようと思ったわけです。
ブレッソンの映画表現とは?
いささか前置きが長くなりましたが、『ラルジャン』という題名はフランス語でそのものずばり「お金」です。
冒頭、今で言うATMの扉が締まるところから始まるこの映画は、裕福な家庭の少年の悪戯が発端で偽札をつかまされたイヴォンという男が転落し、果ては連続殺人に手を染める姿を描いています。
映画監督は何を見せるか、そして見せないかを選択することが仕事だという人がいますが、ブレッソンは極力「見せない」ことで見る側の想像力を喚起します。
例えば獄中で幼い娘の死と妻が去ったことを知り焦燥感が募ったイヴォンが食事の際に騒ぎを起こすシーン。並の映画監督ならイヴォンが看守たちに取り押さえられるところを撮るでしょうが、違う。
イヴォンが大きなお玉を看守に振り上げるや否や、別の看守が笛を吹くショットが入り、次は床を勢いよく滑るお玉がやがて壁にコツンとあたるショットに変わります。音の表現も素晴らしく、イヴォンの無力感から諦念へと向かう情動が見事に描かれていると感じます。
その後、独房に移されたイヴォンは金属製のカップを床と摩擦させ異常な音を立てます。その様子を見た看守が医師を伴いやってきてイヴォンに薬(鎮静剤のようなものでしょう)を2錠飲ませます。2人が去った後、イヴォンは口から錠剤を出し、寝台のマットレスの裂け目を開きます。それまで同じことを幾度となく繰り返して貯めたであろうざっと30錠余りの錠剤の中へ放ります。そして次のシーンはもう救急車で搬送されるところ(服薬自殺を図った)です。
いわゆる段取りというものを排した最小限の映像情報の連なりの小気味良いリズムによって、見ているこちら側に曰く言い難い緊張感を与えるのです。
このように見所について書き出すと止め処がなくなりますのでこのくらいにしますが、もうひとつだけ。ラストシーン、自首して警官に連行されるイヴォンを見るため居酒屋に集まった群集がその様子を目で追うことなく、いつまでも開いたままの扉の向こうを見つめ続けています。
群集が見ていたのは何なのか? 幾多の監督、批評家がいろいろと言及しています。それはもちろん見た者が感じれば良いのだと思います。
実はこの映画はトルストイの「にせ利札」という原作をもとに作られました。映画ではその半分の折り返し地点、悪の連鎖の部分だけで終わっています。だからか群衆が見ていたのは「希望」だと、或いは「虚無」だという人もいます。私は「深淵」だと感じました。お金という「物の価値を数値化したもの」の持つ危うさの。
どうか皆さんご自身の目で確かめてみてください。
次回は放送作家の原 木綿子さんへ、バトンタッチ!
放送作家の地位向上を目指し、昭和34年(1959)に創立された文化団体。初代会長は久保田万太郎、初代理事長は内村直也。毎年NHKと共催で新人コンクール「創作テレビドラマ大賞」「創作ラジオドラマ大賞」で未来を担う若手を発掘。作家養成スクール「市川森一・藤本義一記念 東京作家大学」、宮崎県美郷町主催の「西の正倉院 みさと文学賞」、国際会議「アジアドラマカンファレンス」、脚本の保存「日本脚本アーカイブズ」などさまざまな事業の運営を担う。